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2015年4月12日付
アメリカ、イギリス、ドイツなど6カ国とイランは、イランの核問題解決に向けた「枠組み」で合意したと発表した。イランが10年以上は核兵器が造れないレベルまで核開発の能力を制限し、国際原子力機関(IAEA、本部オーストリア・ウィーン)の強制的な査察受け入れを実行すれば、アメリカや欧州連合(EU)などがイランに科している制裁を解除する。6月末までに「最終合意」の実現を目指す。
【イランの核開発問題】イランが「濃縮ウラン」をつくる施設を建てていることが2002年に発覚。濃縮ウランは核兵器の原料にもなるため、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、ロシア、中国の6カ国がやめさせようとしている。イランは「原子力発電所の燃料を作る」としているが、立ち入り検査には協力していないため6カ国は原油取引をやめるなどの経済制裁を科してきた。
喉頭がんの治療で療養していた音楽プロデューサーのつんく♂さん(46)=写真=が、母校の近畿大学(大阪府東大阪市)の入学式にゲスト出席。スクリーンに「一番大事にしてきた声を捨て、生きる道を選びました」というメッセージを出し、声帯を摘出したことを明らかにした。
つんく♂さんはロックバンド「シャ乱Q」のボーカルで、アイドルグループ「モーニング娘。」のプロデューサーとしても活躍している。
(C)朝日新聞社
米大リーグが開幕。ヤンキースの田中将大投手(26)は6日のブルージェイズ戦で開幕投手を務めたが、黒星を喫した。
菅義偉官房長官と沖縄県の翁長雄志知事が、那覇市内で会談した=写真。会談は、翁長氏が昨年11月の県知事選で当選して以来初めて。菅氏は米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設工事を引き続き進める考えを伝達。翁長氏は「辺野古の新基地は絶対に建設することができないという確信を持っている」と譲らず、会談は平行線のまま終わった。
(C)朝日新聞社
被爆地・広島の世界遺産「原爆ドーム」=写真=が、前身の「広島県物産陳列館」の名で1915年4月5日に完成してから、100年となった。
【原爆ドーム】チェコ出身のヤン・レツルが設計。ドーム屋根の洋館では博覧会や美術展がよく開かれ、市民に親しまれた。45年8月6日の原爆投下で爆風をほぼ真上から受けたが、ドーム屋根の鉄骨や外壁などの一部は倒壊を免れた。96年に世界遺産に登録された。
(C)朝日新聞社
文部科学省は、2016年度から中学生が使う教科書の検定結果を公表した。
社会科の検定基準が変わって初めての検定で、中国、韓国と領有権をめぐって対立している尖閣諸島(沖縄県)と竹島(島根県)についての記述は、今回から20冊すべての教科書に入った。前回の検定では半分ほどにとどまり、文科省は明記するように求めていた。
東日本大震災については、初めて全教科に掲載。20年に開催される東京オリンピックについての話題は、保健体育ではすべての教科書が取り上げた。
【教科書検定制度】学校教育法の「教科書は国の検定を受ける」との決まりに基づく制度で、大学教授らからなる教科用図書検定調査審議会が、文部科学省の担当者の意見も参考にして直すべき点を指摘。出版社が直した後に、大臣が合格かどうかを決める。
外務省が2015年版「外交青書」を公表した。戦後70年間の歩みを振り返る項目を冒頭に設け、「先の大戦の深い反省」を明記した。一方で、日本が戦後に行った国際貢献を強調し、安倍晋三政権の「積極的平和主義」を前面に打ち出した。
【外交青書】国際情勢や日本の外交活動についてまとめた文書で、他の省庁が出している「白書」にあたる。1957年以来毎年発行。表紙が青色なので「青書」。初めて発行した際に参考にした英国議会の報告書の表紙が青色だった。
全国の書店員が一番売りたい本を投票で選ぶ「第12回本屋大賞」が発表され、上橋菜穂子さん=写真=の小説『鹿の王』に決まった。
「野犬」にかまれて不思議な力を持つようになった奴隷の男と、ある疫病のなぞを追う医術師が、故郷や人々を守ろうと奮闘する長編ファンタジー。上橋さんは授賞式で「多くの読者の方に、本って面白いよと伝えることができたら」とあいさつした。
成田空港に、格安航空会社(LCC)専用の第3ターミナルが開業した=写真。
建設コストを抑えるため、天井は仕上げをせずむき出し。早朝便にも対応できるよう約450席あるフードコートは午前4時から営業する。飛行機に乗る搭乗橋はなく、いったん地上に下りて階段で乗り込む。
(C)朝日新聞社
天皇、皇后両陛下が太平洋戦争の戦没者を慰霊するため、パラオ共和国を訪れた。慰霊を主目的とした外国訪問は、戦後60年にあたる2005年のサイパン訪問以来2回目。
両陛下は9日、日米軍が死闘を繰り広げたペリリュー島に渡り、「西太平洋戦没者の碑」に白菊の花を供えた。
【ペリリュー島】南北約9キロ、東西約3キロの小島だが、フィリピンの近くにあり、パラオ諸島で唯一大型飛行機が着陸できる滑走路もあったため太平洋戦争当時、米軍が重要拠点として攻略を急いだ。日本軍は持久戦に持ち込んでフィリピン決戦を遅らせようとしたが、結局1万人を超す死者を出した。
(C)朝日新聞社
日付は現地時間 記事の一部は朝日新聞社の提供です
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