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ハンセン病患者にあやまった政策
療養所で非人道的行為
長い間、強制的に隔離続ける
遺体の標本が保管されていた星塚敬愛学園=鹿児島県鹿屋市で

ハンセン病の患者たちが強制的に連れてこられて暮らした各地の療養所で、生まれる前や、生まれたばかりの赤ちゃんの遺体の標本が計114体あることが、国の調査でわかりました。患者に対する国の誤った政策が長く続いた結果、療養所で、人間を人間として扱わない行為が長く続いてきたことが、あらためて問われています。
 「ハンセン病」とは「らい菌」という細菌によってうつる病気です。1873年にノルウェーのハンセン医師が菌を確認したことから、この名がつきました。神経や皮膚などが侵されますが、うつる力はきわめて弱く、遺伝もありません。
 今は入院も必要なく、早期に治療すれば病気の跡も残りませんが、20世紀の初めごろまでは「治らない病気」と言われ、恐れられていました。患者は強制的に、離れ小島などにつくられた療養所に隔離され、一生、出してもらえませんでした。健康な人々と接することを禁じることで、病気の広がりを防ごうとしたのです。これを「隔離政策」といいます。

 遺伝や感染の偏見から差別
 子つくらせない方針をとる

 1940年代、米国で「プロミン」という治療薬が開発されてからは治療法が確立され、世界各国では隔離政策をやめていきます。WHO(世界保健機関)も60年、「特別扱いはやめるべきだ」とする報告書を発表しています。81年にはさらに新しい治療方法もでき、患者は劇的に減りました。
 しかし日本では、07年にできた「らい予防法」に基づく隔離政策が、96年まで、計90年間も続きました。世界各国がやめていくなかで、隔離を見直そうとしなかったのです。
 親から子へ遺伝する、周りの人に感染する、といった偏見は、社会に大変強く、患者が出ると、その家族全員が結婚や就職で差別されました。このため患者は、名前を変えたり家族と縁を切ったりして、家族を守りました。施設は現在、岡山や青森など全国に十数か所ありますが、ここで亡くなり、施設の中の納骨堂におさめられた患者は、2万4千人近くにのぼります。
 特に問題とされているのは、戦前の段階ですでに医師たちは「遺伝病ではない」と知っていたにもかかわらず、療養所では患者に子どもをつくらせない方針を長く続けたことです。こうした非人道的な行為は、裁判所の調べによると、戦後の49年以降だけでも計3000件を数えます。
 2001年5月、元患者たちの訴えを受け、熊本地裁が「隔離政策は憲法違反」という判決を出しました。小泉首相が元患者たちに謝まり、判決が確定しました。その後、療養所の患者の人権について実態調査が始まりました。標本が見つかったのは、東京や静岡、岡山など6か所の療養所ですが、調査が始まる前に標本を焼いてしまった療養所もあるようです。
 裁判などで、元患者の女性たちがさまざまな証言をしてきました。明らかな「殺人」の証言もあります。今後、遺体の調査が進むことで、さらに、こうした発言が裏付けられていくでしょう。

 

(斎藤 智子・朝日新聞記者)

(2005年2月6日)


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