朝日中高生新聞
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北方領土って、どんなところ

2018年9月30日付

中高生が択捉島を訪問

ロシアの若者と交流

 日本の北東端に位置する「北方領土」。日本とロシアとの間で帰属をめぐる問題が、長年続いています。今月、全国から集まった中高生が北方領土の一つ、えとろふ島を訪問し、現地に暮らすロシア人たちと交流しました。現地の様子と、北方領土問題を紹介します。(近藤理恵)

政府の事業に全国から17人

 北海道むろ市の対岸に位置する北方領土は、はぼまい群島、しこたん島、くなしり島、えとろふ島を指します。北方四島とも呼ばれます。「日本固有の領土」というのが日本の立場ですが、第2次世界大戦後からロシア(当時はソ連)が「不法占拠」を続けています。
 日本政府は、日本人がロシアのビザ(入国を許可する証し)を取得し、北方四島に入ることを制限しています。ロシアのかんかつ権を認めることになるからという理由です。
 一方で、1992年から、日本国民と北方四島に暮らすロシア人との理解を深めるため「ビザなし」の交流事業が行われています。主に旧島民や返還要求の運動関係者らが参加します。
 15、16日に択捉島で交流事業があり、全国の中高生17人と学校の先生ら計62人が参加しました。

看板、道路標識…すべてロシア語

「入域手続き」して

 根室港から船で出発し、4時間ほどで着く国後島で、ロシアの国境警備局による「入域手続き」が行われます。さらに8時間かけて択捉島に到着。船から降りると、港のロシア人が手を振って出迎えました。看板や道路標識などはすべてロシア語。舗装された道路や新しい建物もありますが、人が少ない場所では廃虚も目立ちます。携帯電話の電波もロシアの回線になりました。
 今回の目的の一つは、日本の中高生と択捉島に暮らす若い世代のロシア人との交流を深めることです。日本の塗り絵をしたり、土と砂を丸めて磨く「光るどろだんご」やスーパーボールを作ったり、スポーツをしたり。言葉の壁もあり、最初は緊張していた中高生たちも、身ぶり手ぶりでやりとりするうち、笑い合うようになりました。
 少人数にわかれてロシア人島民の家庭を訪問する「ホームビジット」のほか、レストランでの夕食交流会では、小中高生とロシアの伝統的な遊びなども楽しみました。
 夕食交流会に参加したロシア人(16)は「私たちロシア人と日本人が友好的な関係を築くには、若い世代の交流の機会を増やし、お互いを知ることが大切だと思います。今はSNSもあるし、仲良くなる機会は多いはずです」。
 鹿児島市の高校1年生も「島民の方々が明るく迎えてくれてうれしかった。交流から始めて、共生の道を考えていければ」と話しました。

領土問題には踏み込まず

 北方領土の問題に詳しい北海道大学教授のいわしたあきひろさんは「ビザなし交流で領土問題が解決するわけではないが、隣にいる人たちと信頼関係を結ぶことは大切。そうした意味では、ビザなし交流の成果も出ていると感じる」と話します。
 今回の目的は「交流」ということもあり、領土問題について踏み込む場面はありませんでした。あるロシア人の高校生も「日本とロシアには領土問題はない」と言い、両国の主張の違いが浮き彫りになりました。

島の商店街でカメラに笑顔を向けるロシア人の写真
島の商店街でカメラに笑顔を向けるロシア人。島内は新しい建物もでき、開発も進んでいます

水産加工工場で働く労働者たちの写真
水産加工工場で働く労働者たち

択捉島の散布山から朝日がのぼる様子の写真
択捉島の散布山(ちりっぷさん、標高1587メートル)から朝日がのぼる様子

北方領土の地図

進展しない北方領土交渉

譲る気配ないプーチン大統領

 北方領土の問題は、長年、進展がないまま行き詰まっています。今月12日、ロシアのウラジオストクで開かれた東方経済フォーラムで、ロシアのプーチン大統領はしんぞう首相に、日本との平和条約を年内に結ぶことを提案しました。
 条件をつけずに平和条約を結んだ後、「友人として全ての問題を解決していく」とし、領土交渉を先送りする考えをほのめかしました。一方、日本政府は「北方四島の帰属の問題を解決し、平和条約を締結するという基本方針に変わりはない」としています。
 プーチン大統領は北方領土について、「第2次世界大戦の結果、ロシア領になった」との見解を示しており、領土交渉で譲る気配はありません。

「四島は厳しい」

 北海道大学教授のいわしたあきひろさんも「四島の返還は厳しい」と言います。「プーチン大統領は、くなしり島とえとろふ島を返すことは論外だと考えています。もし、平和条約を前提なしに結ぶと、それまでの宣言や協定にとってかわることになります。平和条約後にはぼまい群島としこたん島を日本に引き渡すとした1956年の日ソ共同宣言も、意味がなくなる可能性もあります。そうすると、歯舞群島と色丹島も今後の交渉になり、2島の返還も難しくなってくる。プーチン大統領は2島も、日本に高く売ることを考えています」
 2016年には、北方四島でインフラ整備や栽培漁業などを日本とロシアが共同で行う「共同経済活動」を打ち出しましたが、2年経った今も実現には至っていません。
 岩下さんは「経済活動をするにも、税関や検疫などをどうするかという問題が出てくる。何をするにも領土問題とつながる」と指摘します。「我々が自由に行き来できず、『境界線』がないことが不利益となっています。北方領土は『解決しないこと』が問題なのです」

交流に参加した中高生の声

愛と戸惑いと

 島民の方々が温かく、フレンドリーに接してくれました。
 今回の訪問を通して、私は択捉島が本当に好きになりました。同時に「北方領土を返せ!」と大きな声で言ってもいいものか戸惑いを感じます。領土問題を考え直す良い経験になったと思います。
 (北海道の中学3年生)

見えない壁が

 戦後70年余り続くロシアの不法占拠。町を散策したりロシア人の方たちと交流したりした時、単に言葉が通じないから、というのではなく、何かそこに見えない壁があるように感じました。
 択捉島で現状を見て、両国の人が共に暮らせる新しい場所に変えていく必要があると感じました。(沖縄県の高校1年生)

【北方領土】歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島からなる北方四島の面積は、あわせて約5千平方キロメートルで、千葉県とほぼ同じ。2016年現在、色丹島と国後島、択捉島に1万6668人のロシア人が暮らす。
 日本は遅くとも19世紀初めには四島の支配を確立。1855年の日露通好条約で、日本とロシアの国境を択捉島とウルップ島との間と決めた。
 領土問題が起きたのは第2次世界大戦後。1945年8月14日、日本は「ポツダム宣言」を受けて降伏した。しかし、ソビエト連邦(今のロシア)はしま列島を南下し、9月5日までに北方四島を占領。当時、北方四島には1万7291人の日本人が住んでいたが、ソ連は強制的に追い出し、一方的にソ連領とした。

【日本とロシアの関係】

1855年 日露通好条約。国境を択捉島とウルップ島の間とし、択捉島から南は日本の領土、ウルップ島から北のクリル諸島(北方領土と千島列島のロシア側呼称)はロシア領として確認。からふと(サハリン)には国境を設けないとした
 75年 樺太・千島交換条約。千島列島(ウルップ島より北の18島)をロシアから譲り受ける代わり、ロシアに対し樺太全島を放棄
1905年 ポーツマス条約。ロシアから樺太の北緯50度より南の部分を譲り受ける
 45年 8月から9月、ソ連が北方四島を占領
 51年 サンフランシスコ平和条約。日本は千島列島と南樺太を放棄したが、帰属先は定めていない。ソ連は協約署名を拒否したため、ソ連との平和条約は結ばれず
 56年 日ソ共同宣言。日本とソ連の国交が回復。平和条約の締結後に歯舞群島と色丹島を日本に引き渡すことなどを決める
 91年 日ソ共同声明。北方四島が平和条約において解決される問題であることが初めて文章で確認される
 93年 東京宣言。四島全体が交渉対象と確認

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