朝日中高生新聞
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前を向き、共に未来へ

2016年10月16日付

熊本地震から半年

 最大で震度7を記録した熊本地震から14日で半年がたちました。犠牲者は約110人にのぼり、家屋の倒壊や橋の崩落など被害の爪痕はいまも深く残っています。8日には、阿蘇山の爆発的な噴火にも見舞われた熊本。被災地は震災前の日常にほど遠い状況ですが、中学校の生徒たちは前を向いて、復興の道を一歩ずつ進んでいます。(猪野元健)

学校に行ける幸せ、かみしめ

橋の崩落で宿舎生活の生徒も 南阿蘇中学

 10月上旬、みなみ村立南阿蘇中(生徒数261人)。授業後、スクールバスに乗った生徒8人が向かったのは、約8キ  ロ離れた通信制の高校です。震災で通学が困難になったため、空いた宿舎を借りて生活しています。
 「もう慣れましたね」。宿舎で暮らすしらいしはるさん(3年)は、別の中学校に移れば自宅から通えましたが、「友達と離れるのは嫌だった」。よねおかむつさん(3年)は「塾に通えなくなって残念」と話し、大部屋に集まった仲間と中間テストの勉強に打ち込んでいました。
 自然豊かな南阿蘇村は最大で震度6強の揺れに襲われました。犠牲者は17人、全壊と半壊を合わせた家屋の被害は1382棟。幅約200メートル、斜面700メートルに及ぶ大規模な土砂崩れで阿蘇大橋(全長約200メートル)が崩落しました。
 南阿蘇中は村で唯一の中学校。三つの学校が統合し、4月8日の開校式の約1週間後、地震が発生しました。中学校は避難所となり、一時は同校の生徒を含む1千人以上が体育館に身を寄せました。橋の崩落による回り道で、通学に車で1時間以上かかるようになるなどした生徒20人が村外の中学校に移りました。
 学校は5月9日に再開。4月は統合したばかりで地元の友達と仲良くする姿が目立ちましたが、学校再開後は声をかけ合い、全員の距離が縮まりました。かわさきふみさん(3年)は「普通に学校に行けることが幸せなんだと気付いた」と振り返ります。
 5月の予定だった初の体育祭は9月に開かれました。多くの住民が集まる中、生徒一人ひとりが作ったパネルを持ち「共に未来に進みましょう」「私達は南阿蘇村が大好きです」などの言葉を発表しました。

将来は人のため

 地震の被害は生徒によって違い、気安く話題にはできません。阿蘇大橋などの復旧はめどが立っていませんが、生徒は前を向いています。ごうさん(3年)は「地域とのつながりや一人ひとりを思う気持ちは強くなった」。父が役場の職員で、地震直後から家を出て村のために奮闘する姿を見ました。「将来、人の役に立つために公務員を目指すのもいいかな」
 南阿蘇中のさかなしまさふみ校長は「村の将来はこの子たちに託されています。震災を教訓に、ふるさとや支援に対する感謝、思いやりのある大人に成長してほしい」と話します。

崩落した阿蘇大橋の写真
崩落した阿蘇大橋

熊本県とその周辺の地図

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