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拉致事件、現地調査でわかったことは?
 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が日本人を連れ去った、いわゆる「拉致事件」について、政府は2日、現地調査の結果を発表しました。先月、専門の調査団を北朝鮮に送り込み、さらわれた8人が亡くなったいきさつや、生きていた5人の情報を4日間にわたり集めたものです。また、被害者の家族を内閣府に招いて、調査結果を詳しく説明しました。
遺品や対面ビデオ持ち帰る 日本語を教える目的で拉致認める

政府の調査報告を受ける拉致被害家族の代表(右列)=2日、内閣府で(代表撮影)

それによると、資料は計十数点。お墓が分かった人については墓地を訪ね、遺骨や遺品を持ち帰りました。生きていた5人は、インタビューの様子をビデオにおさめ、本人かどうかを科学的に証明するため指紋などを集めました。
 では、拉致された人々はどんな理由で「死亡」したのでしょう。報告によると、当時中学生だった横田めぐみさんは、22歳のころ北朝鮮の男性と結婚し、女の子が生まれました。しかし、うつ病になり、29歳のとき、平壌の病院で自殺したそうです。田口八重子さんは、宮崎県で拉致された原敕晁さんと結婚しましたが、1986年7月に交通事故で死亡。原さんも同月、肝硬変で亡くなりました。お墓はダムが崩れて流されたそうです。
 78年に鹿児島県の海岸でさらわれた市川修一さんと増元るみ子さんは、その後結婚しましたが、市川さんは79年に海水浴場で水死。増元さんも81年、心臓病で亡くなりました。こちらもお墓はダムが崩れて残っていません。欧州で行方不明になった石岡亨さんと有本恵子さんは、結婚して子どもが生まれましたが、88年、ガス中毒で一家全員死亡。お墓は洪水で流されたと報告されました。
 生きていた新潟県・佐渡の曽我ひとみさんは、調査団に襲われた時の様子を詳しく話しました。それによると「19歳のとき、母親とお盆の買い物から帰る途中に3人組に後ろから襲われ、袋をかぶせられた。小さな船に乗せられ、海上で大きな船に移された。船の上で袋から出されると、日本語ができる女性がいた」とのこと。母親とはそれ以来、会っていないそうです。
 北朝鮮側の報告によると、77年の横田さん拉致事件をきっかけに、北朝鮮の特殊機関の一部が「もっと日本人をさらって日本語の先生にしてはどうか」などと提案。78年から80年にかけ、大人の日本人男女9人を拉致しました。その後、この活動を知った他の特殊機関が、独断で日本人の拉致を計画。ヨーロッパから留学生らをだまして連れてきたそうです。拉致責任者の名前は公表され、どんな処分を受けたかも報告されました。
 さらわれた日本人は「建国の父」として絶対的な権力を持っていた故金日成主席や、その息子である金正日総書記への服従をたたきこまれました。また、人里離れた場所に造った特別な建物に住まわされ、そこで、北朝鮮の工作員に日本語を教えるなどして生活したようです。

不自然な点多く家族は反発 調査は継続、国交回復へ交渉

 被害者の家族は、こうした話に、「でっちあげだ」「たった数日の調査で何が分かるのか」などと強く反発しています。洪水は事実のようですが、墓がない人が多すぎるなど、不自然な点も多いからです。
 政府は、引き続き疑問点を調べると約束しています。生きていた人たちの肉親との面接も進める計画です。しかし、同時に政府は、北朝鮮との国交回復に向けて、予定通り今月中にも具体的な交渉を始めたいとしています。つらい選択ですが、二度と同じ悲劇を繰り返さないためにも、北朝鮮との友好関係を結ぶことが大切だと考えているのでしょう。

2002年10月20日


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