朝日学生新聞社児童文学賞 朝日小学生新聞賞受賞作

『アブライモモムシ』

 

後 編

 

絵・星野イクミ

 

 それにしても大変なものを拾ってしまった。一体どうしたらいいのか。イモモムシが、わたしたちのところへ戻って来た。歩き方がヨタヨタしていて、必死で笑いをこらえた。頭の良さそうなしゃべり方と、この歩き方が、どうも合わないからだ。イモモムシは、
「ここは、仲間がおってええわい」
と、ご機げんだ。

 

 わたしは普段、どこにいても七子がなぜかすぐに見つけてしまう虫がこわくて、これまで二人でゆっくり話をしたことがなかったが、きょうは心の底から七子がいてくれることがありがたかった。それに苦手なはずの虫がいっぱいいるというのに、全く気にならない。イモモムシの友だちはみんなイモモムシ、といった気分なのだから不思議だ。七子が虫に夢中になるのが初めてわかるような気がした。

 

 何より、イモモムシの話は、深くて心にしみる。一番ハッとさせられたのが、
「人間は虫のことを気持ち悪がって、すぐに退治しようとするけれど、虫属は影で相当役に立っているんじゃよ。人間がひとりもいなくなったところでだれも困りはしないが、もし虫がいなくなったら、いや、数が減っただけでも、人間はもちろん、ほかの生き物も生きてゆけんだろうよ」
という言葉だ。七子の言っている、虫はすごいってこういうことなのかも……。

 

 イモモムシが来てから一週間が過ぎた。わたしと七子の生活は、すっかりイモモムシ中心に変わった。明日から夏休みが始まる。イモモムシは、わたしたちが学校に行っている間、七子の家のガレージで、一番大きいケースの中にいて、わたしたちが帰って来ると、ケースから出て自由にしていたが、とにかく歩くのがゆらゆらしていて超スローなため、その行動範囲は狭かった。食べるのも、それはゆっくりだったが、好き嫌いはなく、何でも食べた。

 

 七子の家の夕食のマーボー豆腐のソースをおいしそうに食べた時は、びっくりした。そしてお腹がいっぱいになると、カマキリのカマに似た前脚を長々と伸ばし、満足そうに、じっとくつろぐのだった。眠くて眠くて仕方がないそうだ。

 

 「わしらは、威嚇のポーズをとると大変な体力を消耗するんじゃよ。その上このポーズを3回とると、脱皮のスイッチが入るようにプログラムされておるものだから、次はサナギになり、長い長い眠りに入ってしまう。眠りの期間は19年じゃ。19年間かけて体力を蓄え、今度は羽がついた体で目覚め、自由に大空を舞うことができるのじゃ」

 

 イモモムシは、しゃべり終える度にうとうととしている。
「19年って、13年ゼミや17年ゼミみたいだね」

 

 七子が言うと
「そうなんじゃよ。わしらは、19年型と23年型じゃよ」
と眠そうに答えた。

 

 「その19年間は、やっぱり土の中にいるの?」
と、わたしがたずねると、

 

 「いや、わしらはちがう。木の高いところにできたうろや、樹皮の裏で眠る。風が気持ちええんじゃぞ。うーんと高いところがの」
と目を細める。

 

 「よく今まで人間に見つからなかったね」
と続けると、

 

 「なぁに、人間に見つかった虫は、ごく一部じゃよ。まだ見つかっておらん虫の方が多いわい」
と、驚きの答えが返ってきた。七子は、

 

 「そうかもねぇ〜!」
と、妙に納得している。

 

 「こんなに役に立っている生き物も珍しいのじゃから、虫は人間たちにもうちょっといたわれてもバチはあたらんと思うがの。ま、ふみつけたり、汚いもの扱いをしないでそっとしておいてくれるだけで十分じゃがの。フハハ!」
と笑っていた。

 

 そんな話をしてしまったせいだろうか。

 ガッシャーン!!

 

 ものすごい音がしたのと同時に、ハッとしてイモモムシの方を見ると、心配した通り、イモモムシは立派なお扇子をこれまで以上にいっぱいに広げ、あのポーズで構えていた。

 

 どうしよう!!

 

 七子もくい入るようにイモモムシを見つめている。しばらく沈黙した後、二人で顔を見合わせていた。七子のお母さんが、

 

 「ごめん、ごめん。大丈夫だった? 車ぶつけちゃった〜!」
と、かけ込んで来たが、わたしたちは大丈夫ではなかった。七子は、

 

 「ママ〜!! 何すんの〜!?」
と、泣きそうになっている。イモモムシの言っていたスイッチが入ってしまうかもしれないのだ。七子のママが、

 

 「びっくりさせてごめんね〜」
と出ていくと、わたしたちは、

 「大丈夫!? イモモムシ!!」
と、イモモムシに呼びかけた。何度も何度も呼びかけた。でも返事はなかった。

 

 それからのイモモムシは弱る一方だった。まず、何も食べなくなり、それから数日かけて脚が一本ずつ取れていき、とうとう胴体だけの姿になってしまった。自慢のお扇子もなくなってしまったのだ。

 

 七子とわたしは、それでも何とかお水だけは飲めるイモモムシにお水を飲ませたり、食べさせようとしたり必死だった。けれどもそれは、イモモムシが言っていた脱皮のための準備だったようだ。

 

 何日かこういう状態が続いた後、ある朝イモモムシがいたケースの中に、深緑色の皮がくしゃくしゃになって丸まっていて、となりにピーナツのような形をした、茶色いゴツゴツしたサナギがころがっていた。

 

 背中には金色にエメラルドグリーンを少し混ぜたような美しい点が8つついている。光のあたる角度によって、オレンジに見えたり虹色にきらきら輝いたりする。まるで宝石のたまごのようだった。

 

 七子とわたしは、悩みに悩んだ末、ある計画を決行することにした。あの日、アブライモモムシが突然落ちてきた木に登り、鳥に見つからない安全な場所にイモモムシを返す。幸いあの古いヤマモモの木は枝が太く、子どもがひとり登ったくらいではびくともしないだろう。それに、ヤマモモがある遊歩道は通学路になっていて、夏休み中の今はほとんど人も通らないはずだ。

 

 登るのは、運動にはちょっとした自信があるわたしになった。七子に下から指示を出してもらうことにした。決行は明日の朝。

 

 わたしは、いつもよりだいぶ早い時間に、ラジオ体操のカードを首にぶら下げ、自転車で家を出た。ヤマモモの遊歩道に着くと、七子はもうイモモムシのケースを大事に抱えて立っていた。

 

 「節葉も眠れなかったんだ」
わたしは、

 

 「七子もきっと同じだと思ったよ」
と、苦笑い。

 

 わたしは、イモモムシを受け取り、大切にウエストポーチの中に入れた。
「ありがとう。イモモムシ!! 19年経ったらゼッタイ出て来てね!」

 

 七子の声がふるえている。わたしは不思議と落ち着いていた。どうしてもイモモムシを、この木の上まで送り届けなければならない。

 

 「じゃあ、行くから見ててね」
わたしはまず、自転車のサドルを踏み台にして、一つ目の枝の分かれ目によじ登った。

 

 「節葉、大丈夫? 気をつけてね」
という七子の声が聞こえたが、わたしは上だけを見て登った。枝が細くなってきた。本当に気をつけなくちゃ。でももう少し上に連れて行ってあげよう。

 

 夢中で登っているうちに、最後の分かれ目まで来ていた。あたりを見回すと、ちょうどいい具合に樹皮が浮いているところがある。ためしにめくってみると、何ということだろう! そこには、イモモムシのサナギがちょうどぴったり入る大きさの小さいうろができているではないか! ここしかないと思ったわたしは、枝にしがみつき、イモモムシを慎重に取り出し、そのくぼみにそっと置いた。さぁーっとさわやかな風が吹いて、わたしの髪がなびいた。

 

 「ここでいい?」
イモモムシに向かってささやくと、イモモムシはサナギをピクピクッと、動かして返事をしてくれた。わたしはその時初めて、こみ上げてくるものをこらえきれず、肩をふるわせながら、イモモムシにちゃんとありがとうを言えていないことを思い出した。

 

 「イモモムシ、ありがとうね。19年後に出てきたら、必ず会いに来てね! 約束だからね!」
言葉にならない声だった。わたしはイモモムシの部屋に樹皮のカーテンを下ろし、しゃくりながら下りて行った。一歩ずつ、ゆっくりと。足で枝をさぐりながら、下を見ないように。

 

 「次の枝までちょっと距離あるよ! 気をつけてね!」

七子に声をかけられ、ほんの一瞬下を見てしまった。高い!! まだ地面までこんなに遠いの? そう思った瞬間、わたしは足をすべらせ、真っ逆さまに落下した。

 

 「あっ! 危ない!!」
体がスローモーションで落ちていく。もうダメだ……。お母さん、ごめんね……。

 

 ――それが、地面でくるりところがり、なんと両手を目いっぱい広げて着地したではないか! これは、どこかで見たポーズではなかったか? イモモムシだ! アブライモモムシが守ってくれたんだ!
そばで驚いて腰を抜かし、ヘタリと座り込んでいる七子としばらく見つめ合い、それから二人でゲラゲラ笑いころげた。おかしいけれど、涙も出る。七子とわたし、その場でしばらくの間、泣き笑いが止まらなかった。

 

 ――15年後
「今度、調査でマレーシアに行くのよね〜。何もないところだけど、紅茶だけはおいしいから、おいしい紅茶買ってくるね〜」

 

 この日は、なつかしい4年3組の同窓会。久しぶりに昔の仲間が集まった。
「あんなに虫が苦手だった節葉がねぇ〜」

 

 奈美ちゃんが、相変わらず話をリードしている。
「今では昆虫学者になっちゃって、マレーシアへ調査だなんて、びっくりだよね〜」

 

 「そうだよね〜アハハ!!」
わたしは、陽気に笑いながら七子とひそかに目を合わせ、
(どうしても、もう一度会いたい虫がいるものね!)
と、にんまりした。

 

 きょうの天気は日本晴れ。空には、お扇子の形をした雲が、ふんわりと、みんなを見下ろしていた。

 

おしまい

 

 

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■ 新井麻由子さんのマレーシア虫紀行

 

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