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核保有の印パ、カシミールをめぐり緊張
 インドとパキスタンが支配を争うカシミール地方。セーターやマフラーの材料のカシミヤは、この地方が原産のヤギの毛です。しかし現在、カシミールでは毎日のように両国の軍の間で砲撃や銃撃戦があり、避難を余儀なくされている住民も少なくありません。

 両国は第2次世界大戦後の1947年8月まで、英国国王を皇帝とする「インド帝国」という英国の植民地でした。植民地時代、英国はヒンドゥー教徒とイスラム教徒が対立するようにし向け、団結して反乱を起こさないようにしました。
47年独立以来の支配権争い 停戦合意をしても武力衝突
戦火で故郷の村を追われ、不安な表情の子どもたち。度重なるインド軍との戦闘で避難民の数は増えている=1日、パキスタン北東部・自由カシミール州のムザファラバード郊外で
 「非暴力・非服従」を唱えインド独立運動を主導したガンジーら「インド国民会議派」は、ヒンドゥー、イスラム、シーク、キリスト、ジャイナなど様々な宗教を信じる人々をまとめ一つの国にするため、宗教と政治を切り離した「政教分離」の国を目指しました。しかし、圧倒的多数派であるヒンドゥー教徒からの差別を恐れたイスラム教徒の「ムスリム連盟」はイスラム教国家の樹立を主張、ヒンドゥー教徒の多い地域がインドとなり、イスラム教徒の多い地域がパキスタンとなりました。

 47年の独立以来、両国が支配権を争ってきたのがカシミール地方です。住民の約8割がイスラム教徒でしたが、地域を支配していたヒンドゥー教徒の藩王はインドへの帰属を表明したため、暴動が起こりました。インドとパキスタン双方が援軍を出し、独立の2か月後、第1次印パ戦争が始まりました。49年1月、国連の調停で停戦に合意、現在の停戦ラインが決められました。

 その後、2度の戦争をした両国は71年、停戦ラインの尊重で合意しましたが、80年代後半、旧ソ連軍が撤退したアフガニスタンから転戦したイスラム過激派などがカシミールの分離・独立を求めてテロなどの武装活動を本格化させました。インドは「パキスタンが資金や武器を提供し、過激派を支援している」と非難、パキスタンは「インドに弾圧される人々に精神的な支援をしただけだ」と反論してきました。
過激派襲撃やミサイル実験 国際社会が対話を働きかけ
 昨年12月、イスラム過激派がインドの国会議事堂を襲い14人が死亡する事件があり、対立はまた激しくなりました。両国は98年に世界中の反対を押し切って核実験を行い、今では事実上の核兵器所有国です。パキスタンは5月下旬、核弾頭が搭載できるミサイルの発射実験を3回行い、インドをけん制しました。

 カシミールの紛争が核戦争に発展することを心配する米英両国が高官を派遣したり、ロシアのプーチン大統領や中国の江沢民国家主席が両国に対話を働きかけたりしましたが、双方の不信は深く、インドのバジパイ首相、パキスタンのムシャラフ大統領の直接対話は昨年7月以降、実現していません。国際社会の説得で両国とも「こちらからは戦争はしかけない」と表明、緊張緩和への動きも出ていますが、予断を許さない状況が続いています。

(杉井 昭仁・朝日新聞記者)
 2002年6月16日


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