朝日中高生新聞
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東日本大震災6年 いつかふるさとで会おう

2017年3月12日付

原発事故で避難区域になった福島・浪江町出身の高校3年生

 2011年3月の東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故の影響で、福島では8万人が避難を続けています。避難区域の一つ、なみ町出身の高校3年生は今月、卒業式を迎えました。原発事故の直後、中学校に入学。転校を繰り返すなど原発事故に振り回されました。この春、町の一部の避難指示が解除されるなか、それぞれの道を歩みます。(猪野元健)

休校、「最後」の卒業生
「生きてるうちに1回は」

 浪江町から50キロほど離れたほんまつ市に移り、授業を続けてきた福島県立浪江高校しま校。生徒は震災前の約50人から12人に減り、今年度で休校します。最後の卒業生の一人、しばさんは「家族や友達、先生の支えがなかったら、ここまでたどりつけなかった」と、この6年を振り返ります。
 柴田さんは津島校があった浪江町津島地区出身。地元で高校まで通うつもりでしたが、原発事故でその道は閉ざされました。親戚がいる栃木県に避難。現地の中学校に入学した日、空きがなかったという福島県の中学校から「受け入れられる」と連絡があり、すぐに転校の手続きをしました。
 中学校は計3校に在籍しましたが、授業にはほとんど出られませんでした。次々と変わる生活についていけず、人間関係を築くことがつらく感じたといいます。
 「地元にあった高校に入学し、卒業したい」と浪江高校津島校を選びました。小学校の友達はばらばらになり、津島校でも同じ地区出身の同級生はいません。最初はクラスにまとまりがなく、高校生活も不安でした。
 しかし、学校行事を通じてクラスメートと少しずつ打ち解け、唯一の津島出身者として伝統を受け継ぐ責任感を持つように。さらに生徒会長として、学校を引っ張りました。「3年生のときのスポーツ大会は、みんなで肩を組んで応援して一つになった。このメンバーと離れたくないと思った」
 この春、福島市内の短期大学に進学します。「たくさん助けられたから、将来は人の役に立てる仕事に就きたい」
 津島地区は放射線量が高く、避難指示は4月以降も続きます。「生きているうちに1回は戻れたら……」

 浪江町にあったもう一つの高校、県立浪江高校(現在はもとみや市)も原発事故の影響で休校します。1日にあった卒業式で、浪江町出身のきくあすみさんは「一緒に入学した14人全員で卒業できたことを誇りに思う」と話しました。2年前に生徒募集を停止したため、卒業式に在校生はいませんでした。

卒業証書や花束を手にする、福島県立浪江高校の3年生の写真
卒業式を終えた福島県立浪江高校の3年生。「別れの言葉」を述べた菊池あすみさん(後列右から3人目)にも笑みがこぼれました=どちらも3月1日、福島県本宮市

卒業証書を受け取る柴田結美さんの写真
卒業式で卒業証書を受け取る県立浪江高校津島校の柴田結美さん

仮設の学び舎、心に刻み

 小学生の時に想像していた高校生活とは違ったと菊池さんはいいます。家の近くにあり、あこがれだった浪江高校。震災後、避難生活を送るなか、高校のことまで考えられなくなりましたが、中学3年生の時に「浪江高校が休校する」と聞いて、入学したいという思いが強くなりました。
 浪江町から50キロ離れた県立もとみや高校の一角に移った浪江高校。仮設の校舎では音が響きやすく、授業中も隣の教室の声が聞こえます。教室が少ないため、音楽や美術の授業は本宮高校の教室を借り、運動会は地域の体育館で行われました。
 菊池さんは「校舎内でも夏は暑く、冬は寒い。でも友達と過ごすことで、不便なことは気にならなくなった」と振り返ります。
 卒業式で卒業生を代表し、「別れの言葉」を述べました。仮設校舎について「まなは解体されますが、私たちの心にしっかり刻み込まれた」と語り、「一人ひとり成長し、笑顔でまた、私たちのふるさと、浪江の町で会おう」と締めくくりました。
 夢のネイリストになるため、仙台市内の専門学校に進学します。

カウンセラーになる
孤独の中、見つけた夢

 浪江町の教育委員会によると、震災が起きた2010年度の小学6年生は230人。今年度の浪江高校と浪江高校津島校の高校3年生で浪江町出身は10人。ほとんどは避難先の別の高校に進学したことになります。
 こおりやま市のしょう高校3年のよこやまさんもその一人。浪江町から離れても、ふるさとへの強い思いを持ち続けています。
 親戚がいる郡山市に避難し、入学した中学校の1学年は180人ほど。通っていた小学校の全児童の約2倍でした。「誰も知っている人がいない。積極的なタイプではないので、顔が真っ青になった」。高校にはなじみ、楽しく過ごしてきましたが、原発事故のことを話す機会がなく、浪江町出身だと伝えていません。「周りの人には郡山出身と思われているんじゃないかな」
 一方で、生まれ育った浪江町うけ地区のことを伝えていきたいと、関東の大学生を案内したり地域に伝わる踊りを続けたりしています。沿岸部にある請戸地区は津波でほとんどの建物が流され、原発事故の被害も受けました。「震災で起こったこと、請戸のことを忘れてはいけないと思うんです」
 この6年間、つらいことはあったけれど、平和に過ごしていたら得られなかったこともあったと考えています。孤独だった中学1年生の時、カウンセリングを受けて、心が落ち着きました。被災者に寄り添えるような大人になりたいと、夢を見つけました。カウンセラーを目指し、仙台市内の大学で勉強します。

 【東日本大震災と東京電力福島第一原発事故】

 2011年3月11日、東北の三陸沖でマグニチュード9.0の地震が発生。最大震度7を観測し、巨大な津波によって、岩手、宮城、福島の3県を中心に大きな被害が出た。警察庁によると、死者1万5893人、行方不明者は2554人(3月1日現在)。
 福島では津波が福島第一原子力発電所を襲い、大量の放射性物質が外にもれた。現在は8市町村の約5万6千人に避難指示が出され、この春に4町村、約3万2千人に対して解除される。
 復興庁によると、避難者は全国に約12万3千人いる。このうち原発事故が起きた福島からが約8万人。岩手、宮城、福島では1月末現在、仮設住宅に暮らす人が7万1113人にのぼる。

県立浪江高校の仮設校舎の外観写真
県立浪江高校の仮設校舎=福島県本宮市

ふるさとに伝わる踊りを披露する横山和佳奈さんの写真
浪江町の住民が暮らす仮設住宅で、ふるさとに伝わる踊りを披露する横山和佳奈さん=2月19日、福島市

ガラスのなくなった窓から校舎の中を見る横山和佳奈さんの写真
昨年夏、津波で被災した母校・浪江町立請戸小学校を訪ねた横山さん=福島県浪江町

福島県の地図。福島市、郡山市、本宮市、二本松市、浪江町が強調され、福島第一原発の場所が示されている。

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