- 日曜日発行/20~24ページ
- 月ぎめ967円(税込み)
←2020年3月16日以前からクレジット決済で現在も購読中の方のログインはこちら
2015年11月1日付
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題をめぐり、沖縄県の翁長雄志知事が、名護市辺野古沖の埋め立て承認を取り消した。国は辺野古移設を進めるためにすぐさま対抗措置をとるなど、互いに譲る気配はなく、国と県の対立は深まるばかりだ。
「あらゆる手段で辺野古に新基地は造らせない」。承認を取り消した10月13日の記者会見で、翁長氏は国と全面対決していく決意を強調した。
日本の法律では、海や川は公共の財産とされ、国であっても都道府県知事の承認がなければ勝手に埋め立てられない。国は2013年3月、県に埋め立て計画を申請。仲井真弘多・前知事が同年12月に計画を承認した。
その仲井真氏を破って知事になった翁長氏にとって、埋め立て承認を取り消すことは「辺野古反対」を目指す「最大の切り札」だった。国は法的根拠を失い、このままでは移設計画を進められなくなった。
このため、国もすぐさま法的手段で対抗。石井啓一国土交通相は10月27日、取り消しの効果をとりあえず止める「執行停止」を決定した。さらに、翁長氏に取り消し処分の取り消しを求める「代執行」の手続きに入る方針を表明した。29日には埋め立て本体工事に着手した。
最終的に法廷闘争に発展する可能性が高く、当面は、手続きの正当性をめぐって国と県が争う事態が続きそうだ。
そもそも、なぜ普天間飛行場は移設することになったのか。きっかけは1995年、沖縄で起きた米兵による少女暴行事件だった。
沖縄は戦後27年間、米軍に支配された歴史を持つ。日本に復帰して20年以上たった時に起きた事件は、沖縄に相変わらず米軍基地が集中する現実や、捜査のやり方の一部が制限されるといった日米地位協定の不平等性を浮き彫りにした。
同年10月に開かれた県民大会には約8万5千人が参加。慌てた日米両政府は96年4月、普天間飛行場の返還に合意した。
普天間飛行場は、宜野湾市の面積の4分の1を占め、周囲を市街地に囲まれており、「危険だ」との声が地元から上がる。
国は、沖縄本島北部の辺野古の約160ヘクタールを埋め立てて2本の滑走路を造り、そこに普天間の機能を移す計画を推し進める。沖縄では受け入れをめぐって曲折を繰り返し、14年の名護市長選、知事選、衆院選などではいずれも辺野古反対派が勝利した。
国は辺野古移設は「米国と約束したこと」として見直す考えはない。県も「反対は県民の民意」として譲らない。来年、宜野湾市長選や県議選など「普天間」が争点になる選挙が続くが、民意が注目される。
翁長氏はまた、「沖縄でこれから起きることを見て、国民全体で考えてほしい」とも訴える。国土面積の0.6%の沖縄県に、米軍専用施設の74%が集中する現状をどう考えるか。国際情勢が複雑化する中、基地負担を誰が引き受けるのか。地方自治や民主主義のあり方を問いかけている。
市街地の中にある米軍普天間飛行場=沖縄県宜野湾市
どれも(C)朝日新聞社
辺野古の埋め立て承認を取り消した沖縄県の翁長雄志知事=10月13日、那覇市
移設予定地の空撮写真と滑走路の建設予定図=沖縄県名護市辺野古
解説者
上遠野郷
朝日新聞那覇総局
記事の一部は朝日新聞社の提供です。