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有吉由香記者(朝日新聞外交・国際グループ)
ミャンマー(ビルマ)で先月、日本人のカメラマンが銃弾を受けて亡くなったけど、何が起きているの?
国を動かしている軍事政権に対して、お坊さんや市民が大規模な抗議デモをしたのだけれど、亡くなった長井健司さんはその取材をしていたんだよ。
こわいね。でも、どうしてお坊さんたちはデモを始めたのかな?
燃料や食料の値段が急に上がって、市民の生活が苦しくなったことがきっかけだといわれている。ただ、それだけじゃないんだよ。
どういうこと?
軍事政権に抗議し、お坊さんらがデモ行進
――元々ミャンマーは軍による独裁政権(全権力をにぎって支配すること)が続いていて、市民は苦しんでいたんだ。政治や言論の自由はなく、軍の悪口を言うだけで、刑務所に入れられるくらいだ。長井さんも、取材をしていただけなのに突然、銃弾を受けた。そのようすを映していた映像から、兵士に撃たれたとみられている。市民はずっと民主化を望んでいるんだよ。
ケン 民主化って?
――国民が国の主役になることだよ。日本やアメリカ、ヨーロッパなど先進国の多くは、国民の選挙によって国の代表を決めるし、国民が自由に意見を言うことが認められている。裁判なしで、いきなり刑務所に入れられることもない。
ポン でも、どうしてお坊さんがデモをするの?
――1988年にも、学生たちが中心になって民主化を求める大きなデモがあった。軍が出動してデモ隊に発砲し、3000人ともいわれる犠牲者を出したんだ。命の危険を感じて、このときに日本ににげてきたビルマ人もたくさんいる。
この経験や、その後の軍の取りしまりで、表立って民主化運動をできる人がいなくなってしまっていて、残っていたのがお坊さんなんだ。
ジャン お坊さんはどういう立場なんだろう。
――ミャンマーは国民の九割が仏教徒で、お坊さんはとても尊敬されている。デモに参加したお坊さんが兵士にたたかれたりするのを見て、おこった市民も多かったと思うよ。お坊さんがデモをすることで、市民も合流するようになったんだ。
ジャン ミャンマーのニュースで「スー・チーさん」という名前を聞くけど?
――アウン・サン・スー・チーさんのことだね。彼女は国民民主連盟(NLD)という組織の書記長で、民主化のリーダーなんだけれど、自宅に閉じこめられて、自由に外出できない状態が続いている。外部と連絡を取ることも制限されている。今回のデモの間に、約1000人のお坊さんがスー・チーさん宅を訪れて、一回だけ対面することができた。大勢の人の前に姿を見せたのは、2003年に軍につかまって以来のことだったんだ。
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援助の見直し決めた日本
国連議長声明は「強い遺憾」
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ケン 日本とミャンマーの関係はどうなっているの?
――日本は八九年に軍事政権を認めて、援助してきた。03年にスー・チーさんがつかまってから、新しい援助はやめたけれど、厳しい態度のアメリカやヨーロッパの国々とはちがう。「経済援助や投資を通じて静かに変化させた方がいい」という立場を取ってきた。
でも長井さんの死をきっかけに、政府は援助の見直しを決めたよ。
ポン これからどうなっちゃうの。
――国連のガンバリさんという特使がミャンマーに行って、軍事政権のトップのタン・シュエ議長やスー・チーさんに会ってきたんだよ。ガンバリさんはタン・シュエ議長に対して、暴力的にデモを制圧するのをやめることや、スー・チーさんたち政治的な運動でつかまった人たちの釈放を求めたんだ。
ジャン 応じるのかな。
――そう簡単に応じるとは思えないな。国連安全保障理事会でも、ミャンマーと経済的結びつきが強い中国やロシアが、軍事政権への直接的な制裁(こらしめること)に賛成を示さなかった。だから、11日に採択された国連の議長声明も、軍がデモ隊に発砲したことに「強い遺憾(残念に思うこと)」を示す、という表現にとどまったんだ。
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【きょうのポイント】
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▽ミャンマーで先月、お坊さんを中心にした大規模なデモが起きた。デモを取材中の日本人カメラマンが銃弾を受け、亡くなった。
▽ミャンマーは軍がずっと権力をにぎっている。国民が代表を選んだり、自由に発言したりすることができず、1988年にも民主化を求めるデモが起きている。
▽日本政府は今回のカメラマン死亡事件で、援助の見直しを決めた。国連は、軍事政権のデモへの弾圧に「強い遺憾」を示すと、議長声明を採択。 |
(2007年10月13日)
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