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2018年1月16日付
大地震が兵庫県などをおそい、6434人が亡くなった「阪神・淡路大震災」から、あす17日で23年です。つらい体験を、未来の防災に役立てようと語る人たちがいます。小学1年生のときに兵庫県神戸市長田区で被災し、弟2人を亡くした会社員の柴田大輔さん(30歳)は、「弟たちは生きる力をくれる存在」といいます。(中塚慧)
1995年1月17日、午前5時46分。柴田さんは、自宅1階の和室で両親と弟の宏亮さん(当時3歳)、知幸さん(当時1歳)と寝ていました。「ゴーッという音が聞こえたと思ったら、下からつき上げられ、宙にうきました」。その瞬間、2階が落ちてきて、全員身動きが取れなくなりました。「地震の意味がわからず、ウルトラマンの怪獣が来たのかと思った」
お父さんがとっさに布団をかぶせてくれて柴田さんは助かりましたが、弟2人はたんすの下敷きに。宏亮さんの泣き声が聞こえます。「泣き方がちがった。相当痛かったんちゃうかな」。1時間ほどして、その声も聞こえなくなりました。
ガスがもれるにおい、近所の人の「助けてくれ」という叫び声……。ニュースを見てかけつけた伯父さんが、工具などで畳やベニヤ板に穴を開け、下にいる柴田さんを救出したときには、発生から6時間たっていました。お父さんは8時間、お母さんは12時間閉じこめられました。「外に出たとき、自分の家とは思えなかった」。弟2人を残し、家は焼けました。
母は死にそうな状態で助けられ、入院。柴田さんは一人、余震におびえながら避難所で過ごしました。お父さんと再会できたのは、1週間後です。自宅の焼け跡で、顔立ちに弟の面影を残す遺体も見ました。そばには、宏亮さんが好きだった仮面ライダーの人形がありました。身を寄せたおばあさんの家で弟たちのお骨と過ごすのは、「たまらなかった」といいます。
親類宅や仮設住宅へ引っ越すたびに転校し、「お父さんとはなれたら、またひとりぼっちになる」と思い、学校に通えなくなりました。担任の先生は自宅に来て、校長先生は校長室で勉強を見てくれました。ふさぎこんでいたところをボランティアの学生に外に連れ出してもらい、いっしょに遊んで「勇気をもらった」。
18歳のとき、「自分も誰かを助けたい」と地域の消防団に入りました。働きながら地域の見回り活動などを続けています。2016年に震災の語り部グループ「語り部KOBE1995」から声がかかり、加わることに。「自分の経験が、未来の防災に生きるなら」という思いからでした。母校の中学校のほか、去年は東京で、東日本大震災の被災者とともに体験を語りました。
子どもたちに伝えたいのは、助け合うことの大切さです。救い出してくれた伯父さん、勉強を見てくれた先生、外で遊んでくれた学生。「災害のときは、一人では何もできない。誰かがおって、やっと何かができる」
いまも1月17日が近づくと、弟たちが夢に出てくるといいます。「2人の分も生きなあかん。いつも力をくれる存在です」。あす17日には、神戸市中央区の東遊園地で開かれる「阪神淡路大震災1・17のつどい」(午前5時~午後9時)に家族で行き、手を合わせます。
記事の一部は朝日新聞社の提供です。