朝日中高生新聞
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大山古墳、宮内庁と堺市が初の共同調査

2018年12月2日付

 大阪府さかい市にあり、日本で一番大きい前方後円墳、だいせん古墳(伝にんとく天皇陵)で、宮内庁と堺市が10月末から初めて共同で発掘調査をしている。古代の天皇の墓として厳重に守られ、過去にほとんど調査されたことがない巨大古墳のナゾの解明にどれだけつながるか。注目が集まっている。

被葬者の権力の大きさがうかがえる円筒埴輪や石敷き出土

仁徳天皇の墓か否かは、わからず

 調査場所は、鍵穴のような形の古墳本体(ふんきゅう)を三重に囲むほりのうち、いちばん内側の第1濠と第2濠の間の堤だ。
 宮内庁は将来、濠の水のによって堤や墳丘が崩れないように補強する工事を考えていて、今回の調査では、堤の土の中の様子を確かめたいとしている。
 11月22日には記者や学者に現場が公開された。大山古墳は日本書紀で4世紀末に亡くなったといわれる仁徳天皇の墓として、普段は立ち入りが厳しく禁止されており、宮内庁が公開するのはとても珍しい。
 現場の堤には9カ所のトレンチ(溝)を掘った。このうち、2番目の濠に近い3カ所の深さ20~40センチのところから、直径約35センチの円筒はにが4、5本並んでいたのが確認された。まわりにはこぶしぐらいの大きさの石が敷きつめられていた。
 円筒埴輪は、この古墳がつくられた5世紀ごろのものとみられ、宮内庁は「堤の端にずらっと並べられていた」とみている。堤の長さは約2600メートルあるので、計算上は7千本ほどあった可能性がある。埴輪や石はたくさんの人に運ばせたはずだ。古墳にほうむられている人の権力の大きさがうかがえる。
 現場で見つかった埴輪の破片、敷きつめられていた石はどれも、特に珍しい種類ではなかった。
 古墳に葬られているのが本当に仁徳天皇なのか、学者の間でさまざまな意見があるが、今回の調査で決め手が見つかるのは難しそうだ。

「世界遺産登録とは無関係」と宮内庁、「親しむ契機に」と堺市

学術調査を求める声が高まりそう

 大山古墳の墳丘は長さ486メートル、高さ35.8メートル。敷地の面積は46万平方メートル(阪神甲子園球場12個分)あり、墓としては、中国のこうてい陵やエジプト・クフ王のピラミッドを上回る広さだ。
 大阪府内には大山古墳と関係がありそうな古墳がほかに90近く残っていて、「百舌鳥もずふるいち古墳群」と呼ばれている。政府は、権力者の墓としては世界でも珍しいとして、世界文化遺産に登録するよう、国連機関に推薦している。
 宮内庁は、今回の調査は世界文化遺産登録とは関係ない、としている。堺市は、普段立ち入れない古墳に市民が親しみを持つきっかけになればと期待している。
 大山古墳をはじめ巨大な古墳の中には、古代の日本を支配していた権力者のことを知るさまざまな資料が眠っているとみられる。しかし、そのほとんどを皇室の墓として管理している宮内庁が、学者による学術調査を基本的に認めていないため、解明は進んでいない。
 「世界文化遺産になれば、世界中の人類の宝になる。しっかり学術調査をすべきだ」という声が今後さらに高まりそうだ。

大山古墳の写真
大山古墳(伝仁徳天皇陵)=大阪府堺市堺区、朝日新聞社ヘリから
どれも(C)朝日新聞社

大山古墳の堤調査の図

大山古墳の発掘調査で出土した石敷きの写真
大山古墳の発掘調査で出土した石敷き=11月22日

加戸靖史記者の写真

解説者
やすふみ
朝日新聞大阪本社社会部記者

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