『偉大な記憶力の物語』

おすすめする人 作家・瀬名秀明
A.R.ルリヤ/著、天野清/訳、岩波現代文庫、1008円

 言葉が見える彼の目に映る世界は

 著者のルリヤさんは駆け出しの心理学者だったころ、ふしぎな新聞記者「シィー」と出会った。彼はいっさい上司の指示をメモしない。すべて記憶できてしまうのだ。しかしすべてを忘れずにいることなど可能なのか。不安に駆られた上司は、心理学実験室に行って調べてもらうようシィーに命じたのである。

 それから30年にわたるルリヤさんとシィーのつきあいが始まった。調べてみると、シィーは13字×4行の数列を3分で憶え、何年たっても忘れなかった。彼は共感覚者でもあった。古代ヘブライ語を聞くと言葉が水蒸気の雲に見え、1という数字は鋭く硬く、2は三角形で平べったく、3はとがった切片で回転しているように思えるのだ。ルリヤさんは学者として、たくさんの聞き取りや実験を通して、シィーの心の謎に迫ってゆく。

 岩波現代文庫というおっかなそうな大人向けシリーズの1冊だが、脳や心に興味のある皆さんなら夢中でこの本を読めるはずだ。シィーは記者としては成功できなかったが、偉大なる記憶術者として人々の注目を集める人生を送った。ルリヤさんは彼の研究を踏まえて新しい心理学を構築してゆく。

 記憶術者と心理学者、ふたつの人生が交差する。ふたりの人生は文章の背景に隠されているが、読めば彼らの一生が鮮やかに脳裏に浮かび上がってくるに違いない。物語が好きな人ならふたりを主人公にした映画をつくってみたいとさえ思うだろう。

 ルリヤさんはシィーを通して、人が言葉を、世界を認識するとはどういうことかという、大切な問題を投げかけてくる。彼は計算問題を独特な図に描いて解こうとするし、「無」といった抽象概念さえ視覚的に捉えようとする。文学作品もいちいち言葉の読み方がイメージを喚起させて、かえってわからなくなってしまう。そうした彼が見ていた未来とはどんなものだったのだろう? 彼は妻や子どもをどう感じていたのか? 
科学が生まれる瞬間の物語は、こんなにも美しい。


『遺伝医療とこころのケア』
 おすすめする人 作家・瀬名秀明
玉井真理子/著、NHK出版、966円

 〈わたしはひたすら聴く。それがわたしの仕事〉──本書は医療・福祉・介護の道に進もうと考えるあなたにぜひ手に取ってほしい1冊である。あなたも著者の玉井さんと同じ悩みを、そして強さを、これから抱いて生きてゆくことになると思うからだ。

 玉井さんは病院の遺伝外来で働く臨床心理士。もともと小児の発達臨床が専門で、縁あって遺伝医療の現場に飛び込んだ。最初は遺伝子の用語もさっぱりわからない。それでもあなたが結婚して子どもを授かったとしよう。その子は重い遺伝性疾患を持って生まれてきた。いまおなかにいる二人目の子にも同様の障害があるかもしれない。出生前診断を受けるかどうか。結果が出たときどう向き合ってゆけばいいか。玉井さんはそうした悩みを抱えるクライエント(相談者)と向き合い、言葉を聴く。

 

 耳傾けて 生命の声を重く感じる

 

 玉井さんは学者でありつつ温かで強いひとりの人間として文章をつづる。現場の緊張した空気。時折もらすほっと和やかな独り言。玉井さんは当事者の心のつぶやきをシナリオにしてスタッフで演じることもある。そこから見えてくることがある。

 だが答えは決してひとつではない。あなたの親が遺伝性疾患を発症したとして、あなたにもそのリスクがあるとしよう。あなたは発症前遺伝子診断を受けるか。「知らないでいる不安」と「知ってしまう恐怖」のせめぎ合い。陽性の結果を受けて2年後に初めて「不安だ」と言葉にする人もいる。2年の年月が必要だったのだ。臨床士は「本当の理由」に迫るのが目的ではない。むしろ、触れてほしくない部分には触れないよとメッセージを伝えることに心をくだく。
現代社会において生命の意味を考えることは、背負っている重い荷物を腰をかがめてもう一度背負い直すことだそうだ。ならば荷物の重さを感じる感受性を失わないこと。腰をかがめるのをいとわないこと──聴き続ける玉井さんのつづる言葉が、いまぼくたちの心を打つ。

 


戦争における「人殺し」の心理学
デーヴ・グロスマン、ちくま学芸文庫
 おすすめする人 東大院生・べぇ

 戦争ではやさしい人、おとなしい人であっても自分や祖国を守るために敵を倒さなければいけません。しかし、人はたとえ戦争といえども簡単には冷酷な殺人鬼に変化できない、と陸軍で心理学を研究し、教える著者はいいます。

 その証拠に、銃撃戦のさなか全く発砲しない兵士や、塹壕で敵兵と一緒になって隠れる兵士が多数存在していたというデータがあります。人には人殺しに対する強い心理的な抵抗があるのです。

 残念なことに、人の心理にはいくつかのクセもあります。ベトナム戦争では条件反射というクセが利用され、訓練によって殺人鬼がつくられました。幸いなことに、この殺人鬼は冷酷ではありませんでした。訓練に従い条件反射で敵を撃ってしまったあとで、深く後悔したといいます。

 本書は、いかにして有能な兵士に訓練するかという兵法を説き、暴力や虐待といった極限状態での人の心理の暗部を暴く不気味な内容の本といえます。でもぼくは、ここからささやかな希望を見いだすことができました。みなさんは、本書からなにを見いだすことができるでしょうか?



MIND HACKS 実験で知る脳と心のシステム  
トム・スタッフォード、マット・ウェッブ/著、オライリー・ジャパン
 おすすめする人 東大院生・べぇ

 僕は昆虫の行動を撮影し、そこから彼らの生き残り戦略を探っています。実験には温度を一定に保つ恒温器や撮影装置が必要で、全部で200万円くらいかかります。

 未解明の部分が多い複雑なシステムである脳の研究には、もっとたくさんのお金が必要です。お小遣いの範囲内でできる脳の実験はないものでしょうか?

 あります。たかだか数千円のこの本の中に、自分の脳で確かめられる実験と解説がピッタリ100も詰まっています。

 たとえば授業中、ふと時計に目をやったとき、秒針が1秒以上止まっているように感じたことはありませんか? これは、脳の予測力に関する実験になっています。なぜならこの現象は、針に目をやる前にも針は止まっていたはずだと脳が無意識に予測してしまうために起きているからです。

 あるいは階段を下りるとき、もう階段を下りきったのに、あと1段あるぞと思ったままもう一歩進んでしまい変な感じがしたことはありませんか? この違和感も本当はない階段を予測してしまった結果です。

 日常のささいな違和感が脳の秘密への入り口かもしれません。さあ、実験だ!



だまされる視覚 錯視の楽しみ方
北岡明佳/著
化学同人
1400円+税
 おすすめする人 作家・瀬名秀明

 まずはこの本の著者、北岡さんのウェブサイトを覗いてほしい。いきなりとぐろを巻いたヘビのような模様が現れて、それがぐるぐる回転しているように見えるだろう。これは「錯視」、つまり目の錯覚だ。でもこれほど強烈な錯覚に、きみはびっくりするに違いない。いったいどうやったらこんな図が描けるんだ?

 ぼくたちの脳は騙されやすい。でもなぜ騙されるのかはいまだに難しい科学の問題だ。著者の北岡さんは大学で知覚心理学という分野を研究し、その成果をもとにたくさんの錯視図をデザインし、『トリック・アイズ』という本をつくった。模様が揺れ動いて見えたり、光がぱちぱちと点滅して見えたり、ぼくもだまし絵や錯覚の絵は大好きでよく画集を買うのだが、北岡さんのデザインはちょっと他では見かけないほどダイナミックで、圧倒させられる。

 本書は世界初の錯視デザインの指南書だ。錯視の研究は19世紀から盛んにおこなわれて、さまざまな効果が発見された。例えば、灰色の四角は黒い背景の前に置かれると実際より明るく見えて、白色の前だと暗く見える。だがそれだけでは面白くならない。ここからいかに人を驚かせ、楽しませる作品をつくり上げるか? 科学の知識だけでなく芸術的センスも問われる。

 北岡さんは本書でひとつずつ有名な錯視効果を紹介し、そこからいかにオリジナルの作品が出来てゆくかを説明してゆく。そして興味のある人は自分でもパソコンで創作してみてほしいとハッパをかけるのだ。

 ぼく自身はこの本を読みながら、エッシャーや福田繁雄、安野光雅らの作品に夢中になっていた子どもの頃を思い出した。やはりぼくもエッシャーを真似てだまし絵をよく描いていた。

 現在、錯視デザインのプロアーティストは世界で北岡さんただひとり(と本人がいっている)。でもこれを読んだきみが、世界で2番目になるかもしれない。科学と芸術の根はひとつ。心の謎は、アートなんだ。

(朝日中学生ウイークリー 2007年2月18日号より)

わたしも読みました!

東大院生・かむかむ
 まずはこの本の著者、北岡さんのウェブサイトを僕も覗いてみた。北岡さんの代表作である「蛇の回転」の錯視には圧倒される。パソコンの画面で見ると、実際に回転しているのではないか、と疑いたくなる。しかし、紙に印刷されたものを見ても回転して見えるので、錯視であることにやっと納得できる。

 錯視はなにも特別なことではない。例えば、日の出や日の入りに水平線に見える太陽は、昼の空に見える太陽に比べて大きく感じる。これも錯視である。では、錯視はなぜ起きるのか。その原因については、この本にはほとんど書かれていない。なぜなら、錯視の原因となる脳や神経活動の仕組みが、まだほとんど分かっていないからである。しかし、原因が分からなくても、見て楽しむことはできる。そして、作ることもできるのである。それが、「究極の錯視ガイドブック」とうたっている本書の最大の特徴だ。

 そこで、実際に僕もひとつ作ってみた。ホワイト効果と呼ばれる明るさの錯視だ(ちなみに、『ホワイト』は研究者の名前だそうだ)。上下の「朝中」という文字は同じ明るさだが、下が上よりも明るく見える。自分で作ってみると、見るときとはまた違った面白さを実感できる。錯視作りは間違いなくお勧めである。



だまされる脳 バーチャルリアリティと知覚心理学入門
講談社ブルーバックス
 おすすめする人 東大院生・細川研知

 もし火星にいけるとしたら何をしてみたいですか?

 私たちが火星に行けるのは当分先になりそうです。現在の技術では火星に行っても帰ってこられません。でも、ロボットなら行けます。ロボットが火星で見たこと、触ったことを私たちの脳に伝え、脳をうまく「だます」ことができれば、ロボットを通じて火星旅行ができるかもしれません。

 脳を「だます」ためには、私たちの脳が何を感じて、どのような情報を送れば現実感のあるだまし方ができるか調べる必要があります。脳を「だます」技術をバーチャルリアリティーと言い、脳が何を感じているか調べるのが知覚心理学や脳科学です。

 この本では、その両方を紹介しています。

 

◆ 「東大研究室」過去の掲載記事
◆ 中学生におすすめ 科学の本、映画

◆ 大学院生の案内で、朝中読者が東大研究室を訪問しました。

   2007年8月26日号

   2008年4月13日号

   2009年4月19日号

 

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