軍政やめたミャンマーを世界が注目

 


 

 東南アジアのミャンマー(かつてのビルマ)が、世界から注目されています。長い間、軍が厳しい統治を続け、欧米などはこれを批判し制裁をしてきました。それが民主化へと動いたため、普通の関係に戻そうというのです。背景は? 見通しは?

 

 

 

アウンサンスーチーさん©朝日新聞社

 

首脳会談後に握手する野田佳彦首相(左)とミャンマーのテインセイン大統領=4月21日、東京・元赤坂の迎賓館、代表撮影

 

 

 

 

 「民主化」って、どんなことが起きているの?
 ミャンマーでは50年も前から軍が政治を握り、国民を力で抑え込んでいた。それがこの数年、新しい憲法を作ったり、民主化運動の象徴アウンサンスーチーさんの「外出禁止」を解いたりし、去年3月にはとうとう軍政をやめたんだ。
  国際社会は半信半疑だったが、その後も政治犯が釈放され、今春にはスーチーさんたちが国会議員に選ばれた。そこで「改革は見せかけではない」という評価が強まったんだ。

 

 「世界が注目」って、どんなふうに?
 日本や米国、韓国、インドなどの大統領や大臣が次々とミャンマーを訪問している。4月にはミャンマー大統領が日本に招かれたし、米国は22年ぶりに大使を送る。制裁で「人の交流」が限られていたころには、考えられないことだね。
  経済制裁も次第に緩められ、貿易や投資ができるようになったり、援助を再開したり、動きは急だ。


 民主化したミャンマーを助けようとしてるの?
 それも目的の一つ。同時に、世界の国々と「普通の関係」に戻れば、貧しいミャンマーもぐんと発展するだろうから、どの国もお金もうけの機会を逃さないよう、急いでいるんだ。
  人口は6千万人以上もいるのでモノがたくさん売れるだろうし、給料は中国の5分の1ほどで、ここに工場を置けば安くモノが作れ、輸出できる。
  天然ガスや鉱物など資源が豊かなのも魅力だ。


 祖父はミャンマーじゃなくビルマと呼ぶよ。
 実はぼくもそうなんだ。20年以上も前に軍事政権が国名を変えたが、民主派が反対した。そこで、民主派を支持する国や団体、メディアは「ビルマ」と呼び続けたわけ。しかし、いちばん厳しかった米国政府も去年秋に「ミャンマーを使う」と決めたので、一本化するだろうね。


 日本政府は?
 早い時期にミャンマーに切り替えた。日本は第2次世界大戦前から、当時のビルマに深くかかわっていて、独立後も支援した。だから米国が「ひどい政府に制裁を」と求めても、珍しくあまり協力しなかった。「軍事政権とも話し合って改革を求める」姿勢だね。


 じゃあ、民主化は日本のお手柄なの?
 そういう面はあるかもしれない。間違いないのは、いまの世界では、民主化や改革なしには国が生き延びられないと、軍の指導者たちが考えたこと。軍政では周辺の国々さえ正当に扱ってくれず、制裁で発展から取り残されている。だから新憲法を作り民政に移ると決めたのだろう。


 後戻りすることもあるのかなあ。
 そこが心配だね。実は新憲法でも、国会議員の多くは軍人と決まっており、「軍主導」を変えられない仕組みになっている。スーチーさんらがこれを変えようとしたら、軍はどう出るか、わからない。
  後戻りさせないためには、民主化で人々や国が「こんなに良くなった」と実感できることが大切だと思う。貿易や投資には、その後押しの役目もある。
  ぼくは控えめで柔和なミャンマーの人々が大好きで、「後戻りさせてはならない」と心から思うね。

 

 ミャンマー(ビルマ) 11世紀にビルマ族の統一国家成立。1886年に英領インドに合併。1942年に日本軍が占領、48年に独立。62年のクーデター後、軍事政権が社会主義化を進めるが経済が悪化。89年に国名をミャンマーに。
  ミャンマー憲法 2008年に当時の軍事政権が制定。上下院議員の各4分の1は軍人枠とされる。選挙選出枠でも軍政を助けてきた与党が現在8割を占め、スーチーさん率いる最大野党NLDは41議席。
  制裁 国際法や人権を侵害する国・団体への罰やこらしめ。武力をともなう軍事的措置のほか、貿易や送金を制限する経済措置などがある。

 

 

大妻女子大教授 五十嵐浩司

 1952年生まれ。朝日新聞大阪社会部、 外報部を経てナイロビ支局長、ワシント ン特派員、ニューヨーク支局長を歴任。 大学や大学院でジャーナリズム論や国際 政治を教える。

 

 

2012年6月3日

 

朝日学生新聞社のホームページに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。
すべての著作権は朝日学生新聞社に帰属します
ページの先頭へ