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ミャンマー(ビルマ)の民主化指導者のアウン・サン・スー・チーさんが6月19日、軍事政権下で拘束されたまま、64歳の誕生日を迎えそうです。拘束状態はこれまでに断続的に13年以上にわたります。拘束期限が今年中に来るはずでしたが、5月に今度は別の理由で起訴されました。また長期間の拘束を受ける見通しが強く、国際的にも批判が強まっています。
民主化運動のリーダーで人気が高い
軍政はスー・チーさん支援者を弾圧
Q スー・チーさんが拘束されているのはなぜ? いつから?
A 最初は1989年7月。当時のスー・チーさんは、反政府派の最大勢力だった国民民主連盟(NLD)の総書記長で、前年のクーデターで実権を握っていた軍事政権(軍政)に対する民主化運動のリーダー的存在だった。軍政側はある日突然「国家の治安を脅かす違法行為を重ねてきた」とスー・チーさんを自宅に軟禁した。でも、本当はスー・チーさんの人気の高さと影響力を恐れ、運動を事前に抑え込むのが目的だった。
Q そんなに人気や影響力があるんだ。
A スー・チーさんは「ビルマ建国の父」と慕われたアウン・サン将軍の娘。人々を引きつけるカリスマ性に加え、非暴力の抵抗運動を貫く姿やきっぱりした態度、上品な物腰や語り口にひかれる国民が多い。軟禁中の91年、「人権向上、民主化をめざす闘いは特筆すべき例」とノーベル平和賞を受けた。
Q スー・チーさん拘束に反対運動は起きないの。
A 軍政を批判する勢力やその関係を疑われた市民や学生は、厳しい弾圧や取り調べを受けてきた。NLDは90年の総選挙で議席の8割を占めたが、その後の弾圧で、国会議員や党員数百人が逮捕され、勢力は大きく後退した。僧侶や学生なども含め、数千人の政治犯が拘束されたと言われる。拷問などの弾圧から逃れるため、日本や近くの国に難民としてきた人も多い。
常に国際批判と圧力 ASEANも民主化推進
何度か解放するも政権への危機感抱き再び拘束
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| ミャンマーの軍事政権の動きに抗議し、在日ビルマ人ら約150人がミャンマー大使館前(東京都品川区)でデモを行った=5月14日©朝日新聞 |
Q 他の国々が助けてあげられないのかな?
A 国連などがスー・チーさんの解放を求めて決議や声明を出したり、米国や欧州連合(EU)諸国が経済援助や貿易停止などの圧力を加えたりしながら、軍政側に民主化勢力との対話やスー・チーさんの解放を促してきた。
一方、東南アジア諸国連合(ASEAN)は、交流の維持と経済発展で民主化を進めようとする立場だ。中国などミャンマーの資源や市場としての価値にビジネスチャンスを見いだす国や企業は、経済進出に積極的で足並みが乱れることも多い。
Q 効果はあったの?
A 実は、スー・チーさんは過去に何度か、解放されたことがある。いずれも国際批判と圧力が続いていた時期だ。1回目は95年。でも、5年後に再び拘束された。02年にも軟禁解除となったけど、やはり1年後に再び拘束された。
Q どうして?
A スー・チーさんの影響力が軍政側の想像以上に大きかったからだ。95年の解放後、スー・チーさんの自宅前に、話を聞こうとする市民が集まり、数千人になる日もあった。軍政の圧力で一時、スー・チーさんを除名していたNLDも、改めて書記長に迎えて民主化運動を本格化した。
02年の解放後も、スー・チーさんは地方視察の先々で聴衆を集め、大学生が民主化を訴えて街頭に立つなどした。軍政は、スー・チーさんが政権を揺るがしかねないと危機感を抱いたのだろう。
解放の先延ばしで選挙の切り札に
新たな罪は「不当」 世界各地でデモ
Q 09年中に拘束が解ける見通しじゃなかった?
A そう。でも、5月3日に、米国人男性がスー・チーさん宅に侵入する出来事があった。ミャンマーでは、家族以外の人を、当局に無断で滞在させれば違法になる決まりがあり、新たな罪に問われ拘束された。スー・チーさん側は、男性が逮捕されないように気遣ったと説明し、「警備の不備を棚にあげた不当な訴追」と裁判の不当を訴えている。
総選挙を10年に控える軍政は、スー・チーさんの解放を先延ばしにして反軍政の民主化運動を抑えれば、選挙が有利に運ぶと考えているようだ。スー・チーさんの解放を求め、米国、イギリスなどはミャンマーを非難。欧州連合(EU)の解放要求を軍政は聞き入れなかった。裁判が始まった5月18日、タイ、日本など世界各地で解放を求めるデモがあった。
スー・チーさんの裁判の最終弁論は6月5日に開かれる。
(岩田誠司〓朝日新聞外交・国際グループ)
2009年6月7日
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