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陪審裁判とはどういうものなの

マイケル被告に無罪判決
 
市民が陪審員になって評決

 少年への性的虐待などに問われていた米国の歌手、マイケル・ジャクソン被告の裁判で、カリフォルニア地裁の陪審は13日、無罪の評決を出しました。有罪を予想する声も多かったため、検察は「有名人であることが裁判に影響した」と悔しさをにじませました。

 日本では「陪審は感情に流されやすく信用できない」という意見もよく耳にします。英国や米国で行われている陪審裁判とは何なのか。その仕組みや歴史を改めて考えてみましょう。

 陪審には、ある人を裁判にかけるかどうかを決める大陪審と、裁判にかけられた人の有罪、無罪を判定する小陪審があります。ふつう陪審と呼ばれるのは後者の小陪審のことです。

 小陪審は12人の陪審員からなります。陪審員は法律の素人である市民から、くじを引くようにして無作為に選ばれます。法廷での審理を直接見聞きし、裁判官から法的問題点の説明(説示)を受けた上で、別室にこもって、有罪・無罪について全員一致の結論が出るまで議論をします。

 陪審の結論は評決と呼ばれ、法廷で陪審員長が答申します。裁判官は有罪の場合、刑罰の内容を決めますが、無罪の評決が出た被告人に有罪を言い渡すことはできません。

 国王の権力を制限する制度
 英国で生まれ米国へと渡る
 陪審の法律的な起源は1215年のマグナ・カルタ(大憲章)にさかのぼります。英国王ジョンはフランスにあった領地を失いました。廃位を避けるために貴族と妥協し、「同輩による裁判」を盛り込んだ大憲章に署名しました。

 17世紀になると、著名な法律家コークが権利請願(1628年)を起草。貴族の権利でしかなかった大憲章を、国民の権利を保障する近代的規定に読み替えて、国王の確認を求めました。こうして、国民はだれでも同輩による陪審裁判を受ける権利があると考えられるようになっていったのです。

 1670年にはキリスト教の一派クェーカー教徒のウィリアム・ペンが、治安妨害罪に問われる事件が起きます。陪審は裁判官の指示に反してペンの無罪を答申しました。怒った裁判官は陪審員全員を投獄しましたが、上級の裁判所が釈放を命じました。この事件によって、陪審員はどんな評決を出しても処罰されないことが確認されたのです。

 ちなみに、ペンは後に米国に渡り、ペンシルベニアを建設した人物です。信教の自由を求めて海を渡った人々が、国王の権力を制限する陪審制度を新天地に持ち込んだのは、当然のことだったといえましょう。

 陪審制は英米の歴史に深く根ざしています。英国では大陪審が廃止されるなど、やや衰退の兆しが見えますが、米国では、陪審制の短所を指摘する人はいても、廃止を主張する人はほとんどいません。それは米国の建国の精神を否定するに等しいからです。

 日本でも近く、国民から選ばれた裁判員と裁判官が話し合って判決の内容を決める裁判員制度が導入されます。陪審とは異なりますが、裁判を職業裁判官任せにしないという点で、陪審の精神に通じるものがあります。これを機会に、国民が司法へ参加する意味をよく考えてみてください。

 (久保谷 洋・ジャーナリスト)

2005年6月26日


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