サイエンス・ポット


大学院での研究のこと、中学生時代に興味を持っていたことなどを語ります。

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情報提供する側される側 意識に差あり

東京大学大学院総合文化研究科博士課程 関谷 翔

(朝日中学生ウイークリー 2010年3月21日号から)

イラスト・阿部真理子(東京大学大学院工学系研究科 博士課程)

 南米チリで2月27日に大きな地震が発生しました。ニュース映像からは、地震の揺れによる被害の大きさが伝わってきましたが、地震で怖いのは揺れだけではありません。今回の地震では、津波が発生し、遠く離れた日本にもやって来ました。そのスピードは平均するとおよそ時速75キロメートル。1時間で東京から札幌まで進む速さです。


実は、ちょうど50年前の1960年にもチリで大地震が起こり、今回よりもずっと大きな津波が発生しました。北海道、東北地方の太平洋側には最大で6メートルの津波が押し寄せ、142人の死者が出ました。この地震を教訓に、気象庁はハワイの太平洋津波警報センターなどと連携し、海外で発生した地震による津波に関する警報・注意報も出すようになりました。


それから50年。地震・津波に関する科学、観測技術は格段に進歩しました。そうした進歩のおかげで、今まではできなかった対策もできるようになっています。50年前には出せなかった津波に関する警報・注意報を、今回は津波が日本に到達する前に出すことができました。今回の津波では、養殖業など一部の産業に被害が出ましたが、犠牲者を出すことはありませんでした。ところがどうでしょう。今回は、警報や注意報の予報が実際よりも過大だったという理由で、気象庁は謝罪をしたのです。


津波に関する警報や注意報を出すのは地震や津波の専門家です。専門家は、どのくらいの高さの津波がいつ来るかを正確に予測することを目指します。しかし、警報や注意報は、災害による被害を避難などによって最小限にするために出すものです。素早い情報提供、そしてその情報に基づいた冷静な対応が求められます。今回の事例では、津波に関する警報・注意報に対して求めているものが人によって違うということが改めてわかったと思います。


津波に限らず、リスクに関する情報を誰がまとめ、どのように知らせるかは大きな問題です。今回のようなことを繰り返していれば、今後、警報を出しても「大したことはないだろう」と思いこみ、避難せずに被災してしまう人が出るかもしれません。


リスクに関する情報提供の問題と並んで、リスクに関する決定を誰がどのように行うのかというのも大問題です。たいていのリスクの場合、そのリスクに詳しい専門家がいます。しかし、今回の事例のように、警報を出す専門家と警報を受け取る人々との間では、重視する事柄が異なることがしばしばあります。より良くリスクに対応するために、専門家の知識を生かしつつ、でもそれだけではない決定の仕方はどのようなものになるでしょうか。こうした「私の研究している課題」はまだまだ解けそうにありませんが、少しずつでも答えに向かって歩みを進める日々を送っています。

 

リスクかかわる問題 誰が判断するか

東京大学大学院総合文化研究科博士課程 関谷 翔

(朝日中学生ウイークリー 2010年3月7日号から)

イラスト・阿部真理子(東京大学大学院工学系研究科 博士課程)

 「インフォームド・コンセント」という言葉を聞いたことがありますか? 薬の処方や手術など、医師や薬剤師などが行う医療行為に対して、それを受ける人やその代理として家族が、医療行為の内容やそのリスク、他の選択肢などについて十分に説明を受けた上で合意をしたり、あるいは合意せずに別の案を新たに探して合意を目指す、という考え方です。1997年に医療法という法律が改正された時、日本の法律に初めてこのインフォームド・コンセントという考え方が登場しました。


インフォームド・コンセントの根本にある考え方は、医療行為を受ける者が医療行為のリスクを自覚し、リスクだけでなく他の要素も考慮しながら、自らの判断で決定するということです。私は高校2年生の頃から花粉症をわずらっています。今年も2月中旬くらいから症状が出始めました。昔はそれほど選択肢がなかったようなのですが、いまではアレルギー反応を抑えるための内服薬が何種類もあります。いま私が処方を受けている薬を決めた時には、それぞれの薬について医師から説明を受け、実際に症状が緩和されるか、副作用は出ないかなどを観察し、最終的には私自身が選んだのを覚えています。


リスクのかかわってくる問題の判断は難しいものです。前に、リスクは良くないことを測るモノサシのようなものであり、良くないことがどのくらいの確率で起こるか、その良くないことがどのくらいの被害をもたらすかなどを測って、対策に役立てようというものだと言いました。手術の成功率などの場合、たいていはいままでに同じような手術でどのくらい成功しているかをもとに計算されます。10回中7回成功しているなら成功率70%などというふうにです。しかし、自分は何度も同じ手術を受けるわけではありません。たった1回の手術を受けるかどうかを決めるのに、確率を使わなくてはならないのは難しい判断です。降水確率を見ながら、傘を持っていくか持っていかないかを決めるのと似ていますが、雨に降られるのと手術に失敗するのとでは、深刻さがまったく違います。自分の命にかかわるものだからこそ、より慎重な判断が求められます。

 

 しかも、その判断を専門家である医師など他の誰かに任せてしまうのではなく、自分で行うことをインフォームド・コンセントは求めていると言えるでしょう。
リスクがかかわる判断を誰が行うのか、そのリスクについてよく知っている人が行うのか、それともそのリスクによって被害を受ける可能性がある人が行うのか。これは私の学んでいるリスク学の中でも大きな問題だとされています。

 

大航海時代の勇気と商売心が「リスク」の語源

東京大学大学院総合文化研究科博士課程 関谷 翔

(朝日中学生ウイークリー 2010年2月21日号から)

イラスト・阿部真理子(東京大学大学院工学系研究科 博士課程)

 みなさんは「リスク」という言葉を日常会話の中で耳にしたことがありますか? 確認できる限り、「リスク」を題名に含む日本語の本が初めて出版されたのは1961年ですが、「リスク」を題名に含む本がたくさん出版されるようになったのは90年代に入ってからのことです。そう考えると、「リスク」はまだ20歳くらいの新しい言葉とも言えそうです。


最近よく使われるようになった日本語の「リスク」は、英語の“risk”(リスク)を輸入したものです。その英語の“risk”も、フランス語の“risque”(リスク)を輸入したものだと言われています。そうやってもとをたどっていくと、初期イタリア語の“risicare”(リジカーレ)という言葉までたどり着くのだそうです。


この“risicare”が誕生したのは今から550年ほど前、コロンブスなど有名な探検家が大活躍した大航海時代が始まった頃だと言われています。当時使われていた“risicare”という言葉は、「勇気をもって挑戦する」という意味でした。船乗りたちが危険を承知の上で、絶壁の間を縫うように進んでいく光景が目に浮かびます。当時、ヨーロッパの船乗りたちは、海に「リヴァイアサン」と呼ばれる怪物がいると信じていました。リヴァイアサンは船の周りをぐるぐると泳いで渦巻きをつくり、最後には船ごとのみ込んでしまう恐ろしい怪物です。そんな怪物がすむ大海原へ進み出ること自体、勇気に満ちた行動だったと言えるでしょう。


やがて、船が比較的安全で重要な交通・運輸手段となった時、海上保険という新しい商売が始まりました。船は大切な荷物を遠くまで運ぶことができますが、嵐に遭って沈没するなど、目的地まで無事に着けないというリスクがあります。そんなことでは安心して船に荷物を載せられません。そこで、「少しの掛け金を払っておけば、船が途中で災難に遭い、無事に荷物を目的地まで届けられなかった場合に、その荷物の価値に応じた金額を補償する」という海上保険が17世紀末に誕生しました。とは言え、海上保険も商売ですから、もうけを出さなくてはなりません。そのためには、船が沈没してしまう確率などを知り、リスクを正確に把握する必要がありました。


このように、「リスク」という言葉や考え方は、船の誕生と密接にかかわっていると言えるでしょう。船乗りの立場からは「勇気を持って挑戦する」という視点が、船に荷物を載せる人や海上保険を営む人の立場からは「何とか損を減らす」という視点がうかがえます。言葉の使われ方を見ていると、どうも最近は後者の考え方が多いようです。しかし、「虎穴に入らずんば虎児を得ず」(危険を冒さなければ成果を得られない)、「君子危うきに近寄らず」(君子=すぐれた人格者=は身をつつしみ、危険を冒さない)という2つの矛盾する考え方があるように、「リスク」にも同じ二面性があるのです。

 

膨大な本、論文から始まる「答え」さがし

東京大学大学院総合文化研究科博士課程 関谷 翔

(朝日中学生ウイークリー 2010年2月14日号から)

イラスト・阿部真理子(東京大学大学院工学系研究科 博士課程)

 今回は、私や私と同じ研究室の大学院生の研究の進め方をリポートしてみたいと思います。


私が所属している「科学史・科学哲学」の研究室には、さまざまな興味関心を持った人がいます。私は、危険や安全などを「リスク」という考え方でとらえる最近の傾向が、なぜ起こっていて、それがどのような影響を与えているのかを研究しています。私の研究仲間には、環境保護という考え方の登場に科学者がどうかかわったのかを研究している人、科学の法則や理論はそれが世界の本当の姿を説明しているから正しいのか、あるいはそうではないのかを研究している人など、本当にいろいろな研究テーマの人がいます。


さて、このような興味関心を持った研究者たちは、どのように「答え」を探せば良いでしょうか? 実験室で実験して分かることではなさそうです。かといって、何もしないでただ思いついたことを言っていても、誰も「答え」とは認めてくれません。


研究のスタイルも人によってそれぞれですが、ひとつ共通して言えることは、本や論文、資料などをとにかくたくさん読みます。


まず、似たような興味関心を持った他の研究者たちがこれまでにどのような「答え」を出しているのかを知るために読みます。すでに他の研究者たちが行った研究は「先行研究」と呼ばれ、研究を進める上で、まず押さえておかなくてはならないものです。今までに研究されたことがなく、先行研究がないようなテーマもあります。そのような分野は自分でゼロから研究を始めなくてはならないので、先行研究があるテーマよりも大変です。逆に、先行研究がたくさんあるテーマも大変です。ほとんど研究し尽くされていますし、先行研究を読むことだけで一苦労だからです。


次に、先行研究が主張していることは本当に「答え」といえるかどうか考え、もし違うのなら、どうして違うといえるのか考えたり、その証拠をそろえるために資料を読んだりします。ここが腕の見せどころです。おそらくほとんどの研究にいえることでしょうが、すでにある研究と全く同じ主張では価値がありません。何か新しいことを主張したり、今まで正しいと思われていたことに疑問を投げかけてみたりすることで、1歩でも2歩でもまだ誰も歩いたことがないところへ踏み出す必要があります。これは高校までの「勉強」と大学での「研究」との大きな違いです。だからこそ、このプロセスが重要なのですが、一番難しいところでもあります。


そして最後に、自分の研究を発表します。たいていは、自分の研究内容をまとめた論文を書くことが最終的な発表となります。多くの場合、学術雑誌という特殊な種類の雑誌に論文を投稿します。投稿された論文は、雑誌に載せるだけの価値があるかどうか、同じ分野の研究者たちがジャッジします。掲載が認められると雑誌に研究成果が載り、以後の研究の先行研究となるわけです。

 

インフルで追試やる? 感染率予想が鍵

東京大学大学院総合文化研究科博士課程 関谷 翔

(朝日中学生ウイークリー 2010年2月7日号から)

イラスト・阿部真理子(東京大学大学院工学系研究科 博士課程)

 2月に入り、中学3年生の多くは間近に迫った高校入試にドキドキしているのではないでしょうか。緊迫した表情の3年生を見て、1年生や2年生までドキドキしているかもしれませんね。


今年の高校入試でドキドキしているのは、中学生だけではありません。本試験以外に追試験を行うかどうか、入試を実施する人たちもドキドキしています。なぜだか分かりますか?

 

 そう。新型インフルエンザにかかってしまった受験生への対応をどうするか検討しているのです。


県立高校入試の新型インフルエンザ対応として、興味深い対応をとっているのは栃木県です。今年、栃木県では3月8日に県立高校入試の本試験が行われる予定です。しかし当日、インフルエンザを理由に受験できない生徒が多い場合には、追試験を行う必要があると考えられます。追試験を行うとなると、本試験と同じ問題を出すことはできません。追試験のために、まったく別の問題を用意しなくてはなりませんし、試験監督などももう1日必要となり、準備が大変です。


そこで、栃木県では追試験を行うか行わないかを3月1日に決定し、行うと決定した場合には3月12日に実施すると事前に決めました。では、3月1日にどのようにして追試験を実施するかしないかを決めるのでしょうか? 


実は、天気予報のような、予想を使います。3月1日の段階で、3月8日に栃木県内の中学生のうち、どのくらいがインフルエンザに感染していると予想できるか、その割合が7〜8%を上回っている場合には追試験を実施し、下回っている場合には実施しないということをあらかじめ決めています。天気予報に例えると、インフルエンザの週間予報を立てて、雲ゆきがあやしかったら追試験をやる、という感じでしょうか。


このような対応の背後には、リスクの考え方が色濃く出ていると言えます。@インフルエンザを理由に受験できない生徒が発生してしまうのは受験生自身にとっても、試験を行う人にとっても、もっと一般的に、社会にとっても「良くないこと」であると考えられているAインフルエンザにかかってしまう受験生がいるかいないかではなく、何人くらいいるのか、その割合は何%なのかという「量で考える」ことB将来についての予想を立てて、「あらかじめ対応を決めておく」こと――これらはリスクの考え方と言えるでしょう。


受験生のみなさんは体調に気をつけて、受験勉強のラストスパートを頑張ってください。同時に、入試を受けられないというリスクから身を守るために、自分の志望校や自分の都道府県の教育委員会が追試験について、どのような対応をとっているのかをチェックしておきましょう。

 

食品のリスク 「なじみがない怖さ」も影響

東京大学大学院総合文化研究科博士課程 関谷 翔

(朝日中学生ウイークリー 2010年1月31日号から)

イラスト・阿部真理子(東京大学大学院工学系研究科 博士課程)

 お正月を迎えたばかりだと思っていたら、いつのまにか1月も終わり。時がたつのは早いですね。


先日、食品安全委員会が主催する「食品の安全性に関するリスクコミュニケーター育成講座」に参加してきました。同委員会は、国民の健康を守るために、スーパーマーケットなどで売っているさまざまな食品のリスクを測ることを主な仕事とする機関です。


リスクについて復習しましょう。リスクは、良くないことを測るモノサシ。良くないことがどのくらいの確率で起こるか、どのくらいの被害をもたらすかなどを測って、対策に役立てようというものです。リスクコミュニケーターとは、食品のリスクを測る人、食品を作る人、食品を流通させる人、食品を売る人、そうした食品の生産・流通・販売に携わる人を監督する人、そして食品を買って食べる人など、さまざまな立場の人たちが集まって、食品の安全性や安心な食卓について考えたり、話し合ったりする機会を増やしたり、そうした議論がうまく行えるように調整したりする人のことをいいます。こうしてコラムを書いて、みなさんと食品のリスクについて考えるのも役割の1つです。


ところで、お正月にお餅を食べましたか? 毎年お正月になると、お餅をのどに詰まらせて窒息死してしまうという痛ましいニュースを聞きます。窒息事故を起こしやすい食品として、お餅以外にもゼリー、あめ、パンなどがありますが、そうした食品のリスクを先日、食品安全委員会が試算しました。1億人が一口分ずつ食べた場合、窒息死亡事故が発生する頻度(人数)は、お餅で6.8〜7.6人、ミニカップゼリーで2.8〜5.9人、あめ類で1.0〜2.7人、パンで0.11〜0.25人。また、こんにゃく入りの固めのミニカップゼリーの場合が特別に計算され、0.16〜0.33人でした。この結果から、お餅が格段に窒息事故を起こしやすい食品だと分かります。


しかし、そもそもこの調査は、こんにゃく入りミニカップゼリーの安全性を疑問視するところから始まったものでした。
数としては20倍以上も危ないお餅よりも、なぜこんにゃく入りミニカップゼリーのほうが問題にされるのでしょうか。理由の1つは、日本人の食文化にあるでしょう。お餅は稲作の伝来とともに日本に入ってきたといわれ、日本人にとってなじみ深い食品の1つです。私たちは長い付き合いの中で、お餅がどのような性質の食品かを心得ています。それに比べ、こんにゃく入りミニカップゼリーは最近誕生した歴史の浅い食品です。なじみのあるものよりも、なじみのないもののほうが怖いものです。リスクというモノサシは、事故の発生件数だけでなく、なじみ深さなどの性質とも関係しているのです。

 

理系と文系の壁超えて「リスク」を研究

東京大学大学院総合文化研究科博士課程 関谷 翔

(朝日中学生ウイークリー 2010年1月24日号から)

イラスト・阿部真理子(東京大学大学院工学系研究科 博士課程)

 今回からこのコーナーを担当する関谷です。このコーナーは、これまで「ハエ博士」の堀部直人さんと「氷博士」の荒川雅さんが担当しました。堀部さんはハエの行動だけでなく、理系の大学院生や研究者が普段何をしているのか、ヒトの行動についても面白い話をしてくれました。荒川さんは氷の結晶という小さな世界から宇宙の構造という大きな世界までが1つにつながっていることを、理論と実験という理系の「2大武器」で説明してくれました。

おっと。「理系」という言葉には説明が必要ですね。中学校の教科でいえば、理系は数学、理科、保健体育、技術、文系は国語、社会、英語、音楽、美術、家庭科でしょうか。一般に、理系は自然(人体を含む)を対象とする学問、文系は人間の活動や社会を対象とする学問といわれます。現在の日本の制度では、高校2年生で文系・理系の進路選択をすることが多いようです。これは大学の学部制度が文系と理系を分ける傾向にあるからだと思います。しかし、たくさんの学問を文系と理系というたった2つの箱に押し込むのは無理な話に思えます。

私は大学で科学史・科学哲学を学びました。科学史・科学哲学は、歴史や哲学を通して科学について考える学問です。例えば、いまは地球が太陽の周りを動いているという地動説が定説ですが、400年前は違いました。1610年といえば、ガリレオ・ガリレイがデビュー作『星界の報告』を出版した年です。そこには彼が自作望遠鏡で観測した天体のスケッチが載っています。当時は天動説と地動説のどちらが正しいかをめぐって大論争が起こっていました。ガリレオは木星の衛星を観測し、地動説に有利な証拠を見つけました。ガリレオが観測結果と地動説という理論をどのように結びつけて考えたのかを研究すれば、科学史です。なぜ天動説ではなく地動説が正しいと言えるのかを研究すれば、それは科学哲学です。このように、科学史・科学哲学は理系についての文系の学問と言えそうですが、どちらか一方に押し込めるのは難しそうです。

私はいま大学院で「リスク」を研究しています。リスクは良くないことを測るモノサシのようなものです。良くないことがどのくらいの確率で起こるか、どのくらいの被害をもたらすかを、良くないことが起こる前にリスクとして測って、対策に役立てようというものです。良くないことの確率や被害を測るなら、理系の出番に思えます。でも何を良くないことと考えるかは、時代・場所・人が変われば異なり、文系の出番にもなります。本来、人間には良くないことを怖いとか嫌だと思う気持ちがありますが、そこにリスクという新しい考え方が加わった現代では、どんなことが起こっているのでしょう? それが私の解きたい問題です。次回以降、私の研究生活の様子をまじえながら、不思議なモノサシ「リスク」についてお話しできればと思います。

 

 

「知る」ことの積み重ねが人間の文化に

東京大学大学院理学系研究科博士課程 荒川 雅

(朝日中学生ウイークリー 2009年12月20日号から)

研究室の装置を使って実験中

 氷の話が涼しく感じる夏の季節に始まった僕の連載も、今回が最終回。いつの間にか、空から氷の結晶(雪)が舞う季節になりました。今回はコラムを書くにあたって心に留めていたこと、書く中で感じたことを紹介して、筆を置こうと思います。
3週間ほど前まで、行政刷新会議の「事業仕分け」が行われていましたよね。予算の削減にあたり、対象の科学研究が役に立つのか立たないのか、ということが一つの基準になって、その場では予算の削減が決まりました。

これまでのコラムで、僕が大学院で行っている氷XIの研究について紹介してきました。もしかしたら、氷の研究が一体何の役に立つんだろう、そう思った人もいたかもしれません。実際、氷XIが宇宙にあることがわかっても、僕たちの生活に変化は起きないでしょう。でも大切なのは、生活に直接役に立つのかどうか、それだけではないと思います。

もちろん、世の中の役に立つ研究は大切です。難しい病気を治療する方法や薬の研究、災害を予知したり防ぐための研究、そして暮らしを便利にする家電製品も、科学の研究で進歩しています。一方で、すぐには役に立たない研究もたくさん行われています。もしかしたら100年後に役立つ研究もあるかもしれませんし、未来永劫、目に見える形で役に立たない研究もあるかもしれません。

僕は、身の回りの現象の多くが広い宇宙にわたって共通な法則でつながっているという、科学の普遍性に魅せられて研究を続けています。そして、今まで誰も知らなかったことを「知る」ということの必要性を感じています。
新しい知を探究しなくても、生きていくことはできます。でも、「知る」ことの積み重ねによって、文明が生まれ、文化が生まれ、今の僕たちがあるのだと思います。そして知の探究は、自分自身の存在の普遍性を探究することにもつながると思います。

知ったことを他の人に伝えるのも、大切です。伝えることによって、知識が蓄積されていくからです。科学者は論文を書くことによって、発見を他の人に伝えます。でも文明や文化は科学者だけによって作られていくものではありません。本当は、科学者ではない人たちにも伝えていかなければならないと思います。ここでコラムを連載するのは、僕にとってその実践でした。書くことによって、自分が知らないことに気づくこともでき、とても楽しい時間でした。
次回からは、環境問題や新型インフルエンザのような健康問題などの「リスク」とそれらの問題に対して人間が行う判断や決定との関係を研究している、関谷翔君にバトンタッチします。分野は全く違うけれど、別な視点から新しいことを知るきっかけになると思います。これからもこのコーナーを楽しんでください。それでは、よいお年を!

 

科学は万能ではない 限界の中で真実追求

東京大学大学院理学系研究科博士課程 荒川 雅

(朝日中学生ウイークリー 2009年12月26日号から)

イラスト・阿部真理子(東京大学大学院工学系研究科 博士課程)

 日常的に使うものやお店で売られているものの中には、「科学的」な言葉を使って、その効果を宣伝しているものがたくさんありますよね。ダイエット食品や健康食品から家電まで、テレビのコマーシャルを見ていても、お店を歩いていても、いろいろなところで「科学的」な言葉を見かけます。そんな商品を、つい深く考えずに信用してしまうこと、ありませんか?

僕がみなさんと同じ中学生の頃、科学は、世の中の多くの問題を解決することのできる存在だと感じていました。身近で不思議に思うことも、きっと科学で説明できて、専門家に聞けばわかることがほとんどだと思っていました。でも、勉強や研究を続けていくうちに、実際には「わかっていないこと」がたくさんある、ということがわかってきました。

たとえば、いま大きく報道されている地球温暖化についても、わかっていないことがたくさんあります。人間の活動によって大気中の二酸化炭素の濃度が上昇し、その温室効果によって地表の温度が上昇、さらには気候変動につながる、というのが現在広く認識されている地球温暖化問題です。しかし、大気中の二酸化炭素濃度の増加や気温の上昇が、本当に人為起源なのか、疑いを向ける科学者もいます。気候変動のシミュレーションの研究も行われていますが、さまざまな要因がかかわっているので、正確な予測は難しいようです。

学会や論文上でも、意見が対立していることがよくあります。僕が研究の対象としている氷XIについても、過去にはその存在を疑う論文が発表されています。研究者は実験を繰り返して、得られたデータを基に論理的に現象を説明、解明していくしかありません。だから、現在正しいと思われていることも、将来覆されるかもしれません。一つひとつの研究が積み重なって、時に修正されながら、科学は進歩しているのです。

世界で初めて雪の結晶を人工的に作るのに成功したことなどで知られる中谷宇吉郎博士は、著書『科学の方法』の中で、科学の限界について記述しています。必ずしもすべての問題が科学で解決できるとは限らない。科学は、科学に適した問題(繰り返すことのできる再現可能な現象)のみを扱うことができると述べています。

科学は万能ではなく、科学が進歩しても、わからないことは次から次へと出てくると思います。僕たち大学院生を含めて研究者は、その限界の中で、本当のこと、真実を求めて研究を続けています。

 

研究室で刺激与え合いアイデア生み出す
東京大学大学院理学系研究科博士課程 荒川 雅

(朝日中学生ウイークリー 2009年11月22日号から)

イラスト・阿部真理子(東京大学大学院工学系研究科 博士課程)

 みなさんは、大学院はどんなところだと想像していますか。今回は、大学院生の日常について紹介します。

 大学を卒業した後に、さらに学問を続けたい人が進学するのが、大学院です。大学院の学生は、「研究室」に所属しています。研究室とは、教授、准教授、助教と呼ばれる大学の先生たち、ポスドク(ポストドクターの略)と呼ばれる大学院を卒業したての研究者、そして大学院の学生から成る研究チームです。僕の所属する研究室には自分の机や実験スペースがあって、大学院生はほとんどの時間を研究室で過ごします。

 大学院では、中学や高校と同じように教室で授業を受ける時間はとても少なくなります。それもそのはず、研究は誰も知らない未知の領域について行われるからです。教科書や専門書にも載っていないこと、大学の先生も知らないことが研究の対象です。

 誰も知らないことについて研究するには、これまでにどんなことがわかっていて、どんなことがわかっていないかを知る必要があります。そこで、僕たちは「論文」を読みます。論文とは、研究の動機、実験方法と結果、そしてその結果が何を意味するのかをまとめた報告書です。世界中には論文を掲載している専門の雑誌(論文誌)がたくさん(英語の論文誌だけでも6000誌以上!)あります。コンピューターを使って検索し、その中から必要な論文を見つけます。

 最新の論文を読むことで、どんなことが「わかっていないのか」がわかります。そして、それを調べるにはどんな実験が必要かを考えます。実験に特別な道具や装置が必要な場合は、専門の業者にお願いして、装置を作ってもらいます。僕は中性子を使った実験をしていますが、これは大学の実験室では行えません。そこで、アメリカのオークリッジ国立研究所などに出かけて実験をすることもあります。

 実験でデータが得られたら、今度はそれが何を意味するのかを考えます。ここが、研究をする上で一番難しく、楽しい部分だと僕は思います。誰も知らない真実を求めて試行錯誤します。

 そして新しい発見があれば、論文を書いて、論文誌に投稿します。掲載する価値があると判断されると、実際に論文が掲載され、世界中の研究者が読むことができるようになります。

 大学院生は、研究者のたまごです。実験を計画して論文を書くまでの過程を実際に繰り返すことで、データを論理的に解釈する方法などを学んでいきます。

 でも、その過程で悩むこともたくさんあります。そんな時、相談したりアイデアを出し合ったりできるのが研究室の仲間です。日々刺激を与え合って過ごしています。

 

科学は広い 学ぶ中で面白い研究に出会う

東京大学大学院理学系研究科博士課程 荒川 雅

(朝日中学生ウイークリー 2009年10月25日号から)

 

イラスト・阿部真理子(東京大学大学院工学系研究科 博士課程)

 これまでは、僕が大学院で行っている氷の研究について紹介してきました。科学の「普遍性」に魅力を感じながら、いまも研究者になることを目指して大学院での毎日を過ごしています。

 みなさんと同じ中学生の頃には、僕は理科、特に科学の本に載っている実験を試してみるのが好きでした。そして将来は科学者になりたいなぁと漠然と考えていました。でも、その頃想像していた大学院で学ぶ学問や科学者のイメージは、実際とはだいぶ違うものでした。

 今、世の中ではエコがブームですよね。僕が中学生から高校生の頃は、環境問題が騒がれ始めた頃でした。大気汚染やゴミ問題、森林破壊、食糧不足、地球温暖化にオゾンホールと、数え切れないほどの問題に目が向けられ始めていました。それぞれの問題は互いに関係し合っていて、簡単には解決できそうにありません。それに、科学的に解明されていないこともたくさんありました。人間も自然の一部として地球上で生きているはずなのに、人間が自然の敵であるように報道されることに、違和感を感じていました。それで、大学では環境問題について勉強したいと考えるようになりました。

 環境問題といっても、どんな学科に入ればいいのか見当もつきませんでした。中学校までは、理科は一つの科目(1分野と2分野)ですよね。ところが高校に入ると、理科は物理、化学、生物、地学の4つの分野に分かれます。そしてさらに大学で理科に関する学問を学ぶには、主に理学部や工学部といった学部に進みます。理学部は、さらに物理、化学、生物や地学を学ぶ学科に分かれていて、より専門的に勉強することができます。そこで、ひとまず基礎的な勉強をするため、一番好きだった化学の勉強をしようと決めました。

 実際に大学で化学を学び始めてみると、化学の中にもさらにたくさんの分野があって、今まで全く知らなかったような面白い研究があることが分かってきました。たくさんの研究がある中で、大学院では地球化学の研究室を選びました。地球化学は、地球について化学の手法を使って分析、解明していく学問です。僕たちが踏みしめている地面のずーっと下は、どうなっているんだろう。そんな好奇心から、地球そのものの研究を始めました。研究を進めていくうちに、今度は地球を含めた惑星の成り立ちや宇宙について興味を抱くようになりました。

 そして、現在は宇宙に存在する氷の研究をしています。大学に入る前には、氷の研究をするとは想像していませんでしたが、毎日楽しく過ごしています。世界中には、きっと今みなさんが想像しているよりも、多くの種類の学問があります。今興味を抱いていることや夢をあきらめずに持ち続けていたら、いつか自分が求めているものに出会えるのではないかな、と思います。

 次回は、研究室での日常について、紹介したいと思います。

 

9/20UP!

 

東京大学大学院理学系研究科博士課程 荒川 雅

科学の「普遍性」に迫る研究にわくわく

(朝日中学生ウイークリー 2009年9月20日号から)

イラスト・阿部真理子(東京大学大学院工学系研究科 博士課程)

 静電気を帯びた氷XIが宇宙に存在すれば、氷の粒と粒の間に強い力がはたらいて、惑星形成の過程に影響を与えたかもしれないことを紹介してきました。僕が宇宙に氷XIがあるのかどうか調べたいのには、他にも理由があります。

 これまでに、自然界で氷XIは見つかっていません。さらに、氷XIの生成について、疑う研究者もいるのです。

 氷XIは、とても作るのが難しい氷です。氷Ih(普通の氷)から氷XIができるには、数万年の時間がかかると考えられています。低い温度では、水分子中の水素の動きが鈍くなって、氷XIへの変化が非常にゆっくりになるためです。実験室で作ろうとした時、こんなに長い時間は待てないですよね。そこで、ある不純物を加えることによって、氷XIができるまでの時間を短縮します。不純物によって変化が早められ、数日で氷XIができます。

 長い時間をかければ、不純物を入れなくても氷XIが作れると考えられています。けれども、これまでに不純物を入れずに氷XIを作った人は、誰もいません。本当に氷XIは、不純物がなくても存在する氷なのでしょうか。

 それを確かめるために、僕たちは研究を続けてきました。そしてさらに、宇宙に氷XIが発見されたらどうでしょう。宇宙誕生からこれまでに、137億年の年月がたっています。太陽系ができてからでも、既に約46億年。氷XIができるのには十分な時間がたっています。もし氷XIが発見されたら、氷XIは不純物を入れなくても生成する氷なんだ、ということが言えるでしょう。

 僕が研究者を志そうと思ったきっかけの一つが、科学の「普遍性」に引かれたことです。化学や物理は、ある現象を宇宙のどこでも通用する「普遍的な」法則で説明する学問です。数ある自然現象のうち、対象になる現象は限られています。けれども、身の回りの現象の多くが広い宇宙にわたって共通な法則でつながっている――。僕はそのことに魅力を感じました。

 氷XIの生成という現象には、熱力学第3法則などの普遍的法則がかかわっています。僕たちは実験を通じて現象と法則の関係を探求しています。そして不純物がなくても存在する氷であることを証明しようとしています。同時に宇宙で氷XIが発見されれば、氷XI自体の「普遍性」が証明されることにもなります。

 いま自分の研究していることが、他のたくさんの現象と普遍的な法則でつながっていて、宇宙のどこに行っても成り立つことなんだと思うと、なんだかわくわくしてきます。

 

9/6UP!

 

東京大学大学院理学系研究科博士課程 荒川 雅

氷XI、宇宙にある? 天体観測技術にも期待

(朝日中学生ウイークリー 2009年9月6日号から)

この夏、アメリカのオークリッジ国立研究所で中性子を使った氷XIの実験をしてきました

 前回は、太陽系が形成される過程での氷について紹介しました。では、現在の太陽系ではどうでしょうか。

 水は、太陽系にとてもたくさん存在する物質です。前回紹介したように、水は太陽系形成の初期段階においてチリの表面で生成され、現在に至るまで豊富に存在しています。地球上では水は液体として存在しますが、地球より外側の温度の低い天体には、氷として存在します。特に天王星と海王星は、巨大な氷でできた惑星です。さらにその外側には、カイパーベルト天体とよばれる天体がたくさん存在しています。カイパーベルト天体は氷でできた天体です。数年前まで惑星の一つとされていた冥王星も、カイパーベルト天体の一つです。これらの氷でできた惑星や天体を、氷天体と呼びます。氷といっても、純粋な水の氷ではなく、アンモニアやメタンなどの混じった氷でできています。

 これまでの中性子を使った研究から、どんな温度変化をしてきた氷が氷XIになりやすいのかがわかってきました。現在の太陽系では、土星の輪や天王星、海王星、そして冥王星をはじめとするカイパーベルト天体に、氷XIがあるのではないかと考えています。

 けれど、本当にこれらの天体に氷XIがあるかどうか、誰も知りません。それを知るには、惑星探査や天体観測が必要です。

イラスト・阿部真理子(東京大学大学院工学系研究科 博士課程)

 天体がどんな物質からできているかは、天体が反射する赤外線を観測することでわかります。近年、日本がハワイに建設した「すばる望遠鏡」やNASAの冥王星探査機「ニューホライズンズ(New Horizons)」などにより、赤外線を使った観測が進められています。氷天体にメタンやアンモニアが含まれていることも、赤外線観測によって解明されてきました。こうした観測から、宇宙に氷XIが存在するかどうかもわかるかもしれません。

 僕たちの研究では、中性子での実験の他に、氷XIに赤外線を当てたときに、どんな信号が得られるのか調べる実験をしています。これまでの実験から、氷XIからの信号は、氷Ih(普通の氷)とは異なることがわかりました。

 今後、天体観測の技術が発達して、宇宙の氷の赤外線の情報が今よりも精度良く測定できる日が来ると思います。僕たちの実験結果と比較して、宇宙に氷XIが存在することが証明される日が来るかもしれません。それを夢見て、研究を続けています。

 

8/30UP!

 

東京大学大学院理学系研究科博士課程 荒川 雅

氷XIの引き合う力が惑星形成を促した!?

(朝日中学生ウイークリー 2009年8月30日号から)

イラスト・阿部真理子(東京大学大学院工学系研究科 博士課程)

 氷は、宇宙にもたくさん存在しています。たとえば、太陽系の形成にも役割を果たしたかもしれない、氷XIについて考えてみましょう。

 宇宙空間には「星間物質」と呼ばれるガスやチリが存在します。この星間物質が凝集した、密度が高い領域を「分子雲」と呼びます。この分子雲が、太陽系が形成される初期段階です。

 分子雲の中で、ガスとして存在する酸素や水素がチリの表面で反応すると、氷ができます。このとき、分子雲の温度はマイナス260度程度です。この氷は、氷の中の水分子が不規則に並んだ「非晶質」の氷です。水分子が規則的に並んだ14種類の氷のいずれにも属しません。

 やがて分子雲は回転を始め、円盤状の「原始太陽系星雲」になります。その中心部分は、原始太陽へと成長を始めます。すると、原始太陽系星雲の温度が上がり始めます。

 原始太陽系星雲の温度が上がり、成長が落ち着くと、再び温度が下がります。この過程で、チリのまわりの氷は、水分子が規則的に並んだ結晶の氷に変化します。

 原始太陽系星雲の中では、チリが集まって微惑星が形成されます。さらに微惑星が衝突と合体を繰り返して、惑星へと成長していきます。このとき、チリのまわりに付着した氷がもし「氷XI」と呼ばれる氷だとしたら、それは大発見となります。

 氷XIは、プラスとマイナスの静電気を帯びた氷です。プラスとマイナスには互いに引きつけ合う力が生じます。氷XIは互いに引きつけ合って、チリが集まるのを促すと考えられます。つまり、惑星が形成されるまでの時間が短縮されたかもしれないのです。宇宙に氷XIが見つかれば、惑星形成の常識を覆す、世紀の大発見になるはずです。

 近年、日本がハワイに建設した「すばる望遠鏡」やNASAの冥王星探査機「ニューホライズンズ(New Horizons)」などにより、天体観測や惑星探査が進められています。しかし、氷XIについては全く調べられていません。それは、氷XIは作るのがとても難しいので、天体観測を行う研究者にもよく知られていないからです。

 中性子を使って実験することで、氷Ih(普通の氷)から氷XIに変化する様子を観察することができます。どの温度でどれだけの時間をおけば、どのくらいの割合で氷XIに変化するのか、詳しく調べることができるのです。これまでの研究から、原始太陽から離れたマイナス200度以下の領域に、約数1000ボルトの電荷を持った氷XIが存在したのではないか、ということがわかってきています。

 

8/16UP!

 

東京大学大学院理学系研究科博士課程 荒川 雅

米国での実験 多くの協力で思考に集中

(朝日中学生ウイークリー 2009年8月16日号から)

イラスト・阿部真理子(東京大学大学院工学系研究科 博士課程)

 中性子を使った「氷XI」の実験を行うため、アメリカのテネシー州にあるオークリッジ国立研究所に来ています。飛行機を乗り継いで、ノックスビル空港まで18時間。空港から車で1時間程度走ったところに、オークリッジという町があります。研究所はオークリッジの街からさらに山奥に入ったところに位置します。もともと、原爆開発のための「マンハッタン計画」で設立された研究所で、町も研究所と同時に作られました。とても小さな町です。研究所のゲートから実験施設までは、なんと10キロメートル近くもあります。原子力施設なので、悪意を持った侵入者を防ぐために、ゲートからの距離を長くしているのだそうです。セキュリティーが厳しく、初めて入ったときにはとても緊張しました。

 アメリカでの実験は、日本とは少し違います。アメリカの研究所には、研究者の他にテクニシャンと呼ばれる人たちがたくさんいます。日本では、実験の計画、装置や試料の準備から測定を行うまで、ほとんどの作業を研究者が自ら行います。けれどもアメリカでは、実験の準備や測定をテクニシャンにお願いしたり、協力したりして進めることができます。

 今回の実験では、日本で作製した氷の試料を、ドライシッパーという大きな魔法瓶のような容器に入れて、マイナス196度に冷却したままアメリカに送りました。到着した氷をテクニシャンに渡して測定の条件などを伝えると、準備をして測定を開始してくれます。あとは、得られたデータを見ながら作戦を練って、測定の条件を変えるなど工夫します。

 自分で手を動かせる範囲が限られているので、思うように実験を進められないこともあります。けれども、どうやったらいいデータが取れるのかを考えることに集中できて、とてもいい環境です。テクニシャンとのコミュニケーションを上手に取れば、日本での実験に比べてずいぶんとはかどります。

 いま実験している氷XIは、14種類のうち11番目に名づけられた氷です。前回のこのコーナーで、氷は水分子が規則正しく整列して、かちこちに硬くなった状態であることを紹介しました。ところが、氷Ih(普通の氷)を形成する水分子の水素原子は1カ所に固定されているのではなく、2つの位置を絶えず行ったり来たりしています。これを「無秩序」であるといいます。この水素が「秩序化」して1カ所に凍りついたのが氷XIです。氷Ihをマイナス201度以下にすると、「秩序化」した氷XIができます。

 近年、氷XIが宇宙に存在することが提唱されました。氷XIは静電気力を帯びた氷で、それにより生ずる力が惑星形成などに影響を与えた可能性が指摘されています。次回は今取り組んでいる実験と氷XIについて、少し詳しく紹介しようと思います。

 

8/9UP!

 

東京大学大学院理学系研究科博士課程 荒川 雅

沈む氷に熱い氷…水分子の並び方次第

(朝日中学生ウイークリー 2009年8月9日号から)

 前回は、氷には14種類あることを紹介しました。14種類の氷は、発見された順番に名前がつけられています。「普通の氷」は、「氷Ih」と呼ばれています。Iは、ローマ数字の1で、最初に名づけられたことを表しています。hは結晶の形が6角形であることを示す記号です。
コップの中の氷(氷Ih)は、水に浮いていますよね。これは、氷の密度が液体の水の密度よりも低いからです。ところが、水に沈む氷を作ることもできます。沈む氷は、室温で水に約1万気圧の圧力をかけて作ります。実験室で高い圧力を発生させるには、ダイヤモンドアンビルセル=写真、ばらした状態=という手のひらサイズの装置を使います。この装置には2つの小さなダイヤモンドが付いていて、その間に水をはさみ、ねじを使ってダイヤモンド同士を押しつけます。すると、ダイヤモンドにはさまれた水に高い圧力がかかります。ダイヤモンドを通して顕微鏡でのぞくと、ねじをしめるにつれて水が氷に変化する様子が観察できます。氷を形成する水分子がぎゅーっと詰まっているため、この氷は密度が高く、水に沈みます。6番目に発見されたので、「氷Y」と名づけられています。
さらに圧力を加えて約2万気圧になると、今度は「氷Z」と呼ばれる別の氷に変化します。この氷は100℃近くまで温度を上げても溶けません。なんと、アツアツの氷が作れるのです。

イラスト・阿部真理子(東京大学大学院工学系研究科 博士課程)

 沈む氷に熱い氷。14種類の氷は、それぞれ一体何が違うのでしょうか。それは、水分子の並び方です。
水や氷は、小さな水分子がたくさん集まってできています。水分子1つのサイズは、1000万分の4ミリメートル。とても小さいですが、たくさん集まることで水や氷になるのです。液体の水では水分子が不規則に動き回っているのに対し、氷は水分子が規則正しく整列して、かちこちに硬くなった状態です。そしてこの整列の仕方によって、様々な氷ができるのです。

 氷の中の水分子がどのように整列しているかを調べるには、中性子を使うのが有効です。中性子は、原子よりもさらに小さな粒子で、原子核が崩壊する時に放出されます。中性子を氷に当てた時にどのように散乱するかを調べることで、氷の中の水分子がどのように整列しているかが分かります。
僕はいま、「氷XI」と呼ばれる氷について、中性子を使って研究しています。しかし、中性子ビームを発生する実験施設は、世界にもそれほど多くはありません。日本にもいくつかの施設がありますが、実験に使える期間が限られていたり、中性子ビームの強度が弱くて測定に時間がかかったりします。そこで約2週間、アメリカに滞在して実験をすることにしました。

 

7/26UP!

東京大学大学院理学系研究科博士課程 荒川 雅

日常生活では見かけない氷が存在する

(朝日中学生ウイークリー 2009年7月26日号から)

地球化学の研究室で。顕微鏡は実験に欠かせない装置のひとつです

 前週までの堀部直人くんからのバトンを受けて、今週からこのコーナーを担当します。

 堀部くんがハエの研究をしているのに対して、僕は大学院の博士課程で地球化学の研究をしています。最近は、宇宙に存在する氷に注目して研究を進めています。氷について紹介しながら、僕が大学院で研究をするようになったきっかけなどを紹介していこうと思います。

 いよいよ夏休み。かき氷、そして冷たい飲み物などに、氷が欠かせない季節ですね。氷は、昔から人間の生活に深くかかわってきました。今では暑い夏でも簡単に手に入る氷ですが、昔はとても貴重なものでした。たとえば江戸時代、加賀藩(今の石川県)は、冬に池などにできた氷を貯蔵しておきました。夏になると氷を江戸に運び、将軍に献上したと伝えられています。夏の氷は貴重品で、一部の権力者しか手に入れることはできませんでした。江戸の人々は、運ぶ途中にしたたり落ちる水のしぶきを心待ちにしていたといいます。

イラスト・阿部真理子(東京大学大学院工学系研究科 博士課程)

 一方で、氷は災害をもたらすこともあります。氷の結晶が空から舞い降りてきたのが、雪です。僕の祖母が住む石川県でも、家が埋もれるくらいの大雪が降ったことがあると聞きました。若者の少ない地域では、雪かきをする人手が足りないことが深刻な問題になっています。交通機関や果物などの農作物に被害が及ぶこともあり、人々の生活や生命にかかわる深刻な問題です。

 このように、私たちの生活に深くかかわっていて、どこでも当たり前のように見かける氷。それなのに、今さら研究するような謎があるんだろうかと不思議に思うでしょうか? そんなことはないのです。氷については、まだまだ分かっていないことがたくさんあります。実は、僕たちが普段目にしないような氷が存在するのです。

 氷にはたくさんの種類があり、現在までに14種類の氷が発見されています。ジュースに浮かんでいるような日常生活で見かける「普通の氷」は、14種類のうちのひとつにすぎません。

 たとえば、研究室で高い圧力をかけると、水に沈む氷を作ることもできます。「普通の氷」は水に浮かぶのが当たり前なのに、沈む氷なんて、不思議ですよね。今後さらに新しい15種類目の氷が発見される可能性もあります。次回は「普通ではない氷」について、少し詳しく紹介します。

 

 

 

7/19UP!

東京大学大学院総合文化研究科博士課程 堀部直人

未知なる科学の世界を旅するって楽しい

(朝日中学生ウイークリー 2009年7月19日号から)

イラスト・阿部真理子(東京大学大学院工学系研究科 博士課程)

 研究者が科学研究の成果をふつうの人にわかりやすく紹介することをアウトリーチ活動、あるいは科学コミュニケーションといいます。ここで連載することは、僕にとってのその実践ということになります。最終回となる今回は、連載にあたって常に心に留めていた2つの考えを紹介して幕を閉じたいと思います。

 「なんのために勉強をするの?」と誰かに尋ねたとき、将来のためだとか論理的思考力を養うためだといった答えが返ってきたら、その人はきっと勉強が嫌いです。勉強が好きな人なら「だってそれは楽しいからだよ」と答えてくれるはずです。数学の問題を解くと何かの役に立つから勉強するのではなく、数学の問題を解くのがただ楽しいから勉強をする、というわけです。科学研究が社会でどのような役に立っているかを伝えるのも大切だけれど、科学そのもののおもしろさを伝えたい。これが1つ目です。

 2つ目は前回の話と関係しているので少し振り返っておきましょう。前回の話を簡単にまとめると、勉強というのはすでに完成した地図を読むこと、そして研究というのは地図に載っていない場所を探検して地図をつくっていくことでした。

 僕はいまでこそ「進化生物学」という「国」に一応落ち着いていますが、大学学部生のころは、「分子生物学」や「複雑系」などさまざまな国の地図を片手に学問の世界を旅していました。世界を旅して気づいたことは、「進化生物学」という国の未知の領域の探検に「分子生物学」や「複雑系」の地図が使える、ということです。「物理」「化学」「生物」などいろいろな国があるように思えますが、科学の世界での国境はとてもあいまいです。国境のあいまいさを知り、科学の世界全体のつながりを感じてほしい、そんなことを考えていました。

 ただし、科学の世界全体のつながりを感じることはできても、具体的なつながりを知るのはとても難しいことです。科学の世界には国ごとの地図は存在しているけれど、国と国との位置関係が記された世界地図はまだ存在しないのです。「進化生物学」の地図の空白部分を埋めていくだけでなく、科学の世界地図を描くこともまた僕が研究者としてやっていきたいことです。

 次回からは地球化学を学ぶ荒川雅君にバトンタッチします。地球化学というのは地球や宇宙の物質を調べる学問で、生き物の話は出てこないかもしれません。それでもどこかで僕の話した「進化生物学」ともつながっているはずです。そのつながりを想像しながら今後もこのコーナーを楽しんでください!

 堀部直人さんのコラムは今回で終わりです。

 

7/19UP!

東京大学大学院総合文化研究科博士課程 堀部直人

勉強する分野の地図を描ければ、次は…

(朝日中学生ウイークリー 2009年7月12日号から)

イラスト・阿部真理子(東京大学大学院工学系研究科 博士課程)

 ほとんどの学校では夏休み前には期末試験という試練が課されます。楽に試練を乗り越えるうまい勉強方法がないものか、と誰もが思うことでしょう。大学院4年目の僕は、みなさんよりも10年くらい多く勉強を続けていることもあり、うまい勉強法について多少の心得があるつもりです。今回は勉強のコツから話を始めてみたいと思います。

 新しいことを学ぶことの難しさは、いま学んでいることとこれから学ぶこととの関係がわからないという点にあります。だったら逆に、関係を先に押さえてしまうというのがうまいやり方です。いま学んでいることはこれから学ぶこと全体の中でどんな位置にあるのかをまず把握し、その後で詳しく内容を見ていこうという作戦です。関係を把握する、というとなんだか大変そうに聞こえますが、教科書の目次をじっくり眺めるといった程度で十分です。

 勉強する分野のだいたいの地図をまず頭の中に描く。これが勉強のコツだと思います。理解に至るまでの効率的な道筋が見えてくると同時に、いま自分は地図のこのあたりを勉強している、という感覚が理解を助けてくれるのです。

 この方法は、きちんとした教科書が存在する限りは有効です。しかし、前回紹介したように、大学院での勉強とは、まだ教科書には載っていない情報を理解し、整理することです。なので、教科書を頼りに地図を描くのではなく、論文の主張をつないで自分自身で地図をつくり上げなくてはいけません。論文同士で意見が対立することもあり、とても骨の折れる作業です。

 多くの研究者は、この論文とあの論文はかなり信頼できる、だから地図のここまではほぼ間違いない、と範囲は狭いけれど確実な地図をつくっていきます。何枚かの確実な地図を張り合わせて大きな地図をつくり、それでもまだ埋まらない部分を実験によって埋めていくのです。

 しかし中には、海の向こうにはこんな島があるはずだ、と信じてまったく新しい地図を描く人もいます。海の向こうの島が幻であることも多いのですが、もしその島が本物であればそれは新しい学問分野の誕生を意味します。

 勉強のできる人が必ずしもいい研究者になるわけではないという話を時々耳にします。勉強ができる人というのはただ単に完成した地図を読むのがうまい人のことです。地図が読めても、新しい地図を描けなければいい研究者とはいえません。地図を読むだけでなく、どんどん描いていく能力が研究者には必要なのです。

 

6/28UP!

東京大学大学院総合文化研究室博士課程・堀部直人

専門書読み解き いざ最先端の論文に挑む
(朝日中学生ウイークリー 2009年6月28日号から)
イラスト・阿部真理子
(東京大学大学院工学系研究科 博士課程)

 これまでにこのコーナーでは、研究の背景や実験の様子を紹介してきました。研究というのはまだわかっていないことを調べるのであって、勉強とは違います。とはいえ、なにがわかっていないかを知るためには、すでにわかっていることをしっかりと勉強する必要があります。実験方法やデータ解析の方法を勉強することも欠かすことはできません。今回は大学院生の勉強について紹介しましょう。

 中学生の皆さんにとっての勉強とは、教室で静かに座って授業を聴くこと、そしてその予習・復習でしょう。しかも授業には、学習指導要領に従ってつくられた教科書が使われます。高校生もこれと同じです。つまり、決められた内容を聴き、理解することが高校生までの勉強です。
 大学に入ると少し、変化があります。授業に出て先生の話を聴く、という点は変わりませんが、学習指導要領にのっとった教科書というものはなくなります。そのかわり、専門書と呼ばれる本の中から先生の好みの本が教科書として選ばれます。教科書を指定せず、秘伝の講義ノートで授業を展開する先生もいます。そんなとき学生は、板書をもとに参考となりそうな専門書を図書館で探し回ることになります。

 なにを学ばせたいかという先生のチョイス、なにを学ぶかという学生のチョイス、この2つの自由なチョイスのもとで専門書を読み解いていくのが大学での勉強です。自分の好きなことについて深く知り、理解するのが大学生の勉強、ともいえるでしょう。

 研究のための勉強が必要となる大学院になると、専門書ではもはや間に合いません。なぜなら、専門書というのは最先端の研究が行われた何年か後になって、その研究をまとめて書き上げられるからです。専門書が出る頃には、その研究分野はもうほとんど研究し尽くされてしまっているのです。専門書がまだない分野や、専門書に載っていない部分こそ研究の対象となります。
 ところで、専門書にも載っていない情報をいったいどこから仕入れていると思いますか? 実は、最先端の研究のことは「雑誌」から知ることができるのです。雑誌といってもコンビニにおいてあるような漫画雑誌ではもちろんなくて、論文誌とよばれる特殊な雑誌です。論文というのは、実験方法と結果、さらに結果の意味するところがまとめられた数ページ程度の短い報告書です。この論文をいくつも載せているのが論文誌です。

 論文同士で意見が対立することもよくあり、実験事実をもとに激しい議論が展開されます。大学院での勉強の第一歩は、論文を読んで最先端の実験結果を知ることです。そのうえで、どこで意見が対立しているのかの整理、実験方法の評価、よりよい実験方法の考案、といった「知る」を超えた領域に踏み込んでいかなければなりません。実験結果を尊重しながらも書いてあることをうのみにせず、批判的に検討を行う、これが大学院での勉強の難しさであり、醍醐味でもあるのです。

 

6/7UP!

東京大学大学院総合文化研究室博士課程・堀部直人

学会って研究のヒントが見つかる場所
(朝日中学生ウイークリー 2009年6月7日号から)
イラスト・阿部真理子
(東京大学大学院工学系研究科 博士課程)

 研究者が集まって成果を発表し合う「学会」という集まりがあります。僕も年に数回、学会で発表してくる、といって家をでることがあります。そんなとき僕の両親は、「学会で発表だなんてたいしたもんだぁ」といった言葉をかけてくれます。この言葉を聞くたびに僕はなんだか変な感覚を覚えます。というのも、学会で発表することって、そんなに偉いことではないのです。

 みなさんも学会と聞くと、僕の両親と同じようになんだかすごいところをイメージすることでしょう。僕もそうでした。エライ先生が世紀の大発見を公表して、みんながうんうんと聞いて大拍手が巻き起こる、とまではいかないけどそれに近いことが起きる場所を想像していました。少なくとも、「学会で発表をする人=すごい発見をした人」だと思っていました。

 ところが、ほとんどの学会では原則として誰でも発表できます。大先生に限らず、僕たちのような大学院生や、みなさんのような中学生でも申し込みさえすれば発表できるのです。研究を始めたばかりの大学院生の全員がすごい発見をしているなんてことは、もちろんありません。それでも多くの大学院生が学会で発表をします。どうしてでしょうか?

 実は学会というのは、みごとに咲いた研究成果を「鑑賞」する場所であると同時に、これから芽が出そうな研究の種を持ちよって「品評会」を行い、そしてその芽の育て方をあれこれと話し合う場所でもあるのです。種が豊富にあるほうがきれいな花も咲きやすいだろう、ということで、多くの学会では若手(といっても主に大学院生ですが)の発表を奨励しています。しかも最近では、中学生や高校生にも学会で発表してほしい、という学会が増えてきています。

 公開講演といって研究成果をわかりやすく説明する時間を設けている学会もあるので、雰囲気を味わいにのぞいてみるのもいいかもしれません。もちろん自分の研究成果を発表しても大丈夫。実際、とある学会で高校生が発表をしていて、実験をしたいのだけど学校でやるのは難しい、ということで僕たちの実験室で一緒に実験をしたことがあります。

 さて、僕はいままでずっとハエの行動を支配する原理を求めて研究してきました。原因と目的という視点から解析をしていったのですが、次にどうしようかというところですごく悩んでいます。そこで、今年の夏に開かれる学会で、生き物の行動を研究している人たちに集まってもらい、みんなで話し合いを行うシンポジウムを企画しました。ハエに比べて体のつくりが簡単なアメーバや粘菌の動きの研究者、生き物らしい動きをするけど実際には生き物ではない油の粒の研究者など、研究対象が少しずつ違う人たちに集まってもらう予定です。3人寄れば文殊の知恵といいますが、その倍の6人の研究者を呼んだので、僕が育ててきた研究の芽に花を咲かせるためのアイデアがいくつかみつかるんじゃないかと期待しています


6/1UP!

東京大学大学院総合文化研究室博士課程・堀部直人

なぜそんな動きをするの?に深く迫る
(朝日中学生ウイークリー 2009年5月31日号から)
イラスト・阿部真理子
(東京大学大学院工学系研究科 博士課程)

 大学4年生に進級し、卒業研究が始まりました。動物がどのようにして次の行動を決めているか、が僕の研究テーマです。「どのように」とか「どうして」という問いかけには、実はたくさんの答え方があります。ニコ・ティンバーゲンという動物行動学者は、答え方は4つあるといいます。

 ショウジョウバエは餌を探すときに、たいていはふらふらしているけれど、ときどきものすごく長い距離をまっすぐ進む不思議な歩き方をします。これはLevy walkと呼ばれています。このLevy walkを例に、まずはティンバーゲンの提案した4つの答え方を紹介しましょう。

 目的はなにか、という答え方がまず1つ。コンピューターを使って計算した結果、Levy walkは一番餌を見つけやすい探し方だということが分かりました。つまり、餌をたくさん見つけることがLevy walkの目的です。

 じゃあ、ショウジョウバエにLevy walkをさせる原因はなんだろうか、というのが2番目です。これについては卒業研究と絡めてこの後半で詳しく紹介します。

 Levy walkをどうやって覚えたのか、と学習について考えることもできます。なぜ僕たちが赤信号で止まるのかというと、それは学習したからですね。じゃあハエはいつ、どうやってLevy walkを覚えたのでしょうか。調べていくうちに、初めて餌探しをするハエもLevy walkをする、ということが分かりました。どうやらこれは生まれつき備わっている能力のようです。

 4番目はどういう進化の過程が関係しているのか、という問い方です。この問いは、ある行動が機能からは説明しづらいときに有効になってきます。例えば、消防車が近くを通るときにイヌは遠吠えをします。しかしこれには特別な目的があるわけではなくて、おそらくはオオカミ時代の名残です。Levy walkの場合は機能がはっきりとしているので、進化の名残についてはあまり考えなくてよさそうです。

 さて、時間を僕の卒業研究の頃に戻しましょう。このような4つの視点の中で、僕が最初に注目したのは「原因」でした。「あっちに餌があったなぁ」という記憶や経験を頼りにハエは行動するはずです。そこで、記憶という原因の効果を調べるための方法を考えました。それは、記憶力の弱いハエとふつうのハエとで餌の探し方を比較するという実験です。

 ところがこの実験は失敗でした。記憶力の弱いハエも普通のハエも、ほとんど同じ動きをしたのです。これでは原因と結果の関係は分かりません。記憶情報の影響をあまり受けない神経系の仕組みから行動がつくられるのでは、と今は考えています。残念ながら神経の仕組みまでは調べられず、これ以上は踏み込めませんでした。

 失敗に終わった実験の後、今度は「目的」の研究へと取りかかりました。そして、そこで発見したのが先ほど紹介したLevy walkです。じゃあ今はなにを研究しているのか、それは次回紹介します。



5/25UP!

東京大学大学院総合文化研究室博士課程・堀部直人

動物の行動と群集の振る舞いの関係に魅力
(朝日中学生ウイークリー 2009年5月24日号から)
イラスト・阿部真理子
(東京大学大学院工学系研究科 博士課程)

 高校生の頃は遺伝子組み換え植物の研究をしようと考えていた、ところが大学1、2年生の時にたくさんの授業を受ける中で自分の興味の対象が分からなくなり、大学3年生になってさらにたくさんの授業を受けるうちに動物の行動に興味があることに気づいた、というのがいままでのお話です。

 大学4年生になると研究室に所属して卒業論文を書くことになります。動物の行動を研究するにも様々な方法があって、例えば遺伝子から行動に迫るなら分子生物学の研究室、神経から行動に迫るなら神経行動学の研究室を選ぶことになります。悩んだ末に僕が選んだのは、生態学の研究室でした。

 まずは生態学について説明しましょう。生態学を英語でいうとエコロジーです。どんな内容をイメージしますか? 環境保護だとか二酸化炭素削減といったいわゆる「エコ」と呼ばれているものではないでしょうか。確かにそういった話題も生態学とかかわっているのですが、生態学の一番の関心は、生物の集団を理解することにあります。生態学の教科書をのぞいてみると、「個体群」「群集」「生態系」など生物の集団を表す項目がたくさん見つかります。

 簡単に紹介しましょう。「個体群」というのは同じ種類の生物の集まりです。ライオンの群れならライオン個体群、シマウマの群れならシマウマ個体群となります。そしてこの個体群が集まったものを「群集」といいます。なので、ライオンとシマウマの個体群はサバンナの群集の一部分となります。群集にさらにまわりの環境を加えたのが「生態系」です。生物の集団を研究しているというイメージ、つかめましたか?

 次はなぜ僕が生態学の研究室を選んだかということです。動物の行動と群集や生態系の振る舞い、直接は関係なさそうです。ところが、僕の選んだ研究室はまさにその関係を研究していた、つまり昆虫の意志決定から個体群・群集の振る舞いを理解しようとしていたのです。

 例えば次のような実験結果があります。アズキゾウムシとヨツモンマメゾウムシという、アズキをめぐって競争する虫がいます。競争の結果どっちか一方が全滅してしまうので、共存はできません。ここに両方の天敵であるゾウムシコガネコバチというハチを入れてみます。すると、天敵が入ったにもかかわらず2種類のゾウムシがうまく共存できるのです。そしてこれは、数が増えて優勢になった方のゾウムシを集中的に食べるようにハチが行動を切り替えているからこそ、実現されるのです。

 ちょっとした行動の変化で群集の振る舞いが変わってしまう。僕の選んだ生態学の研究室は、こんなおもしろいことを研究できる場所だったのです。じゃあどうやって昆虫は行動を変化させているのだろう、というところが僕の最初の研究テーマでした。いよいよ、ショウジョウバエを使った研究の始まりです。



5/18UP!

東京大学大学院総合文化研究室博士課程・堀部直人

豊富なメニューからお好みに応じてどうぞ
(朝日中学生ウイークリー 2009年5月17日号から)
イラスト・阿部真理子
(東京大学大学院工学系研究科 博士課程)

  中学校では、「英語」「数学」といったメニューを好きか嫌いかにかかわらず食べさせられてしまいますね。大学では、ほとんどのメニューを自分で選ぶことができます。肉が好きなら肉ばかり食べても大丈夫。好奇心と食欲が旺盛だった大学生の僕は、未知のメニューをどんどん注文していきました。今回は、中学校のメニューには載っていない、大学ならではのスペシャルメニューをいくつか紹介しましょう。

 まず最初は「分子生物学」。人間を含めたすべての生物は遺伝情報としてDNAという化学物質を持っています。このDNAから遺伝情報が読み取られる仕組みや、情報の束である遺伝子の働きを調べるのが「分子生物学」です。DNAから生物の形や行動、ひょっとしたら心までもがある程度決まってしまうという話を聞いて、とてもワクワクしました。

 例えば、ショウジョウバエの「for遺伝子」と呼ばれる遺伝子と行動との関係について、次のような研究があります。for遺伝子には二つのタイプがあります。一つはsitter(着席者)型で、もう一つはrover(放浪者)型です。その名の通り、sitter型の遺伝子を持つハエの幼虫はあまり移動せず、rover型の場合は活発に移動をします。たった一つの遺伝子が動きの活発さを決めているのです!

 次のメニューは「行動生態学」。これは動物の行動を、最適化という考え方を使って理解する学問分野です。例えばアユの縄張りの大きさについて考えてみましょう。縄張りでは餌を独占できますが、他のアユがこないようにパトロールする必要があります。縄張りが大きいほどパトロールは大変になるので、縄張りを大きくすればするほどいいというわけではありません。餌を独占する「うまみ」から、パトロールの「労力」を差し引いた「実質的なうまみ」が最大になるような大きさが、一番いい大きさとなるはずです。この大きさはちょっとした数式から計算できます。そして、その計算結果は実際のデータをしっかりと説明することができるのです。

 遺伝子から生物を説明する「分子生物学」に対して、「行動生態学」は最適化という数学的な方法から生物を説明しようとする学問といえるでしょう。

 最後に紹介する「複雑系」は、遺伝子や数式で生物を全部説明しきれるかもしれないという考えを壊してしまう、クセのあるメニューです。例えば今日の生物の状態と明日の状態との関係が、きっちりある数式に従うとします。このとき、今日から明日、明日から明後日、とたどっていくことでずっと先まで未来を予測できるはずです。ところが、世の中にはずっと先までの予測がうまくできない「カオス」と呼ばれる現象が存在する、と「複雑系」はいうのです。

 お気に入りのメニューを振り返ってみて、どうやら僕は動物の行動を理解することに関心がある、と気づきました。自分自身の好みをようやく理解した僕は、動物行動を理解するレシピをもっと深く知りたいと考え、「動物生態学」の研究室へと進んでいったのです。



5/11UP!

東京大学大学院総合文化研究室博士課程・堀部直人

細かく分かれた理科から何を選ぶ?
(朝日中学生ウイークリー 2009年5月10日号から)
研究室の机の棚には、動物生態学や統計学など研究に必要な本を置いています

 小学校の頃、「理科」の科目は「理科」ただ一つでした。中学校に入ると「理科」は第1分野と第2分野という二つの分野に分かれました。第1分野では電気や力、原子や化学反応を習います。これは高校へ進むと、それぞれ「物理学」「化学」と、もうすこし細かく区別されます。第2分野では動物や植物、地層や天体を習いますが、こちらはそれぞれ「生物学」「地学」へと分かれていきます。

 では大学ではどうなるでしょうか? 科目がさらに細かく分かれていきそうですね。そのとおりです。ただし、皆さんが想像するよりももっとずっと細かく分かれます。

 例えば「生物学」であれば、生き物の発生を扱う「発生学」、細胞の形や仕組みを解き明かす「細胞生物学」、動物の行動を調べる「行動学」などがありますし、他にも「遺伝学」「進化学」「分類学」……と数え出すときりがありません。

 大学では勉強する科目をかなりの程度自分で自由に決められます。ところが、「理科」といえば「物理」「化学」「生物」「地学」しか知らなかった僕にとって、どの科目を選択するかというのはとても難しい問題でした。というのも、僕の関心の対象だった遺伝子組み換え植物と「なんたら学」という科目の関係がさっぱり分からないのです。

イラスト・阿部真理子(東京大学大学院工学系研究科博士課程)

 そんな人のために、大学には「シラバス」という科目のメニュー表があります。そこには科目名とその科目のおおざっぱな紹介がのっています。入学後まもなく、シラバスとのにらめっこがはじまりました。初めて聞く科目たちはどれもこれも魅力的でした。しかも、東京大学では毎学期数百科目もの授業が開かれています。おかげで僕の時間割り表はあっという間に埋まってしまいました。

 未知の科目の魅力にひかれた結果、大学1、2年生の頃の僕はほとんど毎日朝9時から夜6時まで授業を受けていたのです。たくさんのおもしろい科目とふれあう中で、遺伝子組み換え植物への思いは徐々に薄れていきました。

 東京大学では3年生になる前に所属する学部を選ぶ、簡単に言うとなにを集中的に勉強するかを選ぶ必要があります。困りました。いろいろな科目を学んだ結果、理学部で動物を調べてみたいし工学部へ行ってロボットを作ってもみたい、コンピューターをいじってみたいし社会科学も勉強したい、とやりたいことを一つになんて絞れなくなっていたのです。

 そんな僕に一つだけすばらしい選択肢がありました。教養学部といって、専門科目を決めずに勉強できる学部があったのです。こうして僕は、大学生活の後半でもいろいろな科目を、ただしもう少し掘り下げて、学ぶことになりました。


5/3UP!

東京大学大学院総合文化研究室博士課程・堀部直人

砂漠で桜が咲けば食糧危機も怖くない!?
(朝日中学生ウイークリー 2009年5月3日号から)
研究用のハエを飼育する恒温器の前で

 今年の桜が咲く少し前のことです。「自分で勝手に動き出す不思議な油」を研究しているデンマークの研究者がやってきました。僕が「ハエの動き」を研究していることがきっかけとなり、僕と先生と彼とで、一緒に新しい実験を始めることになりました。

 桜が満開になる頃には実験も軌道に乗り、毎日のように議論し、ご飯を一緒に食べ、桜を眺め、と楽しく濃密な時を送りました。そして桜が散る頃、彼はデンマークへと帰っていきました。E-mailやインターネット電話でいつでも連絡が取れるとはいえ、桜が散っていくのと相まって、とても名残惜しい別れでした。

 桜は年度の変わり目のほんの短い間に一斉に咲き、そして散っていくため、出会いや別れの象徴となっています。思い返してみると、僕と研究の出会いにも桜がかかわっていました。今回は僕が研究者になろうと考え始めた高校生の頃の話をしてみたいと思います。

 今ニュースを眺めると、地球温暖化だとか、環境問題だとかがよく取り上げられています。僕が中学生・高校生の頃は、地球規模での人口増加とそれに伴う食糧危機という問題がよく取り上げられていたように思います。

イラスト・阿部真理子(東京大学大学院工学系研究科博士課程)

 僕はその頃すでに、なぜかはよく分からないけれど理系少年でした。なので、政治や経済の面から食糧危機の解決を目指すという考えはほとんど浮かばず、品種改良によってたくさんの実をつける植物をつくってみたいと考えていました。

 この漠然とした考えが具体的な目標へと固まっていったのは高校2年生の時です。生物の授業で遺伝子の仕組みを習い、遺伝子を直接操作することでいままでの方法よりもはるかに効率よく品種改良ができるのではないかと考えたのです。

 遺伝子組み換え植物の研究をしたい、これがたぶん僕が研究者になろうとした最初のきっかけです。そして高校生の僕は、卒業文集だかどこだかは忘れてしまいましたが、「砂漠で咲く桜をつくりたい」と将来の夢を書きました。砂漠で咲く桜をつくり出す技術があれば、食糧問題もきっと解決できる、と考えたのです。

 ところが前回紹介したように、僕はいま昆虫の行動を研究しています。そのいきさつは次回以降、詳しく紹介していきます。砂漠に咲く桜をつくる研究とは今後も縁がなさそうですが、自分の研究やデンマークの彼との共同研究ではきれいな花を咲かせようと思います。



4/6UP!

東京大学大学院総合文化研究室博士課程・堀部直人

形、行動、心まで!? 進化論は万能な理論?
(朝日中学生ウイークリー 2009年4月19日号から)
ハエの動きを撮影して、パソコン上で詳しく分析中

 ダーウィンだとか進化論という言葉を最近よく耳にします。それもそのはず、今年はダーウィンが生まれてからちょうど200年、さらに進化論について書いた本「種の起源」が出版されてからちょうど150年目の年なのです。

 進化論は、なぜたくさんの種類の生物が存在するのか、という疑問から生まれました。進化論では、生物はそれぞれが暮らす環境に適応する(うまくやっていく)よう変化していったと考えます。生物が多様な環境に対して適応していったからこそたくさんの種類の生物が存在する、というわけです。

 さてその進化論ですが、ヒトはサルの仲間から進化してきたとか、ガラパゴス諸島の鳥、その名もダーウィンフィンチのクチバシの形が、餌の形に合うよう島ごとに少しずつ違っている、といったことでよく知られています。いってみれば、生物の形の多様性を説明する「形の変化の理論」として有名です。

 しかし、進化論はただ単に「形の変化の理論」にはとどまりません。僕のハエの研究を例に具体的に説明してみましょう。

イラスト・阿部真理子(東京大学大学院工学系研究科博士課程)

 ハエが餌を探す様子は、ちょっと見るとでたらめに動いているようにしかみえません。ところが、詳しく調べてみると、どうやら餌を見つける確率が大きくなるような特別な動き方をしている、ということが分かってきました。これは、進化の結果、ハエが周りの環境に適応した特別な動きを獲得したと考えることができます。

 このように、進化論は「形の変化の理論」にとどまらず、行動の多様性を説明する「行動の変化の理論」でもあるのです。

 登場から150年たち、「形の変化」から「行動の変化」へと、理論としての幅を広げてきた進化論。最近では進化心理学といって「心の変化」までも進化論で説明しようという動きさえあります。

 さらにもう50年たち進化論が200歳を迎えるとき、生物の形・行動・心のすべてを説明できる理論として、より洗練された進化論が存在しているのでしょうか? それとも、進化論とは別の新しい理論が登場しているのでしょうか?

 新しい理論があるのかどうかさえ僕にはよく分かりませんが、あったらいいな、あるなら見つけたいな、と考えながら日々研究を続けています。



4/6UP!

東京大学大学院総合文化研究室博士課程・堀部直人

ハカセといえば白衣で研究? 実は…
(朝日中学生ウイークリー 2009年4月5日号から)
大学の研究室の机の前で。本棚には本や資料がぎっしり

 入学・進級おめでとうございます。僕も今年、大学院博士課程の2年生に進級しました。ところでみなさん、大学院っていったいどんなところだかご存じですか?

 中学校を卒業すると、多くの人が高校そして大学へと進学しますね。大学を卒業した後で、もっと勉強をしたい、と思った人が通う場所が大学院です。正確には、すでに分かっていることを学ぶのではなく、まだ分からないことを勉強していく、つまり研究をする場所が大学院です。

 何を研究するかは人によって大きく違っていて、例えば僕はハエの「賢い」動き方を研究しています。

 さてその大学院、前半の2年間が修士課程、後半の3年間が博士課程と呼ばれます。前半だけで修了することも可能で、その場合修士号という学位(資格みたいなもの)がもらえます。後半の博士課程を修了すると、こんどは博士号という学位がもらえます。テレビや雑誌で「なんたらハカセ」と呼ばれる人が出てきますね。あのハカセです。白衣を着てメガネをかけて試験管とフラスコを持っていても、この博士号がないと本当のハカセとはいえないのです。

イラスト・阿部真理子(東京大学大学院工学系研究科博士課程)

 ではそのハカセ、いったい何をする人なのでしょうか? 例えばハエのハカセなら、その仕事は朝から晩までハエを観察し、記録し、分析し……と多くの人が、ハカセの仕事は研究だと思っていることでしょう。ところが、研究することだけがハカセの仕事ではありません。実は、ハカセというのは職業ではないのです。

 ハカセというのは、例えていうなら英検1級みたいなものです。「英検1級はどんな仕事なの? 何をするの?」とは聞きませんね。英検1級は英語に堪能である証しであり、博士号は研究能力・情報分析能力の証しなのです。

 英検1級の人全員が通訳の仕事をするとは限らないのと同じで、ハカセ全員が大学や企業で研究をするわけではありません。教壇に立つハカセや会社を経営するハカセ、テレビ番組を作るハカセもいます。

 結局のところ、ハカセというのは「博士号を持つ人」という意味でしかなく、その正体は、鋭い洞察力と思考力で活躍する人たちなのです。

 

 

 

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◆ 大学院生の案内で、朝中読者が東大研究室を訪問しました。

   2007年8月26日号

   2008年4月13日号

   2009年4月19日

 

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