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エリツィン前ロシア大統領が死去
クーデター阻止、民主化進める
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98年、首脳会議のため来日したエリツィンさん。右は当時の首相、橋本さん(代表撮影)
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ロシアの前の大統領ボリス・エリツィンさんが4月23日、心臓の病気のため、76歳で亡くなりました。エリツィンさんは、ロシアがかつて周辺の国とともに構成した「ソビエト連邦(ソ連)」という国家体制を壊し、今のロシアの基礎を作りました。1991〜99年までロシアの大統領を務め、民主化や経済の活性化を進めました。北方領土問題の交渉にも精力的で、日本でもなじみの深い人でした。
エリツィンさんはもともと、ソ連を一党独裁で支配した共産党の幹部でした。
ソ連は米国と並ぶ超大国でしたが、国内の経済や言論をきびしく統制していました。80年代後半、当時のゴルバチョフ大統領が民主化に向けた改革を進め、エリツィンさんは、その改革派の指導的役割を担いました。
91年8月、ゴルバチョフ大統領が反対勢力によって拘束され、政権が転覆されかけたクーデター事件では、エリツィンさんら改革派が抵抗して、阻止しました。ロシア最高会議ビル前で、エリツィンさんが戦車の上に乗って演説し、群衆にクーデター反対への支持を訴えかけたのはよく知られています。
このときの活躍により、エリツィンさんは完全にゴルバチョフ大統領から最高権力を奪いました。ソ連の一部だったロシア共和国で大統領を務めていたエリツィンさんは、同年12月、ウクライナ、ベラルーシ両共和国の首脳と相談してソ連から独立。各共和国の緩やかな連合体「独立国家共同体(CIS)」を作ったことで、約70年続いたソ連の体制が崩壊しました。
経済改革、北方領土問題に力
権力強化、生活格差生み退場
その後のエリツィンさんは、ロシアの経済改革や民主化に力を注ぎました。
官僚が農産物や商品の生産、流通の方針を決めていた「計画経済」から、日本や米国などのように民間企業や国民が自由に生産や販売をする「市場経済」への転換を図りました。
報道や言論の自由を約束し、民主的な選挙も実施。長年、共産党の支配下におかれた国民が自由に発言し、政治や経済活動に参加できるようになりました。
日本との関係では、北方領土問題の解決に向けて力を尽くしました。
93年に当時の細川護熙首相との間で「東京宣言」に署名。北方四島がロシアと日本のどちらに属するのかという問題を解決し、平和条約を結ぶことをめざしました。97年に、当時の橋本龍太郎首相がロシアを訪問、98年にはエリツィンさんが来日。結果的に実現しませんでしたが、2000年までに平和条約を結ぼうと努力しました。
一方、改革を進めるために自らの権力を強め、批判されました。政府トップの首相を自分の思惑で何度も代えたり、ロシアからの独立を求めたチェチェン共和国に軍隊を送り、無理やり鎮圧しようとしたりしました。
金もうけに成功した財閥が豊かになる半面、貧しい人との生活格差がどんどん広がり、国民の不満もたまったのです。そうした中で99年12月、現在のプーチン大統領を後任に指名し、辞任しました。
称賛と批判が相半ばするエリツィンさんですが、ソ連の古い体制を改め、ロシアの民主化・経済改革という大仕事を進めたという功績は、世界の多くの人たちの記憶に残るでしょう。
(野島 淳記者・朝日新聞外報グループ)
2007年5月6日
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