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中学生の僕が科学者の道を歩ませた

林 洋平(カリフォルニア大学サンフランシスコ校 研究員)

(朝日中学生ウイークリー 2010年7月25日号から)

イラスト・松尾 萌(東京大学大学院理学系研究科博士課程)

 僕の連載もこれで最後だ。今回は、僕がなぜ生物学の研究者になったかという話をしよう。

  僕が中学生の頃は、科学者を目指すなんて考えもしなかった。周りに科学者の知り合いはいなかったし、勉強も理科が特別好きなわけではなかった。

  そんな僕が中学生の時に常に考えていたのは、「生きることはどういうことだろう? なぜ生きているのか?」っていう問いかけだった。なんか大そうに聞こえるけど、別に特別なことじゃない。みんなも身の回りで自殺、事故、病気などの話を聞いて、こういうことを考えたことがあるだろう。印象深い本、漫画、アニメなどに接してもそうだ。こういった経験から起こる、命への問いかけをより深く考えていこうと、中学生の時に思った。

  生きることを考える、といっても、いろいろなやり方、分野がある。哲学、宗教だって、そうだろう。政治や経済などだって、個人が集合して生まれるものだから、生きることを考えることにつながる。中学生から大学生まで、学校の勉強やその他の活動でさまざまなことを学びながら、僕は生きることについて考えを深めていった。

  最終的になぜ僕が科学、特に生物学を志すようになったのかというと、理由は2つある。まず、科学は正しいことと正しくないことを区別する方法を、理性的に教えてくれる。科学では、ものごとが正しいかどうかを徹底的に検証する。誰かエラい人が言ったからとか、常識だから、というのは通じない。合理的に正しい、と証明されたものだけが正しい。僕は自分が考えていく上で、このやり方が気にいった。多分、ひねくれ者だからだろう。

  2つ目は、生物学は命を実体として取り扱うということ。生物学では、生き物を観察したり、実験したりすることを通して生命の営みと触れ合うことができる。僕は頭で考えるだけじゃなく、実際に見たり、聞いたり、触ったりしないと、ものごとを理解できない。多分、頭が良くないのだろう。

  とはいえ、生物学の研究者になれた。これまで試験の結果が悪かったり、不満があったりで、何度も研究者をやめようと思った。生命に対する問いは範囲が広すぎるから、単純に答えは出ない。だから、研究する上では、例えば「ヒトの持っている約2万の遺伝子のうちの1つについて、それがある病気の時に何か役割を果たしているか?」という、具体的だけど重箱の隅をつつくようなテーマになる。それで得られる成果は多くの場合、生命の営みをほんの一部明らかにできるか、結局何にも意味がなかったりする。生命を生み出す自然を相手にするのは簡単なことじゃない。でも、だからこそ考えるかいがあって、人生を賭けるにふさわしい、と思っている。

  結局、僕が今やっていることは中学生の時に考えていたことの延長線上にある。科学者になるのは想像していなかったけど、中学生の時に考えていた問いかけが僕をここまで連れてきた。僕の例から中学生の君たちに言えることは、「今考えていることを大事にして、それを考え抜く。さらにいろいろな経験から学ぶことと合わせて、さらに考えを深める」。その積み重ねで、自分の思い描く未来がひらけると思う。


  林洋平さんの連載は今回で終わりです。

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