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朝日学生新聞社児童文学賞 朝日小学生新聞賞受賞作

『アブライモモムシ』

 

作・新井麻由子
東京都大田区在住で、神奈川県の私立小に通う4年生。幼稚園のときから虫にかんする詩や短い物語を書いてきました。ナナフシをテーマにした作品『ナナ―この夏をわすれない』が去年の朝日学生新聞社児童文学賞「朝日小学生新聞賞」の最終選考に残りました。

 

前 編

 

絵・星野イクミ

 

 きょうも、わたしたち4年3組の仲良し5人組が、学校からの帰り道、にぎやかに遊歩道に現れた。
「あっ、これって危ないイモムシだよ!」

 

 七子ちゃんがさけんだ。
「毒を持っているから触らないで」

 

 七子ちゃんは、虫博士。社会科見学に行っても、ディズニーランドに行っても、いつも虫をつかまえている。特にマニアックな虫に妙にくわしい。
「それってさぁ、アブライモムシみたい」

 

 奈美ちゃんが言い出した。
「アブライモムシー? おもしろーい!」

 

 みんなは、そのイモムシのことはどこかに忘れ去り、「アブライモムシ」というひびきが、すっかり気に入ってしまった。「アブライモムシ」が次の日には「アブライモモムシ」という語に落ち着き、「アブライモモムシ」の空想をふくらませて大いに盛り上がっていた。

 

 虫がきらいなわたしは少し困った。だって虫の話なんだもの。みんなが話している「アブライモモムシ」なる生き物の姿を想像するだけで、背中がゾクゾクするのだった。

 

 ところが、本物の「アブライモモムシ」は、木の上からその一部始終を見ていた。
「え〜〜!? オレさまのことをうわさする人間がいるぞ〜!!」

 

 アブライモモムシは、これまで一度だって人間に見つかったことはない。だから当然、図鑑にもウェブにものっていない。アブライモモムシは、こうしてずっと平和にくらしてきたのだ。

 

 そのアブライモモムシが初めて自分の名前をズバリと言い当てられて、たまげて木から転げてしまった。それも、この世で何よりも虫がダメ、というわたしの前に……。
「キャ〜!!」
と、どうしていつものようなさけび声が出なかったのか、今でも不思議で仕方がないが、人間というものは、本当にびっくりすると固まり、声など出なくなるらしい。

 

 アブライモモムシは、いきなり転げ落ちた衝撃で、キョロキョロ辺りを見回し、ちょっとカマキリに似た前脚を扇子のようにパッと広げ、わたしに向かって何か構えている。後で確認したところ、どうやら威嚇だったらしい。

 

 虫のようだが、小さめのトカゲかチビ恐竜のようにも見える。何とも奇妙な風ぼうだった。わたしが驚いてぽかんとしている間に、その奇妙な生き物は、目の前から消え去ってしまった。

 

 わたしはしばらく立ちすくんでいたが、我に返り、
「待って〜〜」
と、みんなに追いつき、帰り道を急いだ。

 

 おやつを食べている間も、さっきの変な生き物の姿がずっと頭から離れない。

 

 ひとまずランドセルを置きに、部屋に入ると、何かどこからか視線を感じるような気がした。くるりと見慣れた部屋を見回したが、変わったところはない。

 

 ランドセルをラックにかけようとしたその時だった。そこにいるはずのないものが、ランドセルにぶら下がり、まるでキーホルダーのようにじっとしている姿が目に飛びこんできた。

 

 まさかの衝撃映像だった。こともあろうか、あのお扇子トカゲがランドセルにくっついてきてしまったのだ。わたしは、腰を低くして壁のところまで後ずさり、
「落ち着け節葉、冷静にならなくちゃ」
と自分に言い聞かせた。困った。本当に困った。ママも虫嫌いなので、悲鳴をあげると大騒ぎになることが予測される。

 

 とりあえずわたしは、引き出しの中から軍手と手袋を出し、それを全部はめた。なぜか自転車用のヘルメットまでかぶり、目には水泳用のゴーグルという、ものすごく怪しいスタイルで、そのお扇子トカゲに挑むことにしたのだ。そろりそろりと迫っていくと、お扇子トカゲがモゾッと動いた。
「お扇子トカゲとは失礼なこった」
「……」

 

 こういうことを腰を抜かすというのかもしれない。それともたまげただろうか。とにかくわたしは、再び固まった。体は固まってピクリとも動かないが、頭の中ではかつてない大騒動が起こっていて、それがさらにグルグルかけ回り、この状況を理解するヒントを探していた。突然転げ落ちてきたヘンな生き物がなぜか家までついて来て、その上人間の言葉をしゃべっているのだ。こんなことがあってもいいのだろうか! そしてわたしは、ある結論に達した。
「気のせいだ。さっきのショックで幻を見てしまったんだ。うん」

 

 そして、それを確認するために、
「何もしゃべってないよね?」
と、お扇子トカゲに向かって言ってみた。するとしばらくシンとした間があって、わたしが安心した頃に、
「だから! お扇子トカゲじゃないぞ!」
と、さらに大きな返事が返ってきてしまった。

 

 わたしは打ちのめされた。そんなわたしの気持ちなどこれっぽっちも気にしないで、お扇子トカゲは続けた。
「わしはアブライモモムシ。いつものように木の上でくつろいでいたのに、お前たちがわしの名前を叫んだり、わしのことを歌にして驚かせたりするものだから木から転げてしまった。わしは虫じゃが実は飛べないのでな。お前がぽかんとしているすきに、そのランドセルから木によじ登ろうと思ったら、お前はちっとも立ち止まらなくて、ここまで来てしまったというわけさ」

 

 わたしは、ちょっと悪いことをしてしまったように感じた。
「アブライモモムシって本当にいるんだ」

 

 私が呆然と口にすると、
「よくわしの名前を言い当てたな。人間に見つかってしまったアブライモモムシはわしが初めてじゃ。とんだドジをふんでしまったよ」

 

 わたしは不思議な程この奇妙な虫を怖いとは思わなかった。それどころか親しみがこみ上げてきてしまった。アブライモモムシの魔力だろうか。その奇妙な顔もとても愛きょうがある。
「飛べないなら、木の上に乗せてあげるよ」
となぐさめると、
「……ったく泣けるわい。しばらく話を聞かせてもらったら、随分虫嫌いらしかったから、殺虫剤でもふりかけられるんじゃないかとハラハラしたわい。でも実はペットとやらに、ちょっと憧れておったんじゃ。せっかく人間と知り合ったんだから、しばらくここのペットになってから戻ろうかのぉ。よろしくな、節葉」

 

 わたしの名前、知ってるんだ。
「ところで、どうしてわたしが心の中で『お扇子トカゲめ!』って思っていたことがわかったの?」

 

 わたしは、気になっていたことをたずねてみた。
「昔から動物は敏感だというじゃろう。地震の前にカラスが大移動するだとか。嵐が来る前には、ネズミがいなくなるだとか。虫属は、もっと敏感なのさ」

 

 そういえば、七子も言っていた。「虫ってすごいんだよ」って。

 

 わたしはひとまず、七子の家に向かった。七子は、木の葉坂を上り切ったところに住んでいる。そして年中さまざまな虫を飼っている。

 

 ピンポーン

 

 アブライモモムシは、今度はリュックのひもにしがみつき、お得意のキーホルダーに化けてじっとしている。わたしは七子には、アブライモモムシのことを打ち明けようと思っていた。
「は〜い」

 

 両手にラムネのびんを一本ずつ持って、七子はすぐに出てきた。
「はい」
と、ラムネを一本手渡され、まん中のくぼみのところまで一気に飲んだ。ガレージに案内されたわたしは、本来背中にあるべきリュックをしっかりと胸に抱き、せっぱつまった顔をしていたのだろう。
「どうしたの? 何か生き物でも入れてきたの?」
と、七子に指摘されてしまった。鋭すぎる!
「あのさあ、実は教えてほしいことがあるんだけどぉ……」

 

 わたしが今身の上に降りかかっている真実を説明し始めようとしたその時、
「びゃ〜〜くしょ〜〜ん!!」

 

 七子が、すごいくしゃみをした。七子はアレルギーがひどく、このところ一日中くしゃみを連発していた。その瞬間、何かが身構えた。そう、アブライモモムシが、お扇子を広げるポーズをとってしまったのだ。
「あっ!」

 

 わたしが息をのんだのと、七子が
「えっ!?」
と、アブライモモムシに気づいたのは同時だった。さすがの七子も、イモモムシの名前を知らなかった。
「ちょっと〜〜!! ナニ!? これ!? すごい! どこで見つけたの〜〜!? やだ〜〜!」
と大興奮して叫び続けている。
「東京にいたの!? 脚六本だから昆虫だよね!? 食草は!? 調べたの!?」

 

 七子もパニックを起こしているようだ。
「アブライモモムシなんだって」

 

 わたしの答えに七子は、「何言ってんの?」というような顔でわたしの方に向き直った。
「そうじゃなくて、この種の名前だよ〜〜」
と言いながら、図鑑を取りに行こうとした。
「だから、アブライモモムシなんだって」
と言うわたしをけげんそうに見て、七子は、
「何で調べたの?」
と聞いてきた。
「本人から聞いたの」

 

 わたしが、まだお扇子ポーズのままのイモモムシを、七子の目の高さに持ち上げた。
「この虫、しゃべるの……?」

 

 七子は、急に声のトーンを落とした。
「そうなの。それに頭がいいみたい。だから七子にどうすればいいか相談しに来たの。実はね……」
と、わたしはこれまでのいきさつを話し始めた。七子は一生懸命に聞いてくれた。七子は、アブライモモムシの周りを一まわりして、そのおもしろい姿をしげしげと見つめ、それからぽつりとつぶやいた。
「これって、すごいよ……」

 

 七子も呆然としている。七子は、マレーシアまで虫とりに出かけるほど虫マニアで、これまでにも随分珍虫には出会ってきたが、その七子でさえも
「こんなの見たことない」と言っている。
「新種発見かもね」

 

 この時、七子の言葉の意味の大きさが、わたしにはわかっていなかった。

 

 イモモムシは、七子が飼っているオオクワガタと何やら会話を始めた。虫たちのケースを一まわりしている様子を見ていると、とても社交的で顔も広そうだ。七子は、
「そっか〜。虫は触角で会話するんだ〜!」と感心している。
「いいな〜、わたしも触角ほしいな〜」
とも言っている。

 

後編へ続く

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