朝日中高生新聞
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東京五輪まで1年

2020年7月26日付

平和な国 めざして走る

 新型コロナウイルスの影響で延期となった東京五輪の開幕(2021年7月23日)まで1年を切りました。五輪・パラリンピックに向けて、アフリカの国、南スーダン代表の陸上選手・コーチ5人が、群馬県前橋市の支援を受けて、同市内で長期の事前合宿をしています。11年に独立した後、部族間の対立が続く国をスポーツの力で平和に――。そんな期待を背負っています。(中山仁)

南スーダンの陸上選手ら 群馬県前橋市が支援

母国にない環境で事前合宿

 「とにかく、ひたむきでまじめ。練習に取り組む姿勢に、南スーダンの選手たちが背負っているものの重さを感じます」。16日午後、前橋市のおうやま運動場でトレーニングを手伝いながら、市スポーツ観光部参事のくわばらかずひこさん(57)が言いました。
 選手は、五輪代表のアクーン・ジョセフ選手(18、男子400メートルハードル)、モリス・ルシア選手(19、女子100メートル)、グエム・アブラハム選手(21、男子1500メートル)と、パラ代表のクティヤン・マイケル選手(29、男子100メートル)の4人。コーチのオミロク・ジョセフさん(59)が同行しています。
 南スーダンは9年前、長い内戦を経てスーダンから独立。世界で一番新しい国です。国は貧しく、独立後も争いが続くため、競技場や用具、食事などの練習環境が整いません。現地で支援する日本の国際協力機構(JICAジャイカ)が、長期事前キャンプの受け入れ先を探し、前橋市が協力を決めました。受け入れ費用は、ふるさと納税制度を利用して全国から寄付を募り、トレーニングの指導や通訳などを市民がボランティアで務めています。

市民との交流も力

 選手・コーチは昨年11月半ばに来日。週に5日か6日、主に王山運動場で約3時間の練習を続けながら、日本語学校で日常生活に必要な言葉も学んできました。正月にもちつきに参加したり、練習のない日に小学校や幼稚園を訪れて子どもたちと交流したり。そうするうちに、買い物に行くスーパーマーケットなどで「がんばって」と市民から声をかけられるようになりました。
 「学校などでの歓迎がうれしかった。帰国したら、前橋の人たちの優しさを自慢したい」とアクーン選手。
 そんな中、新型コロナウイルスの感染拡大で五輪・パラは1年延期に。その決定を知った時のことを、ルシア選手は「もう1年がんばれるか、自信は持てませんでした。周りの人たちの支えもあって、力を伸ばす時間が増えたと気持ちを切り替えました」と振り返ります。政府が緊急事態宣言を出し、練習施設を使えなかった期間、選手たちは川河川敷の広場で自主練習を続けました。

南スーダンの地図

南スーダン】日本の約1.7倍の広さで、人口は約1258万人。60を超える部族が暮らす。人口の約30%を占めるディンカ族と25%ほどのヌエル族が2大勢力。どちらも遊牧民族。独立後、石油の権益や大切な家畜である牛の奪い合いで、武器を手にした衝突が絶えない。今も国民の3分の1にあたる400万人以上が国内外で避難生活を送る。

ランニングをする南スーダンの選手の画像

ウォーミングアップのランニングをする南スーダンの4選手。左からルシア選手、マイケル選手、アクーン選手、アブラハム選手=16日、群馬県前橋市の王山運動場

小学校を訪れて手作りのメダルを受けるルシア選手の画像

2月末、市立総社小学校を訪れて交流。手作りの金メダルを贈られ喜ぶルシア選手(左)=前橋市

スーパーで食事の材料を買う選手たちの画像

スーパーで朝食や休日の食事の材料を買う選手たち=6月、前橋市
(C)朝日新聞社

南スーダン北部の避難民キャンプの画像

南スーダン北部の避難民キャンプ=2018年5月
(C)朝日新聞社

コロナの広がり、心配だけど…

経験を持ち帰ってほしい

 今月18、19日に無観客で開かれた群馬県陸上競技選手権大会(前橋市のしょうしょうスタジアム群馬)に、南スーダン代表の4選手はオープン参加。「競う相手がいるのは、刺激になる。五輪まで、経験できるレースごとに自己記録の更新を目指したい」とアクーン選手は話します。
 市は、1年後まで支援を続けると決定。一方で、東京を中心に新型コロナウイルスの感染の広がりが再び心配され、学校訪問や市民との交流はしにくい状況です。五輪・パラ開催を危ぶむ声もあります。
 通訳の一人、なかむらさん(45)は「私も南スーダンという国について初めて知ることができました。交流がままならないのは、もったいない。選手たちには、五輪・パラの経験と市民との交流で得るものを、いっぱい持ち帰ってほしいのですが」と、もどかしさを口にします。

練習前のミーティングの画像

練習前のミーティング。へッドコーチの吉野宏さん(左端)、通訳の中村亜矢さん(左から2人目)らがボランティアで選手を支えます=16日、群馬県前橋市の王山競技場

若者が競い、応援 気持ち一つに

南スーダンのスポーツ大会「国民結束の日」
年1回 寝食も共に

 独立後の部族間の対立をなくし、平和な国をつくるため、若者が交流するスポーツ大会を開けないか――。南スーダンのスポーツ省から相談されたJICAジャイカは、20歳以下の若者たちが年に一度、ルールを守って競う大会の開催に向けて支援を開始。「国民結束の日」と名付けたスポーツ大会が、2016年1月に初めて開かれました。
 全国12地域のうち9地域から男女350人が首都ジュバに集まり、男女の陸上競技と男子サッカーが8日間にわたり行われました。その後も毎年開催。18年からは女子バレーボールも実施され、12地域全ての代表が参加しています。大会中は、異なる部族の若者が一緒に寝泊まりし、食事のテーブルを囲みます。競技の休養日に、平和な国づくりを考えるワークショップも開かれます。

期待背負い日本へ

 東京五輪に向けて前橋市で練習に励む陸上選手たちは、これまでの「国民結束の日」で好成績を収め、みんなの代表になりました。「彼らを応援することで、国民の気持ちが一つになる。選手たちは、平和の担い手でもあります。日本人の勤勉さや和の心、戦後の復興の歴史なども知り、帰国後に伝えてくれたら」。JICA南スーダン事務所所長のともなりしんさんは、そう期待しています。

感染予防や費用で課題

あらゆる違い 超えられる祭典

 五輪開催に向け、感染予防や延期に伴う費用の発生など、たくさんの課題があります。オリンピック研究が専門の東京都立大学客員教授・ますもとなおふみさん(69)は、計画を見直さざるを得ない難しい状況の一方で、五輪を開催する意味を考え直す機会にもなる、とみています。(小貫友里)

 今大会は世界から1万人以上の選手が参加する計画。選手や関係者、観客の感染予防対策が必須です。約11万人を予定していたボランティアの集め直しや、3千人超の大会組織委員会の人件費、競技や宿泊用の施設が使用できるかなども課題です。組織委はいま、約250の項目に分けて計画の見直しを進めています。
 1年延期で数千億円もの追加費用が発生するといわれています。組織委がスポンサーやチケット販売からの収入でまかなえない分は、基本的に東京都と政府が補償します。
 中止しても、国際オリンピック委員会(IOC)に巨額の放映権料を払う米国のテレビ局や、スポンサーへの違約金がかかるとされ、簡単には判断できません。開催について「今秋が1回目の見通しの発表。来年3月が最終判断」と舛本さん。
 一方で、何のために五輪を開催するのか、今こそ考えてほしいと言います。「他のスポーツの世界大会との違いは、五輪が『オリンピズム』に基づいた平和の祭典であることです」。オリンピズムとは「スポーツを通して体と心を鍛え、人種や国籍、言語、宗教などの違いを超えて、平和な世界を築こう」という五輪の根源にある考え方です。
 2016年のリオデジャネイロ大会(ブラジル)では、難民選手団が結成されました。難民にもスポーツをする権利がある、と五輪を通じて発信しています。「五輪は社会を変えるチャンスになる。新型コロナウイルスに負けず、貧困や差別のない平和な社会を目指すためにも、開催できればいいと思います」

リオ五輪の開会式入場する難民選手団の画像

リオ五輪の開会式で入場する難民選手団。南スーダン出身のロコニエンさんが旗手を務めました=2016年8月5日、ブラジル・マラカナン競技場
(C)朝日新聞社

元陸上選手/五輪メダリスト あさはらのぶはるさん

多くの人に「絆」感じてほしい

 選手たちは、五輪で力を発揮できるよう、何年も前から準備しています。1年延期されたことで、また積み上げていかなくてはならず、精神的なダメージは大きいと思います。
 新型コロナウイルスの影響で練習が十分にできなかったり、試合が開かれなかったりしています。モチベーションを保つのは大変です。しかし、多くの選手は気持ちを切り替え、来年に向けて、がんばっています。周りの人が、集中できる環境をつくることが大切です。
 私は五輪に4回出場しています。100メートルなどで初めて出たアトランタ大会(米国、1996年)のとき「人生の中で特別な経験ができた」と感じました。キン大会(中国、2008年)の400メートルリレーでは、銀メダルを取ることができました(男子の陸上トラック種目で日本勢初のメダル)。
 選手たちには東京大会で、たくさんの応援を受けて、世界各国・地域の選手と競技ができる喜びを味わってほしい。中高生のみなさんにも「チームワーク」や「あきらめない姿」を感じてほしいと思います。
 この大会で、私は兵庫県の聖火ランナーに選ばれていました。「平和と、人々の絆を感じられる大会に」という願いを込めて走りたいと考えていました。
 来年の五輪は、競技の進め方や応援の仕方が今までとは違う形になるかもしれません。それでも、多くの人の心に残る大会になると思っています。
(聞き手・前田奈津子)

あさはら・のぶはる 1972年生まれ、兵庫県出身。大学卒業後、大阪ガス入社。

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