| ミャンマー(ビルマ)の軍人が支配する政府によって、首都ヤンゴン市内の自宅に軟禁されていた民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさん(56)が6日、解放されました。軍事政権は一昨年9月以来、1年7か月ぶりにスー・チーさんの政治活動を認めました。 |
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1年7か月間にわたり軟禁 総選挙の敗北も認めず圧政
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| アウン・サー・スー・チー氏 |
スー・チーさんは、かつて英国からの独立運動に参加し、暗殺されたアウン・サン将軍の長女です。英オックスフォード大を卒業し、英国人学者と結婚。京都大学の研究員として日本で生活したこともあります。1988年に重病の母を見舞うために帰国したとき、祖国では学生や市民らによる大規模な反政府運動が起きていました。スー・チーさんはこの運動に参加し、国民民主連盟(NLD)の書記長に就きました。全国を回って多くの国民に民主化を訴え、民主化のシンボルとなりました。非暴力で民主化と人権向上を求める活動が評価され、ノーベル平和賞も受賞しました。
民主化を求める声が強まるなか、軍事政権は89年7月、スー・チーさんを自宅軟禁とし、政治活動を禁じました。95年7月に軟禁はいったん解かれましたが、2000年9月に地方遊説に出かけようと自宅を出たところを軍事政権側に阻まれ、再び軟禁されました。
もともと、ミャンマーは1960年代から一党独裁による鎖国的な社会主義路線をとり、政治的な自由は限られていました。民主化を求める市民たちが88年に大規模なデモを起こし、社会主義政権は崩壊。しかし軍が武力でデモを鎮圧し、軍人が政権を握ったのです。軍事政権は総選挙の実施を公約し、選挙による新たな政権ができるまでの一時的な政権と位置づけました。しかし、実際は憲法を停止し、議会も廃止したり、民主化運動に携わった人たちを「政治犯」として逮捕したりしたのです。翌年の総選挙でもNLDは圧倒的な勝利を収めましたが、軍事政権は政権を譲らず、スー・チーさんの軟禁も続けました。
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苦境で国際社会と協調路線 批判かわす軍事政権の思惑
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ミャンマーは稲作を中心とする農業国です。世界最大の米の輸出国だったときもありました。しかし社会主義体制の下、経済は悪化しました。軍事政権が民間貿易を自由化するなど市場経済に移しましたが、人々の暮らしは厳しいままです。こうした苦境を脱するために、軍事政権は97年に東南アジア諸国連合(ASEAN)に加盟するなど、国際社会との協調を重視し始めています。国際社会の批判をかわしたい軍事政権側の思惑のなかで、スー・チーさんの軟禁解除も進められたとみられています。
スー・チーさんが活動の自由を得たとはいえ、民主化勢力はこれまでの弾圧で大きな打撃を受け、一気に民主化が進むことは難しいとみられています。これまでに260人余りの政治犯が釈放されましたが、今も1000人以上が拘束されているそうです。スー・チーさんも支持者らに「よく考え、慎重に行動することが必要です」と訴えました。軍事政権側との対話はどう進むのでしょうか。国際社会は、注意深く見守っていかなければならないでしょう。(塚本 和人・朝日新聞記者) |