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石田 耕一郎記者(朝日新聞外報グループ)
香港が返還されて10年になると学校で聞いたわ?
香港は1997年7月1日に、イギリスから中国にもどされたんだ。この日は祝日にもなっている。
香港の街はテレビで見たよ。「100万ドルの夜景」が有名なんでしょ?
東京都の半分ほどの面積に700万人近くが住む大都市だ。アジアの貿易やお金の取引の中心になっている。
何でそこが遠くはなれたイギリスの土地だったの?
何でそこが遠くはなれたイギリスの土地だったの?
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| 言論の自由を求める集会でろうそくをかかげる参加者.二〇〇七年五月、香港で |
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――1800年代に清(今の中国)と戦争して勝ったイギリスは、清の一部だった香港をうばって支配した。その後さらに、となり合った地区を期限付きで借り受けた。10年前にその地区を返す期限がきたので、うばった部分もふくめて中国にもどされたんだ。
ジャン 中国と香港は、政治や経済の仕組みがずいぶんちがうでしょ。そんな、簡単にいっしょになれたの?
――そうだね。中国は共産党という1つの政党だけで、その政府が政治だけでなく経済も重要な部分を取り仕切っている。でも香港は日本などと同じように、自由に経済活動を行っていた。だから混乱しないように、返還後の香港で「一国二制度」という世界初の運営方法を試みることにしたんだ。
ポン どういうこと?
――中国と香港は一つの同じ国だけど、2つのちがった制度のもとで運営するということだよ。香港は正式には、中国の「特別行政区」と呼ばれる。中国の領土だけど、返還から50年間は政治や経済の仕組みを変えず、表現の自由も保障される、と決められた。もちろんふだん使う言葉やお金なんかも変わっていない。
ただ、外交と防衛は中国が責任を持つことになったんだ。中国の役人が香港に送られ、イギリスの兵隊は中国軍に代わった。
ジャン この十年で何か変わったの?
――以前は中国人は自由に香港に行くことができず、「香港の恋人に会えない」というラブソングがはやった時期もあった。でも、返還後は人の行き来が次第に自由になった。
2005年は中国から香港に渡った人がのべ1250万人、香港から中国へ行った人はのべ6200万人に上ったんだ。去年結婚した香港人男性のお嫁さんは、3人に1人が中国出身だしね。
ケン 結びつきが強くなってるんだ。
――中国の経済がのびるにしたがって、香港とのお金のやりとりも増えた。香港の一番の貿易相手国は中国だ。増える中国人旅行客を見こんで、05年9月にはディズニーランドも開園したよ。
ポン いいことばかりだね。
――そうとも言えない。中国政府のえらい人が最近、「香港人の権利は中国があたえている」という内容の発言をした。中国の考え次第で香港人の自由は何とでもなる、という意味にもとれる。
中国は18年前、政府に抗議する多くの学生を殺した事件を北京で起こしている。香港でも03年、自由な言論を制限するような法律を作ろうとして大反対を受けた。法律は取り下げられたけど、香港の人たちは、生活のいろいろな自由がなくなるのをおそれている。
ジャン 政府や政策は選挙で変えられないの?
――香港の選挙システムはそう簡単じゃない。日本の国会議員にあたる人すべてを、住民が直接選挙で選べるわけではないし、首相にあたる行政長官も、住民の直接選挙で決められないんだ。
ケン なぜ直接選挙を認めないの?
――政治の混乱を何度も経験した中国は、国内でも直接選挙がまだ実現できていない。香港に対する政策でも、たびたび「安定と繁栄」ということを強調している。
実は中国にはもう一つ、1949年から分かれたままの台湾という地域がある。中国政府はここが中国の一部で、将来は統一したいと思っている。だから、香港の「一国二制度」で簡単にゆずったり混乱を招いたりして、台湾や世界の人たちの信用を失いたくないんだろうね
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【きょうのポイント】
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▽香港が1997年7月に中国に返還されて、今年で10年をむかえる。香港は中国の特別行政区として、「一国二制度」のもと運営されている。
▽返還から10年で、中国から香港への人の行き来はゆるめられ、お金のやりとりも大幅に増えた。香港の一番の貿易相手国は中国。
▽言論の自由が制限される法律が作られそうになったりと、香港の人の不安はまだ消えてはいない。今の仕組みでは選挙で政府や政策を変えることも難しい。 |
(2007年6月30日)
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