サイエンス・ポット


大学院での研究のこと、中学生時代に興味を持っていたことなどを語ります。

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答えを「形」と「機能」で導くと…
加村啓一郎(理化学研究所 研究員)
(朝日中学生ウイークリー 2011年3月13日号から)

 

イラスト・松尾 萌

(東京大学大学院理学系研究科博士課程

  自分の部屋におしゃれないすが欲しい。そう思って、家具屋で下見をしてきました。ふかふかのソファーからロッキングチェア、シンプルな丸いすまで、1日では見きれないほどのいすがありました。同じいすでも色や大きさ、材質など形はさまざまです。極端な話、座ることができれば、階段でも道端の石でもいすになります。座るという「機能」があれば、どんな「形」であってもいすになるのです。逆に、いすの形をしていても、使い方によって機能は変わります。ソファーで寝ればベッドになりますし、高い所の物を取る時にいすの上に立てば踏み台に変わります。
ある物について知りたい、研究したい。そういう時は「形」と「機能」に着目します。例えば、遺伝子。DNAという物質でできた細長いひも状の形をしています。そこにはタンパク質の設計図が書き込まれていて、体をつくる機能があります。
そして、いすにもさまざまな形や機能があったように、研究でもさまざまな形や機能を考えることで新しい発想が生まれてきます。例えば、遺伝子と同じ機能をDNA以外の別の物質で作ろうという研究があります。逆に、DNAを別の機能、コンピューターとして使おうという研究もあります。身近な物でも、機能は同じなのに形が違う物、もしくは同じ形なのに機能が違う物を考えてみると、頭の体操になります。
「○○とは何か?」という質問があったら、これからは形と機能の2つの答えを考えてみてください。さらに、これを英語でやってみましょう。英語で聞かれたら、日本語の訳を答えるのではなく、英語で形と機能を説明するのです。とても良い英語の勉強になりますよ。

「時間」と「空間」が考え整理の鍵
加村啓一郎(理化学研究所 研究員)
(朝日中学生ウイークリー 2011年3月6日号から)

 

イラスト・松尾 萌

(東京大学大学院理学系研究科博士課程

 みなさんは勉強がはかどらない時、どうしていますか? ちょっと休憩、というのも1つの手ですが、今やらなければという時には僕は別の場所に行きます。図書室や喫茶店などでやるだけで、急に仕事がはかどります。同じ時間でも場所が変わると気分が変わります。小学校の時、普段は自分の教室で食べている給食を、別の空き教室で食べる行事がありました。場所が変わるだけで何だか特別な給食を食べているみたいでわくわくしました。
逆に、同じ場所でも時間が変わると雰囲気が変わります。それをうまく利用したのが印象派画家のモネ。『睡蓮』や『積みわら』という作品は美術の教科書などで一度は見たことがありますよね。モネは同じ景色を朝夕や季節を変えて、何枚も描いています。昼間教室から見える景色も、早朝や夕暮れ時に見ると別の景色に見えますよね。
「時間」と「空間」(場所)、この2つは対になる考え方。科学の世界でもよく使われます。僕が研究している発生生物学もその1つ。卵について、受精してから産まれるまでの時間的変化と、丸い形から複雑な体ができるまでの空間的な変化を調べます。
科学の世界以外でもよく使われます。例えば、社会を時間的に見るのが歴史、空間的に見るのが地理です。人口変化の問題を、時間的に見ると少子化・高齢化がありますし、空間的に見ると都市への集中や中国、インドなど新興国での急激な増加が思い付きますね。
「時間」と「空間」のように、対になった2つの考え方を知っておくと、考えを整理したり、新しい発想を生み出す時に役立ちます。次回以降も、この対になった「ものの見方」を紹介していきます。

「仮説」を「検証」繰り返して発見 

加村啓一郎(理化学研究所 研究員)

(朝日中学生ウイークリー 2011年2月27日号から)

 

イラスト・松尾 萌

(東京大学大学院理学系研究科博士課程

 花粉症の春。毎年この季節は嫌ですね。でも、僕も中学生の時は平気でした。気になりだしたのは大学生になってから。鼻水やくしゃみが出るので、最初はただの風邪だと思っていました。ところが、目もかゆくなり、もしかして花粉症かも、と耳鼻科に行くとやっぱり花粉症でした。
もしかして○○かも。これは科学の世界でとっても大切な考え方。最初に自分で考えて答えを予想しておくことを「仮説」を立てるといいます。予想した答えの通りかどうか調べることを「検証」するといいます。目がかゆくて鼻がむずむずするのに内科でインフルエンザの検査を受けても、反応はないはず。耳鼻科に行って、花粉症の検査を受けた方がいいですよね。今分かっている情報から適切な仮説を考えることで、やみくもに確かめるのではなく、的確な検証ができます。
フランスの天文学者ルヴェリエは19世紀、天王星の外側にも惑星があると考え、計算によって位置を予測しました。そこで、実際に観測すると、その通り海王星が見つかったのです。無数にある星の中から目的の星を見つけるのは大変ですが、仮説を立てることでそれを可能にしたのです。
作文や小論文を書く時も同じです。まず自分で考えて仮の結論(仮説)を決めます。そしてその仮説を証明するために必要な情報を本やインターネットで調べるのです。手当たり次第調べるよりもずっと早く答えが出せるはずです。調べていくうちに仮説が間違っていたことに気付けば、新しい仮説を考え直します。
実は、ルヴェリエは水星の内側にも惑星があると予測しました。しかし、こちらは今も見つかっていません。仮説はいつも正しいとは限りません。仮説と検証の繰り返し、これが研究の大事なプロセスです。

「巨人の肩」借りれば見えるんだ

加村啓一郎(理化学研究所 研究員)

(朝日中学生ウイークリー 2011年2月20日号から)

 

イラスト・松尾 萌

(東京大学大学院理学系研究科博士課程

 大学生の時、登山サークルに入っていました。登山の魅力は、何と言っても頂上に着いた時の達成感。そして、頂上から見渡す雄大な景色です。周りには木々の緑で輝く山々が広がり、下を見ると今まで歩いてきた登山道がくねくねと白く伸び、山小屋の赤いトタン屋根が目立ちます。
  高いところに登ると周囲の景色がよく見え、新しい世界が見えてきます。これは研究の世界でも同じ。ニュートンの有名な言葉にこんなものがあります。「もし私が他の人よりも遠くを見ているとしたら、それは巨人の肩の上に立っているからだ」これは、学問は先人の多くの研究の上に成り立っている、ということです。「巨人」は先人の研究の例えですね。ゼロから全て自分でやろうとすると大変ですが、「巨人の肩の上」にまず登ると、遠くが見えて新しい発見ができるのです。
  再生医療の切り札として期待のiPS細胞。体のどんな組織にもなれるこの万能細胞は2006年に日本で作られました。でも、iPS細胞の研究は、30年前に作られたES細胞という巨人の上に立っています。さらに、ES細胞の研究も、アリストテレスの頃から続く発生生物学というさらに大きな巨人に乗っているのです。
  みなさんは今、教科書を読んで勉強していますね。それは、今まさに「巨人の肩の上」に登っているところなのです。なんで勉強なんかしなきゃいけないの、と思ったことはないですか? それは、大人になった時に、遠くが見えるように、周りの景色が楽しめるようにするためなのです。
  でも、頂上を目指すことだけが目的ではありません。途中で花を見て、お菓子を食べることも登山の楽しみであるように、勉強も楽しめるといいですね。

「再現性」で科学的な正しさ証明 

加村啓一郎(理化学研究所 研究員)

(朝日中学生ウイークリー 2011年2月13日号から)

 

イラスト・松尾 萌

(東京大学大学院理学系研究科博士課程

 去年の年末に高校のクラスの同窓会がありました。10年ぶりの再会でしたが、すぐに打ち解けて会話が弾み、終電も無くなってしまいました。そこで、朝までダーツをすることにしました。矢を的に当てるだけの単純なゲームですが、初心者の僕では、狙った所になかなか当たりません。たまに思い通りの所に当たると、自分はダーツの天才かもと大喜び。でも、2回は続かず、偶然だったのかとすぐ落胆です。上手な人はコツをつかんでいて、狙いを外しません。何度投げても同じ所に当てるのです。
何度やっても同じ結果を再現できる。これを「再現性」がある、と言います。科学的に正しいことを証明するためには、再現性があることが重要になります。
例えば、「明日天気にな〜れ」とげたを蹴り上げて、表なら晴れ、裏なら雨という天気占いがあります。たまたま当たることはあっても、再現性はなく、科学的に正しいとは言えませんね。では、天気のことわざはどうでしょう? 「夕焼けの翌日は晴れ」は科学的にほぼ正しいです。日本の上空では西から東に偏西風が吹いているので、西の空が晴れていれば翌日は晴れるのです。昔の人は、気象学の知識がなくても、毎日の天気を見て再現性のある法則を見つけ、ことわざにしたのです。
みなさんも、1度の結果や1人に聞いた話だけで判断せず、何度か試す・自分で試す・たくさんの人に聞くなどをして、本当に同じ結果になるか、科学的に考えてみるといいですよ。
ところで、友達との出会いは何度もあるものではありません。中学校・高校の友達はかけがえのない
一生の宝物になります。一期一会、その時々の出会いを大切にしてくださいね。

「観る」ことで「わかる」につながる
加村啓一郎(理化学研究所 研究員)
(朝日中学生ウイークリー 2011年1月30日号から)

イラスト・松尾 萌

(東京大学大学院理学系研究科博士課程)

 放課後、友達と話しているといつの間にか外は真っ暗、なんてことありませんか? なぜ時間を忘れて遅くまで話してしまうのでしょう。楽しくて夢中だから? もちろんそれもあります。でも、僕の答えは、時間が目に「見えない」からです。見えないものを意識することはとても難しいことです。しかし、時計を見れば時間を意識できるように、見えないものが見えるようになれば今までわからなかったことがわかるようになります。

 科学の世界では「見える=わかる」につながります。一見何もいない池の水も、顕微鏡で見ればミジンコなどの微生物がいることがわかりますし、月を望遠鏡で見ればクレーターがあることがわかります。ノーベル賞の研究にも見えないものを見えるようにした研究がたくさんあります。3年前にノーベル化学賞を取った下村脩さんは、GFPという光るタンパク質を発見しました。GFPを使うと体の中のタンパク質が光って見え、働きがわかります。タンパク質が見えるようになって生物学や医学は大きく進歩しました。
みなさんも理科の授業で観察をしますよね。「観る」と「見る」の違いはわかりますか? 「観る」には、考えて見る、工夫して見るという意味があります。ただボーっと見ているだけでは理解につながりません。
例えば、好きな人が自分のことをどう思っているのか知りたい。でも、眺めているだけでは気持ちは目に見えません。そこで、気持ちを「観て」みましょう。自分と会った時、話している時のその人の表情や行動、手紙やメールの言葉を見れば、少しずつその人の気持ちがわかってくるはずです。
何かを知りたいと思ったら、その対象をどうやって「観る」のか考えることが、科学でも日常でも大切です。

「なぜ?」で楽しく 科学的考察を

加村啓一郎(理化学研究所 研究員)
(朝日中学生ウイークリー 2011年1月23日号から)

イラスト・松尾 萌

(東京大学大学院理学系研究科博士課程)

 

 大学生の時、一人旅でインドの砂漠に行きました。街からジープに乗って半日、ラクダに乗って半日。もう周りは砂ばかり、見渡す限り地平線です。そこにゆっくりと沈んでいく夕陽を見て初めて、太陽ではなく地球が動いているんだなぁとなんとなく感じました。普段の生活ではなかなか想像できないことです。16世紀、天文学者のコペルニクスは、太陽が動くという天動説を覆し、地球が動くという地動説を唱えました。当時の人の常識を疑うことによって、新しい説が生まれたのです。
  疑惑、容疑者、疑心暗鬼。「疑う」という言葉には何か悪いイメージがあります。しかし、疑う心を持つことは、科学的に考える上でとても大切なことです。
  教科書って正しいことが書いてあると思いますか?中学生時代の僕はそう思っていました。ところが、高校生の時、理科の教科書と資料集である化学反応の値が違うことに気付きました。そこで、図書室に行って2冊の理科事典を調べました。一方には教科書と同じことが、もう一方には資料集と同じことが書いてあります。混乱した僕が理科の先生に聞くと、どちらが正しいかまだわからないと教えてくれたのです。それ以来、教科書の内容にも「なぜ」と考えるようになりました。科学の世界では、まだまだわからないことがたくさんあり、今まで正しいと思っていたことも実は違うことがあるのです。
  「なぜ」と思うことは科学的に考えるトレーニングになります。「なぜマンホールは円い形が多いのだろう?」「なぜ夕焼けは赤いのだろう?」など、何でも良いのです。見たこと、聞いたことにいつも疑問を持って生活すると、知ることが楽しくなりますよ。

食生活改善での効果も見逃せない

野嶋 純 (東京大学大学院総合文化研究科 博士課程)
(朝日中学生ウイークリー 2010年12月26日号から)

イラスト・松尾 萌

(東京大学大学院理学系研究科博士課程)

 

 前回(12月5日号)は、アルツハイマー病に効くとされている食べ物の例を紹介しました。今回は、生活習慣とアルツハイマー病との関連を話したいと思います。
 この2つは密接に関係しているといわれています。例えば、生活習慣病のひとつに、糖尿病という病気がありますね。この糖尿病とアルツハイマー病、症状は違いますが、糖尿病にかかると、アルツハイマー病を発症する確率が上昇してしまうといわれています。それ以外にも、高血圧、肥満、喫煙などの生活習慣も、発症率を上げてしまうといわれています。
 逆に、発症率を下げるといわれているものもあります。それは、有酸素運動です。簡単にいうとエアロビクスなどでしょうか。実際に、認知症の予防として、老人ホームなどで行われていると聞いたことがあります。
 睡眠との関連も研究されています。つい最近、アルツハイマー病を発症するマウスを使用した研究で、睡眠不足になると発症する確率が上がると報告されました。睡眠不足だと、アルツハイマー病の原因とされるタンパク質「アミロイドβ」が脳内にたまりやすくなるようです。同じマウスを遊具で遊ばせたところ、アミロイドβの蓄積を防ぎ、病気の進行を遅らせることができたという報告もあります。
 ヒトでも同じことが当てはまるのかというと、まだはっきりしたことはいえません。でも、こういう研究結果を聞くと、私たちの生活にアルツハイマー病が密接に関係していると感じますよね。

                                ◇

 アルツハイマー病には、いまだ有効な治療法は開発されていません。でも、生活習慣を見直し、他の病気にかかることのないように健康な生活を送ることで、アルツハイマー病の予防ができるかもしれません。
さらに最近は解析技術が進歩してきたので、脳の中を見る機械を使えば、発症の進行具合を調べることができるのではないかといわれています。技術の進歩によって、早めの治療や予防ができるかもしれないということです。
さて、これまで9回にわたって僕の研究やアルツハイマー病の予防など幅広く紹介してきましたが、今回で連載は終了となります。
 最後に皆さんに言いたいのは、アルツハイマー病の患者数は今後増加するといわれていて、自分や家族にとって身近な病気になってくるということです。
 僕たちのような研究者が、市民に認知症についての最新の情報や予防法を積極的に伝えていくことで、社会が一丸となって認知症に立ち向かっていけると思います。実際、茨城県利根町では、町と大学が手を組み、研究者らが運動や栄養の講座を開くなどの認知症予防対策事業を行っています。このような認知症に立ち向かう事業が、全国に広まるといいなと思っています。

食生活改善での効果も見逃せない

野嶋 純 (東京大学大学院総合文化研究科 博士課程)
(朝日中学生ウイークリー 2010年12月5日号から)

イラスト・松尾 萌

(東京大学大学院理学系研究科博士課程)

 認知症のひとつであるアルツハイマー病と生活習慣の関係について、2回に分けて話したいと思います。
  まずは、アルツハイマー病と食べ物の関係について。ある地域に住む人たちを長期的に調査して、生活習慣とアルツハイマー病の関連性を調べたところ、食べ物と関連がありそうだとわかりました。例えば、ワインを飲み、魚をたくさんとる地中海式料理を食べている地域の人は、認知症の発症率が抑えられている、などといった調査があります。こういう背景から、食べ物に含まれるものに関心が集まっているのです。
  アルツハイマー病に効果があるのではないかといわれているものを、いくつか紹介しましょう。ただ、あくまでも動物レベルで効果がわかっただけだったり、小規模の人数の研究で効果があったというものもあるので、信じすぎないように注意してください。必ず効くかどうかは、まだ研究の最中ですので。
  まず、不飽和脂肪酸。主に魚に含まれていて、DHAやEPAといったものです。現代人は魚より肉を食べる習慣が多いですが、肉に含まれているのは飽和脂肪酸であり、この飽和脂肪酸やコレステロールの摂取量が多いと、アルツハイマー病の発症率が上がるようです。不飽和脂肪酸を摂取したほうが、発症するリスク(危険性)は下げられるようです。
  続いて、クルクミン。これはカレーに含まれている物質で、昔から病気の治療薬として使われてきました。このクルクミンをアルツハイマー病にかかったマウスに投与したところ、病気の原因と考えられているタンパク質「アミロイドβ」から構成される老人斑(脳の中のしみ)の量を減らすことができたのです。カレーはうまいだけでなく、このような効果も期待できるのかもしれません。
  そして、ビタミンB6、B12、葉酸。ビタミンは知っているかもしれませんが、葉酸は聞いたことがあるでしょうか? これもビタミンの一種で、レバーや緑黄色野菜に含まれています。つい最近発表された論文によると、アルツハイマー病を含む認知症の発症者で70歳ぐらいの人たちにビタミンB6、B12、葉酸を2年間投与したところ、脳の萎縮(認知症で見られる症状で、脳が小さくなること)を抑えることができました。
  今回は3つ挙げましたが、まだ他にポリフェノールなど、いくつかあります。アルツハイマー病にはいまだに有効な治療方法がないので、日々の食生活の改善で発症を遅らせることができるなら、これはいいことですね。
  次回は、アルツハイマー病と生活習慣病、運動との関係について話したいと思います。

 

野嶋 純 (東京大学大学院総合文化研究科 博士課程)

(朝日中学生ウイークリー 2010年11月7日号から)

 

イラスト・松尾 萌(東京大学大学院理学系研究科博士課程)

 

 前回まで、認知症のひとつであるアルツハイマー病の原因、そして現在僕が研究しているアルツハイマー病に効く「食物ワクチン」について書いてきました。今回はちょっと休憩という意味で、僕の所属する研究室の話をしたいと思います。難しい話が続くのも疲れますからね。

 僕の所属する研究室には、学生(学部4年〜博士課程3年)が17人います。男性は9人で女性は8人です。理系の研究室としては、意外にも女性が多いのです。しかも、これは今年に限ったことではなく、毎年男女比はほぼ1対1であることが多いです。一時期は女性のほうが多いということもあったほどです。

 以前と比べると理系に進学する女性が増えているようですが、大学全体を見渡してもやはり男性のほうが多いので、女性の少ない他の研究室の人からは、たまにうらやましがられたりします。僕のいる研究室に女性が多い背景に何があるのかは、わからないのですが(研究室のトップである先生の魅力?)。

 研究室に所属する学生全員がアルツハイマー病の研究をしているわけではありません。筋肉に異常が出てしまう難病「筋強直性ジストロフィー」やアルコール依存症、統合失調症、自閉症など、さまざまなテーマの研究をしています。

 1人でその分野を研究している人もいれば、グループで研究している場合もあります。僕自身は、食物ワクチンによるアルツハイマー病の治療を1人で研究していますが、他にもアルツハイマー病の原因とされる「アミロイドβ」が作られるメカニズムの詳細を調べている人がいたり、アミロイドβが作られるのを防ぐ化合物を探している人がいたりします。

 こんなふうに、アルツハイマー病の研究をしているグループがいくつかあるので、週に1回はみんなで集まって、研究の進行具合などを相談しています。

 これとは別に週に1回、先生を含む研究室メンバー全員が集まって「ゼミ」という勉強会を行っています。研究の進行具合を中心に話すのですが、さまざまな研究分野の学生が集まるので、自分が思いつきもしなかった考えや意見が出てきたり、先生から的確なアドバイスをいただけたりするので、非常に有意義です。

  一昔前だと、研究者は部屋に閉じこもって1人で研究しているイメージがあったと思います。でも現代では、研究者は自分の研究を他の人にわかりやすく伝えることも求められています。

 ゼミで発表したりすることで、自分の研究内容をもう一度整理することができるし、「わかりやすく伝える」という能力も少しずつ養われていくと感じています。研究者はさまざまな人と話すことで、コミュニケーション能力をもっと磨いていくべきだと思います。

  少しは息抜きになったでしょうか? 次回からはアルツハイマー病の話に戻りたいと思います。有効な治療法はいまだ開発中ですが、最近この病気と生活習慣が密接に関連していることが報告されています。ということは、治療法に頼ることなく、生活をちょっと見直すことで予防できるかもしれないのです。 次回から、このあたりの話をしていきます。

おコメに希望 腸でやさしく免疫反応

野嶋 純 (東京大学大学院総合文化研究科 博士課程)

(朝日中学生ウイークリー 2010年10月24日号から)

 

イラスト・松尾 萌(東京大学大学院理学系研究科博士課程)

 認知症のひとつであるアルツハイマー病と生活習慣の関係について、2回に分けて話したいと思います。
  まずは、アルツハイマー病と食べ物の関係について。ある地域に住む人たちを長期的に調査して、生活習慣とアルツハイマー病の関連性を調べたところ、食べ物と関連がありそうだとわかりました。例えば、ワインを飲み、魚をたくさんとる地中海式料理を食べている地域の人は、認知症の発症率が抑えられている、などといった調査があります。こういう背景から、食べ物に含まれるものに関心が集まっているのです。
  アルツハイマー病に効果があるのではないかといわれているものを、いくつか紹介しましょう。ただ、あくまでも動物レベルで効果がわかっただけだったり、小規模の人数の研究で効果があったというものもあるので、信じすぎないように注意してください。必ず効くかどうかは、まだ研究の最中ですので。
  まず、不飽和脂肪酸。主に魚に含まれていて、DHAやEPAといったものです。現代人は魚より肉を食べる習慣が多いですが、肉に含まれているのは飽和脂肪酸であり、この飽和脂肪酸やコレステロールの摂取量が多いと、アルツハイマー病の発症率が上がるようです。不飽和脂肪酸を摂取したほうが、発症するリスク(危険性)は下げられるようです。
  続いて、クルクミン。これはカレーに含まれている物質で、昔から病気の治療薬として使われてきました。このクルクミンをアルツハイマー病にかかったマウスに投与したところ、病気の原因と考えられているタンパク質「アミロイドβ」から構成される老人斑(脳の中のしみ)の量を減らすことができたのです。カレーはうまいだけでなく、このような効果も期待できるのかもしれません。
  そして、ビタミンB6、B12、葉酸。ビタミンは知っているかもしれませんが、葉酸は聞いたことがあるでしょうか? これもビタミンの一種で、レバーや緑黄色野菜に含まれています。つい最近発表された論文によると、アルツハイマー病を含む認知症の発症者で70歳ぐらいの人たちにビタミンB6、B12、葉酸を2年間投与したところ、脳の萎縮(認知症で見られる症状で、脳が小さくなること)を抑えることができました。
  今回は3つ挙げましたが、まだ他にポリフェノールなど、いくつかあります。アルツハイマー病にはいまだに有効な治療方法がないので、日々の食生活の改善で発症を遅らせることができるなら、これはいいことですね。
  次回は、アルツハイマー病と生活習慣病、運動との関係について話したいと思います。

おコメに希望 腸でやさしく免疫反応

野嶋 純 (東京大学大学院総合文化研究科 博士課程)

(朝日中学生ウイークリー 2010年10月3日号から)

 

イラスト・松尾 萌(東京大学大学院理学系研究科博士課程)

 認知症を引き起こす病気のひとつ、アルツハイマー病の患者の脳の中では、ある特有の病変が見られます。それは「老人斑」というもので、脳内にみられるシミのようなものです。

 

 僕は修士課程の時、DNAのアミノ酸のリピート(繰り返し配列)数が異なることによって異常なタンパク質ができて細胞にたまってしまうという、トリプレットリピート病を研究していました。アルツハイマー病もトリプレットリピート病と同じように、あるタンパク質が脳内に集まってかたまり、それが元で神経細胞が死んでしまうことで、記憶や学習に障害が起こると考えられています。

 

 そのタンパク質は、「アミロイドβ(Aβ)」というものです。

 

 アルツハイマー病でのみ、このアミロイドβからなる老人斑が観察されるので、アミロイドβがこの病気の原因ではないかと考えられるわけです。

 

 そこで、アルツハイマー病の治療方法として、アミロイドβに焦点をあてた研究が行われています。方法は主に2つ、@アミロイドβを作らせないAアミロイドβを取りのぞく──というものです。

 

 まず、@の「アミロイドβを作らせない方法」について説明しましょう。そもそもアミロイドβは、アミロイド前駆体タンパク質(APP)というものから、酵素によって切断されることでできます。そこでこれらの酵素の働きを阻害すれば、アミロイドβを作ることを防ぐことができるのです。

 

 簡単に治療方法は見つかると思うかもしれませんが、実はなかなかそうはいきません。ここで働いている酵素は、アミロイドβを作ることだけにかかわっているのではなく、神経の分化に働くなど、他の機能を持ったタンパク質を生み出すことにも関係しているのです。この酵素の働きを阻害してしまうと、アルツハイマー病にはかからないかもしれなくても、別の症状が出てしまうことが考えられるのです。

 

 そこで、アミロイドβを作る経路だけを阻害するような治療法が研究され、つい最近そのような阻害剤を治療薬として投与する臨床試験が行われました。結果的に、認知症を治すことはできませんでしたが、実用化に向けてかなり近いところまで研究は進んでいます。

 

 次に、Aの「アミロイドβを取りのぞく」ということについて。これは、体内にウイルスなどが侵入してきた時に、ウイルスに対して抗体を作って攻撃する「抗原抗体反応」を利用する方法です。ヒトにアミロイドβを直接投与し、そのアミロイドβに対する抗体を作らせるのです。

 

 2000年代初めに、ヒトにアミロイドβを注射する臨床試験が行われたことがあります。しかし、髄膜脳炎という副作用が出てしまい、臨床試験が中止となりました。

原因タンパク質に食物ワクチンで対抗
野嶋 純 (東京大学大学院総合文化研究科 博士課程)
(朝日中学生ウイークリー 2010年9月19日号から)
イラスト・松尾 萌(東京大学大学院理学系研究科博士課程)

 認知症を引き起こす病気のひとつ、アルツハイマー病の患者の脳の中では、ある特有の病変が見られます。それは「老人斑」というもので、脳内にみられるシミのようなものです。

 

 僕は修士課程の時、DNAのアミノ酸のリピート(繰り返し配列)数が異なることによって異常なタンパク質ができて細胞にたまってしまうという、トリプレットリピート病を研究していました。アルツハイマー病もトリプレットリピート病と同じように、あるタンパク質が脳内に集まってかたまり、それが元で神経細胞が死んでしまうことで、記憶や学習に障害が起こると考えられています。

 

 そのタンパク質は、「アミロイドβ(Aβ)」というものです。

 

 アルツハイマー病でのみ、このアミロイドβからなる老人斑が観察されるので、アミロイドβがこの病気の原因ではないかと考えられるわけです。

 

 そこで、アルツハイマー病の治療方法として、アミロイドβに焦点をあてた研究が行われています。方法は主に2つ、@アミロイドβを作らせないAアミロイドβを取りのぞく──というものです。

 

 まず、@の「アミロイドβを作らせない方法」について説明しましょう。そもそもアミロイドβは、アミロイド前駆体タンパク質(APP)というものから、酵素によって切断されることでできます。そこでこれらの酵素の働きを阻害すれば、アミロイドβを作ることを防ぐことができるのです。

 

 簡単に治療方法は見つかると思うかもしれませんが、実はなかなかそうはいきません。ここで働いている酵素は、アミロイドβを作ることだけにかかわっているのではなく、神経の分化に働くなど、他の機能を持ったタンパク質を生み出すことにも関係しているのです。この酵素の働きを阻害してしまうと、アルツハイマー病にはかからないかもしれなくても、別の症状が出てしまうことが考えられるのです。

 

 そこで、アミロイドβを作る経路だけを阻害するような治療法が研究され、つい最近そのような阻害剤を治療薬として投与する臨床試験が行われました。結果的に、認知症を治すことはできませんでしたが、実用化に向けてかなり近いところまで研究は進んでいます。

 

 次に、Aの「アミロイドβを取りのぞく」ということについて。これは、体内にウイルスなどが侵入してきた時に、ウイルスに対して抗体を作って攻撃する「抗原抗体反応」を利用する方法です。ヒトにアミロイドβを直接投与し、そのアミロイドβに対する抗体を作らせるのです。

 

 2000年代初めに、ヒトにアミロイドβを注射する臨床試験が行われたことがあります。しかし、髄膜脳炎という副作用が出てしまい、臨床試験が中止となりました。

 

 そこで、私たちの研究室は、副作用がない治療法として、アミロイドβを食物から摂取しようという「食物ワクチン」の研究を開始したのです。

認知症の一種、アルツハイマー病の研究開始

野嶋 純 (東京大学大学院総合文化研究科 博士課程)

(朝日中学生ウイークリー 2010年9月5日号から)

 

イラスト・松尾 萌(東京大学大学院理学系研究科博士課程)

 今回からは、大学院の博士課程で研究しているアルツハイマー病の説明に入りますが、その前に、この研究テーマを選んだ理由を話したいと思います。

 

 修士課程では前回書いたように、遺伝子が原因で起こるトリプレットリピート病の研究をしていました。異常な構造を持ったタンパク質の解析という研究だったので、病気の治療方法を探る「応用研究」というよりは、メカニズムを探る「基礎研究」に近いものでした。研究をしているうちに、違う方向、つまり「応用研究」に興味が移ってきました。

 

 基礎研究ももちろん大事で、奥深い研究なのですが、治療などの応用研究は基礎研究と違ったやりがいがあります。例えば、新しい治療法を待っている患者さんなど「人」に近いところで研究している感じがあり、研究結果が人に結びつきやすいのではないかと僕は考えています。

 

 そこで、博士課程からは、僕の所属する研究室で研究が進んでいた「食物ワクチンによるアルツハイマー病の治療」という研究テーマに変更しました。

 

 アルツハイマー病の症状は初回に書いた通り、「認知症」です。ただ、勘違いをしている人がいるかもしれませんが、認知症=アルツハイマー病というわけではありません。

 

 アルツハイマー病は認知症の一種と考えてください。認知症を引き起こす病気はいくつかあり、その中でも患者数が多いものに脳血管性認知症があります。以前はこの脳血管性認知症のほうが患者数は多かったのですが、ここ最近はアルツハイマー病の患者数のほうが上回り、今後ますます増加していくのではないかともいわれています。

 

 その原因ははっきりしていませんが、よくいわれているのは、「交通手段の発達により長い距離を歩くなどの日々の運動をしなくなった」「食生活が野菜や魚中心の生活からファストフードなど脂肪分の高い生活に変化した」などがあります。

 

 一方では、医療の目覚ましい進歩で平均寿命が延びていることによって、アルツハイマー病にかかる人が増えているのではないかともいわれています。「脳の神経細胞の変化によって起こるアルツハイマー病は誰でもかかるもので、昔は平均寿命が今ほど長くなかったために、発症する前に死んでしまい、数に反映されなかったのではないか」という考え方です。この考え方ならば、いずれはみんなアルツハイマー病にかかってしまうといえますが、100歳近い高齢でも認知症を患うことなく生活している人はいます。

 

 この違いは何なのか? 最近、アルツハイマー病と生活習慣が密接に関連しているといわれています。この生活習慣との関連の話は、また違う機会に説明します。

 

 このように、認知症のなかでもアルツハイマー病は、今後さらに平均寿命が延びるであろう日本や先進国において、重要な問題となる可能性があります。そのため、いまだに確立していない治療方法の研究は、非常に大事な研究になるだろうということにやりがいを感じ、僕はこの病気に焦点を当てた研究を開始したのでした。

 

鑑定に役立つが病気の原因にも

野嶋 純 (東京大学大学院総合文化研究科 博士課程)

(朝日中学生ウイークリー 2010年8月22日号から)

 

イラスト・松尾 萌(東京大学大学院理学系研究科博士課程)

 前回、アヒルのDNA鑑定についての卒業研究と修士課程の研究で似ている点があると書きましたので、DNA鑑定の説明から始めましょう。


DNA(遺伝子)は、A(アデニン)、T(チミン)、C(シトシン)、G(グアニン)という物質がつながって形成され、ヒトの場合、この物質は30億個あるといわれています。

 

 DNAの配列には、遺伝子情報を持った配列と持たない配列があります。後者は何も無駄というわけではなく、例えばCACACA……やGACGAC……など繰り返し配列がたくさん存在し、A君ではDNAのある一部分のCAリピートが10回、B君では15回のように、個人差が出る場合があります。個人差が出やすい繰り返し配列を多数利用して個体を識別するのが、DNA鑑定です。

 

 僕はDNA鑑定の勉強をするうちに、繰り返し配列数の違いによって発症してしまう病気があることを知りました。
私たち生物の生命活動に必須なタンパク質は、遺伝子情報によって体内で合成されます。A、T、C、Gのうち3つの組み合わせで1つのアミノ酸を合成し、そのアミノ酸が長く組み合わさったあと、立体構造を取ることで、タンパク質が完成するのです。

  そのようにアミノ酸が長く連なった配列の中に、ある1種類のアミノ酸が連続している領域を持つタンパク質があります。例えば、通常なら数個〜数十個連続しているアミノ酸領域(DNAの繰り返し配列としては、CTGが数個〜数十個連続しているなど)が、何かの原因で異常な繰り返し数まで伸びてしまうと、ふつう取るはずの立体構造を取ることができず、異常な形をしたタンパク質になってしまいます。異常な構造のタンパク質は毒性を持っていて、毒性によって細胞が死んでしまいます。

 

  このようにアミノ酸の数の違いで起こる病気の総称を、トリプレットリピート病といいます。1つのアミノ酸がA、T、C、Gのうち3つ(トリプル)の組み合わせで合成されて、そのアミノ酸が連続している(リピート)から、このような名前がついています。ハンチントン病や脊髄小脳変性症などがあり、何十万人に1人がかかるという難病です。

 

 ちなみにアミノ酸は全部で20種類あり、様々なアミノ酸の組み合わせを持つタンパク質が存在しています。

 

 DNA配列のリピート数の違いは、DNA鑑定のように実用的に用いることもできれば、トリプレットリピート病の原因にもなりうる。僕は卒業研究で培った知識が多少なりとも生かせるのではないかと思い、修士課程ではトリプレットリピート病の発症メカニズムの基礎研究をしました。でも研究を進めるうちに、病気の治療方法を探る「応用研究」がしたくなり、アルツハイマー病の予防に関心が移っていったのです。

 

 次回からは、アルツハイマー病の研究話をしていきます。

初めはアヒル いま認知症防ぐ食物研究

野嶋 純 (東京大学大学院総合文化研究科 博士課程)

(朝日中学生ウイークリー 2010年8月15日号から)

 

イラスト・松尾 萌(東京大学大学院理学系研究科博士課程)

 中学生の皆さん、夏休みいかがお過ごしでしょうか? 前回までiPS細胞の研究のことを書いていた林洋平さんからバトンを受け継ぎ、今週からこのコーナーを担当する野嶋純といいます。

 

 僕は博士課程3年に在籍をしていて、アルツハイマー病の予防について研究しています。この病気の具体的な症状は認知症、いわゆる「ボケ」です。高齢になればなるほど患者数は増え、世界中に何千万人といるといわれています。日本でも100万人に近い患者がいると報告されており、今後ますます増加していくとも予測されています。

 

 病気の進行を遅らせる薬はすでに開発され、処方もされていますが、困ったことに、病気を「治療」する薬や手段はいまだ開発の真っ最中なのです。僕の所属する研究室では、アルツハイマー病の新しい治療方法の開発を目指し、食べ物でアルツハイマー病を予防するという戦略のもと、「食物ワクチン」の開発をしています。

 

 と、まあ研究内容の触りは書きましたが、アルツハイマー病の発症メカニズムや僕が研究しているその「食物ワクチン」についての詳しい話は次回以降するとして、今回は初回なので、僕の研究経歴などの話を交え、軽く自己紹介していきたいと思います。

 

 僕は大学の学部時代(つまり大学1年〜4年)、修士課程(大学卒業後の2年間)、博士課程(修士課程のさらにその後)で、研究内容がそれぞれ異なっています。学部時代は農学部に在籍し、生命科学を専攻していました。農学部といっても農業をするばかりでなく(実際にキャンパスの中をトラクターが走っていましたが)、遺伝子組み換え植物の研究、牛などの家畜の人工授精法の確立、動物に有用なタンパク質(インスリンなど)を作らせるバイオリアクターの研究など、分子生物学的な面からも研究を行っています。

 

 学部の卒業研究として、アヒルの親子鑑定に使うツールの開発をしました。皆さんがニュースなどで耳にするDNA鑑定ってありますよね? 犯人逮捕の決め手となるもので、その人が本人かどうか、DNAを調べることにより特定する方法です。このDNA鑑定の原理をアヒルに利用しようというものです。

 

 DNA鑑定を利用するとアヒルなどの家畜の品質管理をすることができ、世間を騒がせている「産地偽装」などを暴くことができると考えられています。アヒルは日本ではあまりなじみがないかもしれませんが、北京ダックなどで中国ではよく食べられているので、アヒルにおけるこういった鑑定法の開発も大事なのです。

 

 学部時代はこのような研究をしていましたが、実はこのアヒルの研究で注目していたことが、ヒトのある難病の原因と多少重なっていることに気が付きました。そこで、その病気が研究できる研究室に進学し、修士課程から研究を始めました。

 

 その難病の研究の話は長くなりそうなので、次回に持ち越したいと思います。しばらく、僕の今までの研究話にお付き合い下さい。

中学生の僕が科学者の道を歩ませた

林 洋平(カリフォルニア大学サンフランシスコ校 研究員)

(朝日中学生ウイークリー 2010年7月25日号から)

 

イラスト・松尾 萌(東京大学大学院理学系研究科博士課程)

 僕の連載もこれで最後だ。今回は、僕がなぜ生物学の研究者になったかという話をしよう。

 

 僕が中学生の頃は、科学者を目指すなんて考えもしなかった。周りに科学者の知り合いはいなかったし、勉強も理科が特別好きなわけではなかった。

 

 そんな僕が中学生の時に常に考えていたのは、「生きることはどういうことだろう? なぜ生きているのか?」っていう問いかけだった。なんか大そうに聞こえるけど、別に特別なことじゃない。みんなも身の回りで自殺、事故、病気などの話を聞いて、こういうことを考えたことがあるだろう。印象深い本、漫画、アニメなどに接してもそうだ。こういった経験から起こる、命への問いかけをより深く考えていこうと、中学生の時に思った。

 

 生きることを考える、といっても、いろいろなやり方、分野がある。哲学、宗教だって、そうだろう。政治や経済などだって、個人が集合して生まれるものだから、生きることを考えることにつながる。中学生から大学生まで、学校の勉強やその他の活動でさまざまなことを学びながら、僕は生きることについて考えを深めていった。

 

 最終的になぜ僕が科学、特に生物学を志すようになったのかというと、理由は2つある。まず、科学は正しいことと正しくないことを区別する方法を、理性的に教えてくれる。科学では、ものごとが正しいかどうかを徹底的に検証する。誰かエラい人が言ったからとか、常識だから、というのは通じない。合理的に正しい、と証明されたものだけが正しい。僕は自分が考えていく上で、このやり方が気にいった。多分、ひねくれ者だからだろう。

 

 2つ目は、生物学は命を実体として取り扱うということ。生物学では、生き物を観察したり、実験したりすることを通して生命の営みと触れ合うことができる。僕は頭で考えるだけじゃなく、実際に見たり、聞いたり、触ったりしないと、ものごとを理解できない。多分、頭が良くないのだろう。

 

 とはいえ、生物学の研究者になれた。これまで試験の結果が悪かったり、不満があったりで、何度も研究者をやめようと思った。生命に対する問いは範囲が広すぎるから、単純に答えは出ない。だから、研究する上では、例えば「ヒトの持っている約2万の遺伝子のうちの1つについて、それがある病気の時に何か役割を果たしているか?」という、具体的だけど重箱の隅をつつくようなテーマになる。それで得られる成果は多くの場合、生命の営みをほんの一部明らかにできるか、結局何にも意味がなかったりする。生命を生み出す自然を相手にするのは簡単なことじゃない。でも、だからこそ考えるかいがあって、人生を賭けるにふさわしい、と思っている。

 

 結局、僕が今やっていることは中学生の時に考えていたことの延長線上にある。科学者になるのは想像していなかったけど、中学生の時に考えていた問いかけが僕をここまで連れてきた。僕の例から中学生の君たちに言えることは、「今考えていることを大事にして、それを考え抜く。さらにいろいろな経験から学ぶことと合わせて、さらに考えを深める」。その積み重ねで、自分の思い描く未来がひらけると思う。


  林洋平さんの連載は今回で終わりです。

難しい生命倫理 慎重な議論必要

林 洋平(カリフォルニア大学サンフランシスコ校 研究員)

(朝日中学生ウイークリー 2010年7月11日号から)

イラスト・松尾 萌(東京大学大学院理学系研究科博士課程)

 生命科学の研究者として守らなくてはいけないものの一つに「生命の尊厳」がある。特に人間の生命を研究で扱う時には、何にもかけがえがないものとして尊重し、操作などをしてはならない。僕の研究対象である、体のどんな組織にもなることができるES細胞やiPS細胞には、道徳的・倫理的にまだ解決されていない問題がある。

 

 代表的な問題として、ES細胞が受精卵を壊して作られることが挙げられる。受精卵は、不妊治療を終えた夫婦の承諾をもらったものが使われる。しかし、この受精卵はそのまま母親や代理母の子宮に戻せば、人間として誕生できるものだ。多くの国では、人間として生命があると認められるのは受精卵がもっと成長してからだとしているけれども、「ES細胞は生命を壊して作られている」と言うこともできるわけだ。今では、普通の細胞から作られるiPS細胞が発明されたため、この問題は回避できるようになっている。

 

 もう一つ問題がある。ES細胞やiPS細胞は体のどんな組織にもなるから、原理的には卵や精子を作ることができる。だから、ES細胞を使ってできた人間が生まれてしまう可能性がある。将来さらに技術が進めば、ES細胞、iPS細胞から直接生命が誕生してしまう可能性もある。ネズミの実験ではこのような実験に成功している。赤ちゃんができなくて苦しんでいる不妊症の人たちにとっては朗報かもしれないけれど、ヒトの生命を実験的に作り出す、という倫理的問題を引き起こしてしまう。

 

 しかし、ES細胞、iPS細胞を作って研究することは、これまで治療が難しかった難病を持つ人々を救うことにつながる。倫理的問題と将来への期待との両方を背負っているのだ。どちらが重要なのだろうか?

 

 この問題は、科学界だけじゃなくて、社会的にも非常に重要な問題となっている。例えば、米国のブッシュ前大統領はES細胞の持つこれらの問題を重要視して、政府のお金によるES細胞の研究を禁止した。一方、今のオバマ大統領はES細胞の研究の将来性を考えて、ブッシュ前大統領の行った研究の禁止を解除して、研究を発展させようとしている。

 

 このように研究における倫理的問題というのは、善悪はっきりとはなかなか決められない。また、科学者だけで決められることではない。さまざまな立場の人が意見を出し合い、公平な議論を経た後に社会的な合意があって、初めて少しずつ解決していくのだろう。

 

 研究者からすると、常に自由に研究を進めていきたい、という欲求がある。そして、研究に没頭してしまうと、自分の研究の持つ社会的な意味や問題になかなか気づかないことがある。僕としては、このような社会的意味や問題を常に頭に入れ、さまざまな分野の人の意見を取り入れながら研究を進めていきたいと思っている。

衝撃! 普通の細胞が万能性を持てる

林 洋平(カリフォルニア大学サンフランシスコ校 研究員)

(朝日中学生ウイークリー 2010年6月27日号から)

 前回書いたように、僕がiPS細胞の発表を最初に聞いたのは、4年前の国際幹細胞研究学会だった。そして、今年も同じ学会大会が僕のいるサンフランシスコで行われた。世界中から研究者が集まり、今では当たり前のように、iPS細胞の研究が盛んに発表された。それとともに、iPS細胞の研究に刺激を受けるようにして出てきた、新しい研究分野の発表がいくつかあった。


iPS細胞を作るのに似た方法、つまり、培養している細胞(あるいは体内の細胞)に対して、別の細胞種を作るのに重要な遺伝子を組み込んで、細胞種を変化させる研究だ。このような研究分野は「ダイレクトリプログラミング」あるいは「直接再プログラム化」と呼ばれている。


例えば、将来行われる可能性のある、脊髄を損傷した人への神経の再生移植について考えてみよう。iPS細胞を用いると、患者さん自体の細胞を取って培養する→その細胞からiPS細胞を作る→iPS細胞から神経を作る→移植して治療する、というステップが必要になる。しかし、以前に書いたように、これらのステップには非常に時間がかかる。もし、培養している細胞から直接、神経を作ることができたら、iPS細胞を作る必要がなくなり、かかる日数や手間が減る。さらに、もし実際に損傷した脊髄のなかに遺伝子を入れるだけで神経が再生するのであれば、細胞を培養したり、移植したりする必要がなくなる。つまり、遺伝子の入った液を注射するだけで、脊髄損傷を治すことができる。


こんな夢のような技術の研究はまだ始まったばかりだから、本当に実現可能かどうかはわからない。現在のところは、ネズミの細胞を培養してそこにいくつかの遺伝子を入れることで、神経になることが報告されている。


京都大学・山中伸弥先生たちのiPS細胞の研究によって、ある種類の細胞を全く別の種類に作り変えることができるのだと、世界中の研究者が知った。これまでも人の細胞の種類を変える研究は一部では行われていたけれども、それは限られたものだった。例えば、皮膚から取って培養した細胞に、筋肉(骨格筋)を作る指令を出すMyoDという遺伝子を組み込むと、筋肉の細胞ができる。しかし、それぞれの細胞種を根本的に変化させることは不可能だと考えられていた。


iPS細胞は、この常識を破った。一部の研究者は、それならば、iPS細胞ではなくて、直接別の様々な細胞種に作り変えることができるのではないかと考えているのだ。


それがこの「直接再プログラム化」の研究だ。心臓で心筋細胞を通常の細胞から直接作ることができれば、心筋梗塞の治療に用いることができる。膵臓でインスリンを作る細胞を通常の細胞から直接作ることができれば、糖尿病での治療に用いることができる。応用できる範囲は非常に広い。さらに、iPS細胞を使う時と比べて手間が少ないので、治療への実現性が高い面もある。


研究は絶え間なく進んでいく。iPS細胞のように画期的な技術でも、開発された瞬間に別の新しい技術にとって代わられる運命にある。そういった研究開発の積み重ねを経て、世の中にその成果を還元できるようになる日が来るのだろう。

iPS細胞の、その先の研究も進行中

林 洋平(カリフォルニア大学サンフランシスコ校 研究員)

(朝日中学生ウイークリー 2010年6月6日号から)

イラスト・松尾 萌(東京大学大学院理学系研究科博士課程)

 僕がiPS細胞のことを知ったのは、2006年6月の終わり、カナダのトロントで行われた学会でのことだった。その学会には世界中から幹細胞の研究者が何千人も来ていた。


京都大学の山中伸弥先生の講演は非常に衝撃的だった。体のすべての組織になることができる細胞を、普通の体の中にある細胞から作り、その細胞を「人工多能性幹細胞(iPS細胞)」と呼ぶことにする、という発表だった。会場にいた何千人もの聴衆も僕と同様に衝撃を受けていたようで、ある人は惜しみない拍手をし、ある人は静まり返っていた。

僕はその頃、ES細胞の研究をしていた。ES細胞も、体のどんな組織にもなることができ、万能細胞と呼ばれることがある。


iPS細胞とES細胞について、まず僕らの体のはじまりから説明しよう。
僕らは1個の受精卵からはじまる。受精卵は分裂を繰り返して成長していく。この成長する胎児のことを「胚」と呼ぶ。
胚は成長する途中で、将来体になる部分と、「胎盤」と呼ばれる母親が赤ちゃんに栄養を与える組織に分かれる。この時期の胚を「胚盤胞」と呼ぶ。胚盤胞のうち、体になる部分の細胞は、体のすべての組織になる能力を持っている。

この細胞を取り出して培養したものを「胚性幹(ES)細胞」という。幹細胞というのは、いろいろな種類の細胞になれる細胞のこと。枝、葉、花を作る木の幹(Stem)と同じ意味だ。胚盤胞の能力をそのまま保っているから、体のすべての組織になる能力を持っている。

胚盤胞の細胞は分裂を繰り返しながら、色々な組織に分かれ、体を作る。ES細胞も同じように分化、つまり変身できるのだ。ところが、いったんある組織の細胞に分化してしまえば、別の組織の細胞になることはできない。つまり、いったんできあがった組織の細胞は、他の組織になる能力を失っている。ただ例外はあって、精子や卵子を作る細胞は万能細胞に近い能力があり、適した培養操作を行うとES細胞のような能力を発揮することが知られている。さらに、「クローン生物」というのは、普通の細胞の遺伝子の部分のみを、遺伝子を除いた受精卵に入れることで作られる。このことは、普通の細胞でも遺伝子自体は変化せずに、万能性を取り戻せることを示している。



このように一部の特殊な例外はあるが、普通の細胞はES細胞のようにはなれない、と常識のように考えられてきた。

山中先生と研究員の高橋さんの作ったiPS細胞は、この常識を打ち破った。ES細胞で働いている遺伝子の中から、万能細胞へのスイッチとなる4つの遺伝子を探り当てたのだ。細胞が遺伝子による通常の「プログラム」に従って分化していくのとは逆に、「再プログラミング」して万能性を獲得できることがわかったのだ。

この学会に続いて論文が発表された後、世界中の研究者がiPS細胞の研究へと殺到していった。

iPS細胞使って患者にあう薬開発

林 洋平(カリフォルニア大学サンフランシスコ校 研究員)

(朝日中学生ウイークリー 2010年5月30日号から)

イラスト・松尾 萌(東京大学大学院理学系研究科博士課程)

 前回までは、体のどの組織の細胞にも変身できるiPS細胞が、再生医療の切り札になる可能性について書いてきた。今回は、iPS細胞が再生医療以外にも役に立つ話をしよう。


病気を治す方法には大まかに、手術のような「外科的治療」と薬を使った「内科的治療」がある。再生医療は移植することを前提としているから外科的治療の一種だ。一方で、iPS細胞は薬を使った内科的治療にも役立つ可能性があるのだ。そのことを説明するのに、まず新しい薬がどう開発されているかを説明しよう。


薬を開発するためには、ある病気の状態をまねた培養細胞や実験動物を使って、薬の候補となる化学物質の治療効果を試す。これを「スクリーニング」という。その後、効果のある薬の候補がいくつか出てきた段階で、「安全性試験」を行う。その物質が人体に安全かどうかを実験動物などを使って確かめるのだ。それで安全性が確かめられたら、志願した患者さんに対して治療効果があるか、副作用がないかを確かめる「治験」を行う。


以上のいくつもの試験をくぐりぬけて治療の効果や人体への安全性が確かめられた化学物質だけが、薬として世の中で使われるようになる。


これまでの薬の開発方法にはいくつかの問題があった。


まずスクリーニングに使う実験動物や培養細胞は、実際の病気の患者さんの状態をそのまま反映できるわけではない。だから、実験動物や培養細胞には効果があっても、患者さんには効果がなくて、開発に失敗してしまうことも多かった。だが、遺伝病をもつ患者さんのiPS細胞を使えば、病気の状態をより近く再現できるから、患者さんに本当に効く薬を開発するのに役立つはずだ。たとえば、運動をつかさどる神経が障害を受ける「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」という病気がある。この病気にかかると、患者さんの半数が5年以内に呼吸のための筋肉が動かなくなり、亡くなってしまう。根本的な治療法が今のところない難病だ。ALSの患者さんから作ったiPS細胞の研究がもう報告されていて、研究所や製薬企業で現在、ALS治療薬の開発が行われている。


また、安全性試験には実験動物が使われているのだけど、動物に安全だからといって、人に安全とは限らない。そこで、人の細胞、特に薬物の影響を受けやすい肝臓や心臓の細胞で安全性試験を行うことができれば、人体に対する安全を治験の前に予測することができる。心臓や肝臓の細胞を直接人体から採取することは難しい。だから、肝臓や心臓の細胞を作ることができるヒトiPS細胞は安全性試験にも役立つはずだ。


以上のように、iPS細胞はより確実に早く薬を開発するのに役立っている。iPS細胞で直接治療するわけではないから、世間ではあまり注目されていないかもしれない。でも実際のところ、iPS細胞を使った再生医療の実現にはまだまだ時間がかかるけど、iPS細胞を使った薬の開発はもう始まっているんだ。

 

万能 iPS細胞は再生医療への希望

林 洋平(カリフォルニア大学サンフランシスコ校 研究員)

(朝日中学生ウイークリー 2010年5月23日号から)

イラスト・松尾 萌(東京大学大学院理学系研究科博士課程)

 iPS細胞は僕ら自身の細胞から作られ、体中のどんな組織の細胞にもなり得るから、再生医療の切り札として注目されている。すい臓や神経など通常では再生しない臓器に病気を持つ患者さんからiPS細胞を作れば、移植医療に使えるはずだ。けれども、iPS細胞からの移植医療を実現するには様々な問題が研究者の前に立ちはだかっている。


まず、iPS細胞を作る期間の問題がある。僕が実際に人の細胞からiPS細胞を作る際の話をしよう。人の皮膚の細胞は、だいたい1日から2日で1回分裂する。だから2週間もすれば、数十、数百倍にもなって、実験に使うには十分な量に増える。その細胞にiPS細胞を作るための遺伝子を入れた後、iPS細胞専用の培養液でさらに培養を続ける。約1カ月かかって、細長かった皮膚の細胞がiPS細胞に特有の丸い形になる。丸くなった細胞はさらに分裂し続け、楕円形の塊になる。この塊が培養皿に何個かできたら、ピペットで吸い上げて、さらに増やしていく。最後にiPS細胞かどうかを確認するために、いろいろなテストをする。テストでは実際にiPS細胞を神経や心臓の筋肉の細胞に変化させたりする。


こうしてやっとiPS細胞が完成だ。今の技術だと、1種類のiPS細胞を作るのに、最初の培養から始めると3カ月以上かかる。移植の安全性などのテストをすると、さらに時間がかかるだろう。1人1人からiPS細胞を作っていると膨大な時間が費やされてしまう。なので、この方法では早急に治療が必要な患者さんへの移植は難しい。


この問題を解決するための研究として、まずiPS細胞をなるべく早く作ることが考えられる。別の遺伝子を加える方法や、培養方法を改良する方法が開発されつつある段階だ。さらに、iPS細胞の移植への時間を短くするには、患者さん1人1人に対してiPS細胞を作るのではなくて、移植のためのいろいろな免疫の型をもつiPS細胞を集めておいて、その細胞を常に移植できるよう準備しておく、といった方法が考えられている。


移植に用いるiPS細胞の安全性の問題もある。iPS細胞を作る際には、4種類の遺伝子を皮膚などの細胞に入れる。この4種類の遺伝子は、iPS細胞だけで働く特別な遺伝子だ。普通の細胞で働いてしまうと、細胞が「がん化」してしまう。だから、通常の細胞からiPS細胞を作る時にその変化が不完全だったり、iPS細胞から変化させた神経などでこれらの遺伝子が働いてしまうと、移植をした時にがんができてしまう。こうなっては移植医療には使えない。この問題を解決するために僕ら研究者は、より安全なiPS細胞を作るための方法を開発したり、安全なiPS細胞のみを選別できるような技術の開発を行っている。


他にも問題は山積みだけど、僕ら研究者はこのように1歩1歩研究を進めていって、iPS細胞を世の中に役立てられるよう頑張っている。

 

万能 iPS細胞は再生医療への希望

林 洋平(カリフォルニア大学サンフランシスコ校 研究員)

(朝日中学生ウイークリー 2010年5月16日号から)

イラスト・松尾 萌(東京大学大学院理学系研究科博士課程)

 世の中には現代の医学でも治療できない難病が数多くある。特に脳神経、すい臓、腎臓などの臓器は一度病気にかかって壊れてしまうと、二度と元には戻らない。根本的に治療することが不可能だ。


たとえば、脊髄をいったん損傷してしまうと、半身不随になってしまい、歩くことが困難になる。すい臓の中には、インスリンという血糖値をコントロールする物質を分泌する細胞がいる。この細胞が死んでしまうと、重い糖尿病になって、インスリンを日常的に投与しないと生活できなくなってしまう。腎臓が壊れてしまうと、体内の老廃物をろ過できなくなってしまう。生活を続けるためには体外でろ過を行う「透析」といった作業を日常的に行ったり、腎移植をしなくてはならない。これらの病気のせいで大変な思いをしている人が、もしかしたら君たちの身近にもいるかもしれない。


このような病気を治すためにはどうしたらいいのか? 薬や通常の手術では今のところ治らない。臓器移植は腎臓など一部の臓器では有効だ。ただ、他人の臓器を移植すると、通常「免疫拒絶」というものが起きて、移植した臓器が壊されてしまう。僕らの体には体内に他の細菌やウイルスなどの異物を撃退する仕組みが備わっていて、それが他人の細胞を移植することで発動してしまうからだ。だから、移植後はたいてい免疫を抑える薬を飲み続けなければならない。その薬は免疫を抑えるものだから、細菌などの感染にも弱くなってしまう。また、移植医療は他人の臓器を使うことになるのだけど、なかなかそのドナー(提供者)が現れないことも多い。


そこで、新たな可能性として「再生医療」というものが考えられている。再生医療では自分自身の細胞を使い、臓器を人工的に再生して治療することを目指している。たとえば、ころんだりしてすりきずになっても、皮膚は一週間くらいで元通りになる。これは自然な再生だ。しかし、火事などで大きなやけどをした時には、そのような自然な再生や皮膚移植では治療が追いつかない。そのような時に、皮膚から取った細胞を培養して増やして、やけどした部位に張り付けるという再生医療が行われ、これまでは救えなかった命が救えるようになっている。現在は脳神経やすい臓などもっと再生しにくい臓器からの再生医療を目指して、活発に研究が行われている。


再生医療を可能にするための研究上の画期的な成果として、iPS細胞というものがある。iPS細胞こそ、僕が研究している細胞だ。僕ら自身の細胞から作られ、体中のどんな組織の細胞にもなることができる。だから、患者さんからiPS細胞を作り、変化させれば、どんな組織の移植にも使えるはずだ。だけど、この細胞は開発されてからまだ数年しかたっていないから、ちゃんと移植に使えるかどうか見極め、性質を改良していくことが重要だ。この研究に僕は今取り組んでいる。


次回からは研究の実際について触れていこう。

 

iPS細胞の研究競争 ただいま激戦中

林 洋平(カリフォルニア大学サンフランシスコ校 研究員)

(朝日中学生ウイークリー 2010年5月2日号から)

イラスト・松尾 萌(東京大学大学院理学系研究科博士課程)

 中学生のみんなが学校の試験やスポーツで競争するように、科学の研究にも競争がつきものだ。科学の世界では同じ題材や似たような研究を、世界中の研究者と競争しながら研究している。


僕が研究しているiPS細胞は、僕らの体から直接作られ、どんな種類の組織にもなることができる。研究上の価値も高くて、将来の移植医療などにも使える可能性がある。そのため、iPS細胞の分野は特に競争が激しくて、毎日のように新しい研究成果が論文として世界中から発表されている。


僕自身の研究も、競争のまっただ中にある。僕が大学院を卒業してアメリカのこの研究所に来た当初は、iPS細胞が安全に移植などに使えるように、新しい培養(人工的に発育させたり増やしたりすること)技術の開発をしようと思っていた。研究を始めて半年ほどで、新しい方法でiPS細胞を作り培養できるようになった。僕は幸先がいいぞ、と無邪気に喜んだ。しかし、喜んだのもつかの間、その1、2週間後に、アメリカのハーバード大学とスタンフォード大学がそれぞれ、僕と似たようなiPS細胞の培養方法を論文で報告してしまった。

サンフランシスコで研究中の林洋平さん

  科学の研究においては、誰よりも先に、一番に論文として報告することが重要。二番煎じになってしまっては意味がない。やっていた僕の研究テーマは中止になってしまった。今までの苦労が水の泡になってしまって、数日間何も手につかなかった。でも、こういう事態に陥ることは、研究の世界ではよくあること。くよくよしても意味がない。そう思い直して、他の人が考えつかないような別の新しい研究テーマに取り組もうと決心した。


科学の研究が世界的な競争になっていることには、いいことと悪いことの両方の意味がある。例えば、僕が論文を発表する前に他の人に先を越されてしまったことは、僕にとって今まで研究した成果が何も残らないことになる。そのことは研究に費やした時間とお金が無駄になってしまうことにつながる。そして、こういう負けがあまりにも続いたら、僕が職を失ってしまうこともあり得る。


けれど、競争があることは、それぞれの研究者が積極的に研究を進めることを促すことになるし、研究分野全体で見れば、研究の進み具合が加速することになって、世の中に研究成果を還元できる日が早まるだろう。iPS細胞の研究で言えば、研究の競争が、iPS細胞から色々な組織を作って患者さんに移植して病気を治療する、といった応用を促進することにつながる。


研究の競争があることで、僕自身は研究を進めて成功させるのに非常に大変な思いをしなくちゃいけないのだけど、世界中の研究者が競い合って研究を進めている中に僕が参加するのはスリリングなことでもある。だから、この競争を「ゲーム」だと思って、僕自身楽しみながら参加したい、と思っている。で、本音としては、たまには勝ちたい!

 

発表デビュー 厳しい質問に頭真っ白

林 洋平(カリフォルニア大学サンフランシスコ校 研究員)

(朝日中学生ウイークリー 2010年4月11日号から)

イラスト・松尾 萌(東京大学大学院理学系研究科博士課程)

 中学生の君たちも毎日英語の授業やテストがあって、悪戦苦闘していることだろう。アメリカで科学の研究をしている僕でもそう、英語と格闘の日々だ。日本で生まれ育った僕にとって、英語で日常を過ごして、さらに研究も英語で、というのは本当に大変なことだ。英語で話すだけじゃなく、文化や考え方の違いがあることも理解した上で、コミュニケーションをとっていくことが重要だ。


今日はこの研究所に来て初めて、部署全体に向けて発表する日だった。一番の課題は、質問に対して的確に答えられるかどうかだった。こちらの発表では、講演はただしゃべるだけではなく、質問などの「対話」を通して聴衆をきちんと納得させることが重要だ。なので、聴衆からの質問にうまく答えられるかどうかが、発表の成功を握る鍵だ。


研究の発表というのはたいてい筋書きが決まっている。まずこれまでどういう研究が行われていたか、という背景と、自分が何を解明したいか、という研究の目的を話す。次に、具体的な研究の計画や方法を話し、そこから自分が得た結果とそれがどういう意味を持つのか、といった考察をする。最後はこれからの実験の計画について話す。


僕は、体のどの組織にもなることのできるiPS細胞が、普通の体の細胞からどのように作られるのか、そのメカニズムを研究している。こちらへ来てまだ1年足らずなので、今回の発表ではこれからの実験計画をメーンにして話した。


始まりは順調だった。僕の英語の発音が通じるのか不安だったけど、時々聴衆の顔をうかがうと、フムフムとうなずいているのが見えたから、理解してくれていたのだろう。こういったところは日本よりもアメリカのほうが動作が大げさだから、わかりやすくてありがたい。


その後も発表は順調に進み、最後に質疑応答の時間になった。発表の途中も含めていくつかの質問があったけど、それにはうまく答えることができた。しかし最後に、一番前に陣取った所長から質問が来た。「君の実験がうまくいくという根拠は何かな? もしうまくいかなかったらどうする?」と言われてしまった。やさしい口調でも内容が厳しい質問だったので、頭が一瞬真っ白になった。そのせいか、もちろん実験がうまくいかなかった場合のことも考えてはいたけれど、英語の答えがしどろもどろになってしまった。


終わった後、同僚から「発表よかったよ」とか「いい研究だね」とか言ってもらったけど、最後の質問のやり取りが頭に残って、自分としてはあまり満足できなかった。こうして僕のサンフランシスコで初めての発表は、ほろ苦い発表デビューになってしまったのだ。


聴いている人がどのように感じるかをもっと理解して、そのやり取りを想定して考えておくことが大切だと思い知った。このような感じで、僕は英語にもまれて四苦八苦している。今回のことはすごくいい経験になった。次の発表で、リベンジだ。

 

気分は大リーガー 競い合って励む研究

林 洋平(カリフォルニア大学サンフランシスコ校 研究員)

(朝日中学生ウイークリー 2010年4月4日号から)

イラスト・松尾 萌(東京大学大学院理学系研究科博士課程)

 朝、研究所のドアを開けると僕の毎日の「試合」が始まる。

まず、隣の研究室のミーティングに参加する。中国から来た研究員が自分の研究を発表している。内容は、心臓の細胞の分子メカニズムについてのものだ。非常にオリジナリティーがあり、丁寧に計画された素晴らしい実験だ。僕はその内容と、流れる英語の洪水に圧倒されながらも、どこか研究に不完全なところはないか、より発展させるにはどうしたらいいのかをずっと考える。

昼には食事を取りながら、ドイツ、インド、フランスなど10カ国以上から来た研究員同士で、研究の話やお互いの生活の話、文化の違いについての話をする。

午後はいよいよ自分の実験を始める。フィリピンから来た研究助手と一緒に培養している細胞からデータを取る。僕の飼っている細胞は手を抜いたり、操作ミスをすると途端に「機嫌」が悪くなって、死んでしまったり、性質が変化してしまったりするから、細心の注意が必要だ。その後は、一筋縄じゃいかない遺伝子(DNA)の実験に悪戦苦闘する。前回失敗してしまった原因を突き止め、方法に改良を加えながら、成功へと導くための計画を練る。最後に実験ノートをつければ、僕の一日の「試合」が終わる。

これが僕の今の毎日。僕はアメリカ・サンフランシスコにあるUCSF(カリフォルニア大学サンフランシスコ校)という大学の研究所で働いている。去年、東京大学大学院の博士課程を卒業した、研究員のルーキーだ。僕の研究対象はiPS細胞という、ちょっと謎の細胞。もしかしたらニュースなどで聞いたことがあるかもしれない。iPS細胞はどんな種類の組織にもなることができる細胞で、僕らの体から直接作ることができる。詳しくは後で説明するとして、まずはアメリカで科学の研究をすることについて話そう。

日本でももちろん、科学の研究はできる。研究のレベルも、一概には言えないが、それほど差はない。だけど、なんといっても規模が違う。それは日本の野球とアメリカのベースボールとの違いみたいなものだと僕は思っている。日本の野球のレベルだって、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で日本チームが優勝したように、非常に高いレベルにある。でも、大リーグはやはり野球の本場であって、その規模は圧倒的だ。アメリカだけでなく各国から来た高いレベルの選手が競い合っている。

科学の世界もそうだ。ここUCSFでは世界中から来た研究者が競い合って研究に励んでいる。アメリカで研究を始めて、僕はそれを実感した。日本ではノーベル賞を取った研究者はかなり珍しいけど、この大学のキャンパスにさえ何人もいるし、別の大学からも毎月のように講演をしに来る。

僕自身はまだ「マイナーリーグ」の選手のようなものだけど、これからこの研究所で世界から認められる研究をしていきたい。だから、気分は大リーガー。

 

 

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   2007年8月26日号

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   2009年4月19日

 

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