朝日中高生新聞
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首里城 復興へ高校生が動く

2019年12月1日付

 沖縄県のシンボル、しゅ城(那覇市)の主要な建物が火災で焼け落ちてから、1カ月が経ちました。首里城は、沖縄の歴史や文化を象徴する場所で、県民の宝でした。首里城のことを伝え、再建の後押しをしたいと、これからの沖縄をつくる10代が復興に向けて活動を始めています。(猪野元健)

やばい!と思っているだけでは何も変わらない

募金活動はじめる

 11月23日、首里城公園は多くの場所で立ち入りが制限されていました。2千円札の絵柄としても知られるしゅれいもんをくぐると、主要な建物の中で、焼け残ったほく殿でんの一部が見えます。せい殿でんへと続く門は閉鎖され、火災現場はまだ原因の調査が続いています。沖縄県の人々が宝を失った悲しみは、火災から1カ月が過ぎても癒えません。一方で、火災の直後から前を向いて行動を始めた高校生がいます。
 首里地区出身の高校2年生は「悲しくてやばい!と思っているだけでは何も変わらないと思った」。SNSで「首里城を愛する高校生たち」をキーワードに募金活動をする高校生を探し、11月2日に繁華街の国際通りに立ちました。
 首里城の写真、日本語や英語などで書いたボードを持ち、協力を呼びかけました。1カ月の目標5万円に対して、3日間だけで約53万円が集まり、7日にはたまデニー県知事に「再建のために使ってほしい」と手渡しました。
 この呼びかけは、首里城のために何かをしたいという高校生の受け皿になりました。これまで募金活動は7回行い、高校生約60人が手伝うなど活動の輪が広がっています。
 自宅は、首里城から歩いて数分の距離にあります。火災は10月31日未明に発生。朝起きると家から首里城は見えなくなり、モノレールで通学するときには首里城からの煙が空へと吸い込まれていきました。ショックを受けましたが、この日のうちにインスタグラムに「だれか募金活動しようよ」と書き込みました。一番初めに応じた、中学校の同級生(高校2年)はこう話します。
 「沖縄では多くの人が落ち込み、方言で『マブイ(魂)を落とした』と言われました。地域のおじいちゃんやおばあちゃんだけでなく、みんながそういう状態でした。首里城は、私たちの心のよりどころでした」

首里城を示した沖縄の地図

励まされ、自分へのなぐさめにも

 募金活動には不安もありましたが、「若い子が動いてくれてうれしいよ」「応援しているよ」と励まされたといいます。「首里城のために行動できることは、自分自身へのなぐさめにもなりました」と知念さん。
 活動に加わった高校2年生は「首里城は身近な存在すぎて、中に入ることも少なかった。首里城のことをもっと勉強して、復興に貢献していきたい」と話します。
 3人は、火災から1カ月経った今も「首里城がなくなったのが夢のようだと思う」と口をそろえます。毎週末の募金活動だけでなく、チャリティーイベントの実施など、自分たちにできることを考えていきます。

【首里城と火災】

 沖縄県那覇市の首里地区にある城郭。14世紀の築城と言われ、琉球王国の国王が暮らし、行政機関の本部でもあった。明治新政府によって日本の政治体制に組み入れられた「琉球処分」まで450年間にわたり、琉球王国の政治と文化の中心だった。
 太平洋戦争末期の沖縄戦(1945年)で焼失したが、86年に国が復元を決定。30年かけて全容をほぼ取り戻した。2000年、正殿の地下にある遺構「首里城跡」などが「琉球王国のグスク(城)及び関連遺産群」として世界遺産に登録された。

地下遺構は世界遺産 寄付金10億円超える

 10月31日の未明に発生した火災では、玉座のあった正殿やほく殿でんなん殿でん、番所が全焼し、計7棟に燃え広がり、計約4800平方メートルが焼けた。琉球王国時代のものを含む多くの文化財が焼失した可能性がある。出火原因は電気系統のトラブルとみられている。
 ユネスコ(国連教育科学文化機関)は世界文化遺産としての登録を続ける方針。国は再建へ向けて具体的な計画を検討している。首里城は5度目の火災。再建へ向けた寄付金は現在までに10億円を超えたようだ。

火災前の首里城の写真
火災前の首里城=6月23日、朝日新聞社機から
どれも(C)朝日新聞社

火災で崩れかけている首里城正殿の写真
火災で崩れかけている首里城の正殿=10月31日午前4時33分

火災から1週間が経った首里城の写真
火災から1週間が経った首里城=11月6日、朝日新聞社機から

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