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2010年3月
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青森発 保健室からの卒業証書 「成長の記録」
9年の体の変化に驚き、周囲に感謝

 

「人のため」は悩む私も救ってくれた

 ウェブサイト上で身長と体重のデータを入力すると、小学校入学時からの成長曲線などのグラフと体格の変化を表すイラスト、メッセージが表示されるソフト「成長の記録」が無料で公開されています(http://siva.cc.hirosaki-u.ac.jp/usr/koyama/seicho/)。青森県弘前市立石川中の養護教諭・森菜穂子先生が中心になって作りました。卒業記念に結果を印刷して贈ったり、総合学習の時間や保健の授業に使われたりしています。
毎年学校で行われる健康診断の記録は、健康診断票に記入され、小学校から中学校、高校へと送られ保存されます。しかし、多くは本人に手渡されることもな く、最終学歴校(中学校か高校)に5年間保存された後、廃棄されます。誕生から幼児期の記録は母子手帳に記されて残りますが、大人の大半は小学校入学以 降、自分が何歳の時に何(センチ )背が伸びたかなどはわからなくなってしまっているか、なんとなく覚えている程度というのが現実です。
森先生は以前、神戸大学国際文化学部の横尾能範元教授が開発したソフトを使って、小学校入学から中学校卒業までの記録を「保健室からの卒業証書」として、卒業生全員に手渡してきました。しかし、パソコンの環境が変わり、使いづらくなったため、新たに作ることにしました。
2001年にソフトを公開して以来改良を重ね、評判はクチコミで広まりました。今では青森県内の養護教諭の約8割が知っていると答えるそうです。「貴重 な記録なので、より多くの人に使ってもらいたい。家庭でも簡単に使え、成長曲線を平均と比較するなど、保健学習にも生かしてほしい」と森先生は話します。
森先生は、今月10日に行われた石川中の卒業式で巣立っていった生徒にも、「成長の記録」を印刷して全員に手渡しました。千葉美穂さんは「小学1年の 時、真ん中くらいだった身長が今では一番後ろ。周りの人より早く成長促進期が来ていたのにまだ伸びていて驚きました。普段は体重のことばかり気にしていま したが、身長も体重もバランスよく増えていることがわかりました」。斎藤夏生さんは「9年間で37(センチ )も伸びていてビックリ! 記録は大切にとっ ておきます」。
森先生は「子どもたちが卒業という人生の節目に、体や心の成長を見つめることで、家族をはじめ、自分の成長に深くかかわってくれた人たちの愛情に気付いてくれたらうれしいです」と話しています。



(2010年3月21日)

 

元朝中特派員・田中さん 母校で講演
「将来のヒント」後輩に伝授

「人のため」は悩む私も救ってくれた

 

 朝日中学生ウイークリーの元特派員で上智大学神学部1年生の田中小百合さん(19)が3月初め、母校の田無第二中(東京都西東京市)で在校生(計359人)を前に、自らの中学時代やボランティア活動の大切さについて講演しました=写真。活躍する卒業生から、将来の進路を考えるヒントを教えてもらおうと、同校PTAが招きました。
田中さんは小学生の頃、地元の児童館で青少年育成会の子どもスタッフとなり、ボランティアにかかわるようになりました。地域のお祭りやお年寄りとの交流会の様子を広報に書き、ボランティアや記者の仕事の魅力を知りました。6年生だった2002年10月には、朝日小学生新聞(通称・朝小)のリポーターとしてノーベル物理学賞受賞者の小柴昌俊東京大学名誉教授にインタビューしました。
さらに、朝中特派員として05年11月に、アフリカを舞台にした映画に出演したマサイ族にインタビュー。「取材中にマサイ族が突然、大声で歌いだしてびっくり。文化が違うんだって、異文化への興味がふくらみました」。この日の講演では、田中さんがインタビューした時の朝小と朝中の掲載紙のコピーが資料として配られ、生徒らは熱心に読んでいました。
高校時代は勉強に行きづまり、思い悩むことが多くなりました。何もかもやる気を失って学校をやめようとさえ思いましたが、青少年育成会の体験を思い出して児童館のボランティアに参加。大人のスタッフから「来てくれてありがとう」、「助かったよ」と言われ、思わず涙があふれました。屈託なく話しかけてくる子どもたちを見て優しい気持ちになり、元気を取り戻しました。
田中さんは「人のためと思っていたボランティアに、自分自身が救われていることに気づいた。悩みや挫折を乗り越えるきっかけになるかもしれません」。生徒会長の定留正弥君(2年)は「まずは飛び込んでみることが大事だと感じました。人と笑顔を交えて接することで、世界が広がる気がしました」と話していました。



(2010年3月14日)

 

チリ大地震 津波の脅威
海からの洪水 経験いかした防災対策


  南米チリで2月27日、マグニチュード(M)8.6(推定)の大地震が起きました。太平洋津波警報センター(米ハワイ)は、震源に近いチリの沿岸都市タルカワノで約2.3bの津波を観測。約1万7000`離れた日本にも最大で3bの津波が到達する恐れがあるとして、気象庁は28日、青森、岩手、宮城3県の太平洋沿岸部に大津波警報=メモ=を発令。北海道から沖縄までの太平洋側の広い範囲で1.2b〜10aの津波が観測されました。北海道や宮城県などの沿岸部で道路の冠水などの被害が出ましたが、負傷者はありませんでした。
 チリ国家非常事態局は1日、被災者が全人口の約12%にあたる200万人に上るとの推計を明らかにし、3日までに確認された死者は800人を超えました。そのうちの多くが地震直後の津波の犠牲者とみられています。
 チリでは、1960年5月に観測史上で世界最大とされるM9.5の激しい地震が起き、日本にも高さ最大5〜6bの津波が押し寄せて、東北地方の三陸沿岸などで計142人の死者・行方不明者を出しました=表参照。
 50年前と今回の地震との違いについて、東京大学地震研究所助教の大木聖子先生は「発生のメカニズムなどは同じですが、地震の規模がケタ違いに大きい。Mが1つ上がるとエネルギーは32倍。2つ上がると32の二乗で約1000倍にもなります。つまり50年前の地震は、今回の地震が30ぐらい、阪神・淡路大震災の地震が1000以上同時に起きたようなもの」。ただし、日本で犠牲者が出なかったのは津波の規模が小さかったからではなく、堤防などが整備され、警報で沿岸部から避難できたおかげと指摘しています。
 災害時の避難行動を研究し、岩手県釜石市の中学校などで津波の防災教育を進めている群馬大学大学院の片田敏孝教授は「津波は海からの洪水で、激流の中に放り込まれるようなもの。高さが50aの津波でも大人でも立っていられません。高さ1bなら人はもちろん、場合によっては自動車や木造家屋でも海にのみ込まれてしまいます。普通の1bの波とはまったく違います。津波の危険性のある沿岸部では、地震が起きたり、警報が出たりした時にはすぐに鉄筋コンクリートの建物の3階以上や高台などに逃げ、警報が解除されるまでは避難を続けてほしい」と注意を促します。


(2010年3月7日)
 
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