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第二次世界大戦の終戦記念日はいつでしょう。日本では8月15日ですね。でも、欧州では5月8日なのです。1945年五月八日、ヒトラー率いるナチス・ドイツが、ロシアを中心としたソビエト連邦(ソ連、91年に消滅)や米国、英国など連合国に降伏したからです。
今月九日、終戦60周年を祝う式典がロシアの首都モスクワであり、米国のブッシュ大統領ら各国首脳が訪れました。ロシアのプーチン大統領は「偉大な勝利の日を祝し、ロシアに栄光あれ」と演説。会場では兵士らの「ウラー(万歳)」という声が響きました。
しかし式典には、かつてソ連の構成国だったバルト三国のうち、エストニアとリトアニアの大統領はいませんでした。首脳たちの中にはプーチン大統領の演説や、壮大な軍事パレードを複雑な思いで見つめる人もいました。なぜでしょう。
大戦後、ソ連は東欧を抑圧
39年、ドイツがポーランドに侵攻し、世界大戦が始まりました。この直前、ドイツとソ連は互いに攻撃しないという条約を結び、ドイツはポーランドの西側を、ソ連は同国東側とバルト三国を支配することを密約しました。まもなくソ連はバルト三国を併合。国民の多くは併合に反対でしたが、巨大なソ連に抵抗できませんでした。
四一年、ドイツは条約を破ってソ連に侵攻し多くのソ連人を殺しました。ソ連はねばり強く反撃し、四四年にバルト三国を取り戻しドイツに進撃しました。
ドイツの敗北が近づいた45年2月、米英ソの三首脳が集まり、ソ連が日本との戦争に加わることと、東欧諸国の戦後処理について決めました。「ヤルタ協定」です。
戦後、東欧諸国はソ連の強い影響下で共産主義国となりました。「平等で豊かな社会」を目指しましたが、経済は遅れ、自由に発言できない社会になりました。各地で起きた民主化運動もソ連が武力で抑えました。
数百万人のユダヤ人を無差別に虐殺し、近隣を侵略したナチス・ドイツの消滅は、バルトや東欧諸国にとってはソ連による抑圧の始まりでした。真の独立を勝ち取ったのは、80年代後半〜90年代初頭でした。
過ち認めない大統領の姿勢
こうした複雑な歴史があるためにバルトの二国の大統領が式典を欠席したのです。唯一出席したラトビア大統領も「我々が祝うのはナチスに対する勝利と共産主義に対する勝利だ」と語りました。また、米国のブッシュ大統領は旧ソ連を批判した上で、ヤルタ協定を「強国が交渉して小国の自由を犠牲にした」と話し、米国の責任に触れました。
逆に、批判に答えず、「偉大なロシア」を強調するばかりのプーチン大統領の姿が、近隣国を不安にさせています。ソ連は大戦で2600万人以上が死亡する大きな犠牲を払って戦争に貢献したのに、近隣から不信感を持たれているのは不幸なことです。ロシアは、歴史を検証し、過ちを率直に認める誠実な姿勢を見せる必要がありそうです。
日本も中国や韓国から「侵略を反省していない」と批判されています。侵略された側の視線は常に厳しいのです。
(西村 大輔・朝日新聞外報部)
2005年5月22日
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