 |
| ライブドアとフジテレビの和解の記者会見。左から2人目がライブドアの堀江貴文社長、その右がフジテレビの日枝久会長=4月18日、東京都港区で |
「会社は誰のものか」と議論
ニッポン放送株をめぐって、2か月半にわたって対立してきたライブドアとフジテレビが4月18日、和解しました。@ライブドアが買い集めたニッポン放送の株は、フジがすべて買い取るAフジがライブドアに資金を出し、ライブドアの大株主になるBいっしょにどんな仕事ができるか、業務提携の話し合いを続ける――という内容です。
和解によって、フジはニッポン放送を完全な子会社にし、「乗っ取り」を防ぐことに成功しましたが、ライブドアから株を買う代金として、1500億円近くを払うはめになりました。一方、ライブドアも巨額の資金を手にしたものの、「テレビ・ラジオを支配し、ネットと融合した複合企業をつくる野望」は打ち砕かれました。両者痛み分けといってよいでしょう。
あいまいな決着に、拍子抜けの人も少なくないと思います。ただ、一連の争いが「会社はだれのものなのか」という議論を通じ、日本社会が向き合っている問題を浮かび上がらせた点は見逃せません。
会社の起源は大航海時代にさかのぼります。16世紀のヨーロッパでは、アジアやアフリカとの交易は成功すれば巨万の利益をもたらす半面、船が難破すれば、大金持ちも破産する危険度の高い事業でした。そこで何人もの商人が資金を出し合い、失敗のリスクを分け合うようになりました。
1602年、最初の株式会社とされるオランダ東インド会社が設立されました。そして、たくさんお金を出し、リスクを分担する株主が、会社の経営により多くの発言権を持ち、より多くの利益の配分を受けるという仕組みが次第に整っていきました。
所有者は株主、働き方を問う
会社の主人公・所有者が株主なのは原理上、当然のことなのです。しかし、日本では漠然と「会社はそこで働いているみんなのもの」と考えている人が少なくありません。商法で株主を指す「社員」という言葉が、日常では従業員を意味するのもその一例ですし、ニッポン放送の従業員が買収に反対に立ち上がったのも、同じような心情によるものでしょう。
もちろん、従業員を無視していいはずはありません。従業員を家族のように扱う日本の企業の姿勢は、働く人の意欲を高め、経済発展の原動力となりました。ただ、その根底にある「会社中心主義」の弊害もあらわになっています。
多くのサラリーマンは有給休暇をほとんどとらず、残業代をきちんと払ってもらえないのに夜遅くまで黙々と働いてきました。会社の利益を守るため、法を犯す例も後を絶ちません。日本を本当に豊かな社会にするためには、このような「滅私奉公」は根本的に改めるべき時期に来ています。
東京商工会議所が今春、中堅・中小企業に入社した社員に「理想の社長像」を尋ねたところ、ライブドアの堀江貴文社長が一位に選ばれました。荒っぽい買収攻勢を支持するかどうかは別にして、その型破りな発言と行動に新時代の息吹を感じ取ったからでしょう。
今回の買収劇は、日本人に会社と個人の「距離」を再考する貴重な機会を与えてくれました。
(久保谷 洋・ジャーナリスト)
2005年5月1日
|