| イスラエルとパレスチナの武力衝突が激化しています。ここ1年半ほどの間に
死者は1800人に達し、1993年に双方が和平に合意した「オスロ合意」も、崩壊の危機に直面しています。 |
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シャロン氏聖地訪問で反発 自爆テロが相次ぎ 相互不信
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和平に消極的なイスラエルのシャロン首相が就任前の2000年9月、東エルサレムにあるイスラム教聖地を訪問しました。東エルサレムはパレスチナ人が自分たちの国家の首都にしようとしていたところで、シャロン首相の訪問を、「東エルサレムは自分たちのものだ」というイスラエル側の意思表示と受け止め、強く反発しました。これが、今日まで続く武力衝突の直接のきっかけです。
イスラエルは昨年10月に観光相をパレスチナ過激派に暗殺された後、パレスチナ自治政府を「テロ支援体制」と呼び、アラファト自治政府議長とは交渉しないと宣言。アラファト議長は武力行動の停止をパレスチナ人に指示しましたが、その後も自爆テロは続き、相互不信は決定的になりました。イスラエルは3月29日には議長府の中にまで攻め込み、議長を監禁状態にしてしまいました。
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「オスロ合意」の和平遠のく 双方を会談させ解決を探る
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なぜ、両者はこれほどまでに憎しみあっているのでしょうか。紀元70年、ローマ帝国にエルサレムを奪われて以来、ユダヤ人は「国家を持たない民族」でした。19世紀末、パレスチナにユダヤ人国家をつくろうという運動(シオニズム)がロシアや東欧のユダヤ人の間で起こり、1947年には、パレスチナにユダヤ人国家とアラブ人国家を作り、エルサレムを国際管理都市にする決議を国連が可決しました。しかしアラブ諸国はこれに反対。48年にイスラエルが建国宣言するとエジプトなど周辺のアラブ諸国との間で第1次中東戦争が起きました。67年の第3次中東戦争でイスラエルはヨルダン川西岸地区とガザ地区などを占領してユダヤ人入植地を作り、パレスチナ人は土地を奪われて難民化していきます。土地を奪われたパレスチナの過激派によるテロと、イスラエルの武力報復が繰り返されているのが現在の構図です。
93年にワシントンで結ばれた「オスロ合意」で、両者は力の対決から平和共存に踏み出しました。しかしユダヤ教とイスラム教の両方にとって聖地であるエルサレムの取り合い、パレスチナ難民に故郷に帰る権利を認めるかなど未解決課題が残っていたところに強硬派シャロン氏が登場、和平交渉は完全に止まってしまいました。
もちろんパレスチナ側のテロ行為は許されるものではありません。しかし背景には、イスラエルによる占領と入植でパレスチナ人が土地を追われた現実があります。自爆テロの「抵抗運動」という側面を無視して軍事力で封じ込めようとしても、パレスチナの反発を招くだけです。
「抵抗運動」の大義を掲げるパレスチナと、「暴力の脅しに負けるな」と突っ張るイスラエルのにらみ合いを打開するには、米国など第三者が間に入って双方の顔を立てる道を探るほかありません。ブッシュ米大統領はパウエル国務長官を現地に送り、シャロン首相、アラファト議長双方と会談させて解決の糸口を探ろうとしています。
(堀内 隆・朝日新聞記者)
2002年4月21日
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