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2020年4月12日付
福島県飯舘村は、東日本大震災による東京電力福島第一原子力発電所の事故で、避難指示の対象となった市町村の一つです。村立の小学校3校と中学校1校を統合した9年間一貫の義務教育学校「いいたて希望の里学園」が開校し、新1~9年生65人の新生活が始まりました。(中山仁)
5日に体育館で開かれた開校式。翌日入学する新1年生7人をのぞく2~9年生が、保護者や来賓に新しい校歌を披露しました。村と20年の交流がある俳人の黛まどかさんが作詞、シンガー・ソングライターの南こうせつさんが作曲した校歌です。
「震災を乗り越え、復興に向かって力強く生きる子どもたちと村の姿を表現しました」。式に出席した黛さんが、四季折々の村の情景をもりこんだ歌詞について説明し、合唱にも加わりました。
♪希望の里いいたて、美しい村いいたて までいに花を咲かせよう
歌詞に3度出てくる「までい」とは、村の人たちが大切にする「ていねいに、心を込めて」という意味の方言です。作詞を依頼された黛さんは昨年秋、小、中学生たちのもとを訪れました。村への思いを尋ねると、みんなが自然の美しさや人の優しさを語り、「までい」を歌詞に入れてほしいと話したそうです。
【東京電力福島第一原発の事故】2011年3月11日の東日本大震災による津波が、東京電力福島第一原子力発電所(福島県大熊町、双葉町)を襲い、原子炉が損傷して大量の放射性物質が外にもれた。福島県内の11市町村に国が避難指示を出し、今なお7市町村に指示が解かれない区域がある。飯舘村も一部に帰還困難区域が残る。
いいたて希望の里学園の校舎
2011年3月の原発事故後、福島県飯舘村は全域が避難指示の対象になりました。村立の草野、飯樋、臼石の三つの小学校と飯舘中学校は避難中、隣の川俣町と、福島市の仮設校舎で授業をしました。村の大半の区域で避難指示が解かれた18年4月から、改築した飯舘中の校舎に4校が同居。小学校3校の子どもたちは一緒に授業を受けてきました。
新しい学校はその校舎を引き継ぎました。村の自然や歴史、暮らしについての学習を積み重ねるなど、9年間一貫した教育で村の未来を担う人を育てる狙いがあります。英語や音楽など一部の教科は5年生から「教科担任制」を取り入れます。
村の復興は道半ばです。避難指示が解除されても村に帰った人はまだ少なく、いま村に住む人は約1400人。住民登録している人の4分の1余りです。
震災前の10年5月、小、中学校4校に合わせて531人いた児童・生徒の多くは戻っていません。希望の里学園に通う65人のうち半数以上は、村外からスクールバスで通うといいます。
開校式には保護者以外の村民たちも招いて、皆で祝う予定でした。しかし、新型コロナウイルスの感染が広がる状況の中、あきらめました。村長の菅野典雄さんは「校名には、震災に遭ってしまった村や村民の大いなる期待や夢が込められている」とあいさつ。ステージに上がり、新しい校旗を受け取った9年生(中3)は「旗の重みは責任の重さ。最上級生として後輩たちを引っ張っていきます」と力強く話しました。
記事の一部は朝日新聞社の提供です。